第58話 心の在り方
葵蒼汰は階段をのぼる。
昨日は途中から飛行だったが。核神を連れ立っていない今日は一段一段踏みしめていくしかない。
もしかしたら行使権限を使えば飛ぶことも出来るのかもしれなかったが、やはりここは余計な試みはせずにエコで行くべきだろう。
戦う気が無いとはいえ、計画を実行するのなら。
看護師さんが巡回などを行う中、音織柊榎の病室を探して入ってはみたが、その個室はもぬけの殻だった。
もしかしたら楸は既に柊榎を院外に連れ出し、残るはこの病院を凍結するだけ、というところまで来てしまっているのかもしれなかったが、蒼汰はもしかしたらという思いで足を動かし続けた。
上へ。
ひたすら階層を上がっていく蒼汰には、不思議と確信のようなものがあった。
音織楸は、屋上に居る。
特に理由はなく、それはただの勘でしかなかったが、あと少しで屋上というところで、それは本当の確信に変わった。
目が合った。
屋上へ続くドアの手前、階段の一番上に腰掛けて俯いていた桜色の髪の少女が、顔を上げたのだ。
その少女の左腕は根本から存在していなかったが、それなのに苦痛の一つも表情に出さない。
「私が見えているの? 人間」
階段の下で立ち止まった蒼汰に掛けられたその声は、シロームと似ているけれど、それよりも少し低い声だった。
蒼汰は黙って頷く。
「ああ君、あれか。シア様の連れていた人間。何をしに来たの、なんて聞かないわよ。止めに来たんでしょ、私達を」
「話が早くて助かるよ。楸は外か?」
「まあ、そうだけど。ねぇ……君もしかしてさ、一人で来たの? それとも何かの罠とか?」
「いや、見ての通り一人だよ」
「だよねぇ。感覚領域を展開したら核神が二体下に居るみたいだけど、近くには居ないし。こんなことを言うのあれだけど、君さ――」
《時間》の核神、クロナの目が鋭く蒼汰を射抜く。それはまるで、光で形成された矢のようだった。
「私に一人で勝てる気じゃないでしょうね?」
蒼汰は向けられた敵意の視線を、だがしかしそらさずに受け止めた。
そしてさも当たり前かのように言う。
「勝てるわけねえだろ」
「へ?」
まさかのまさか。
以外な少年の言葉にクロナは、一瞬で殺意を失ってしまった。
「いやいやいや……じゃあ君、何しに来たのよ……」
「戦うことだけが解決方法じゃないだろ」
クロナは少し、息を呑んだ。
「ふーん……まさか、争いごとばかりの人間にそんなことを言われるとはね」
「葵蒼汰」
「あおいそうた?」
「ああ、俺の名前。自己紹介がまだだったから」
「葵蒼汰、か。私はクロナ、《時間》の核神だよ」
「よろしく」
「…………。君、変な人間だね。といっても私も人間は楸と柊榎しか分からないんだけど。それでも君が変な人間ていうのはなんとなく分かるよ」
「そんな自覚はないんだが……。まあいいや、俺は、交渉をしに来たんだ」
「交渉、ね」
核神相手に口での交渉とは、バカなのか、それとも何か裏があるのか、と、クロナは顔には出さないものの蒼汰の話を半信半疑で聞いていた。
「そもそも俺には分からないんだが、どうしてクロナは楸に協力してるんだ?」
「いきなり呼び捨てか。まあどうでもいいけど。別に、協力してるわけじゃないよ。お互いの利害が一致してるというか、もう一蓮托生なんだよ。私の願いが楸の願いでもある、そういうこと」
「音織柊榎を、助けたい」
「なんだ、知ってるんじゃない」
「昨日、楸に聞いたからな。けど、《時間》であるクロナにとって音織柊榎は、そこまで大事な存在なのか?」
クロナは息を吐く。
「時間じゃないでしょ? 関係、って」
それは、そうだ。
蒼汰はそう思った。
自分も、まだ会って間もないアイソドシンクやレクシアを好きだし、昨日知り合ったばかりのシロームにも親しみを覚えている。
時間じゃない。
どれだけ時間を掛けたところで仲良くなれない人だってやっぱり居るし、むしろ時間が仲を引き離すことだってある。
なら、出会った瞬間に惹かれ合ったとしても、それはなんら不思議なことではない。
「まあ、一方的に惹かれたんだけれどね、私が」
それは蒼汰にとって意外なことだった。
核神は本来、概念であり理でしかない。
それなのに、なんの因果か感情を有している。
考え、悩み、思い思われ。
だがそれはどこか、人間とは切り離された天界の話だと、蒼汰は思っていた。
アイソドシンクやレクシアやシロームと関わって、ある程度の意思交換をしてきたが、それでもやはり、自分が彼女達に抱いている好意に比べれば、彼女達の自分に対する感情というのは希薄なのだろうと、感覚的に思っていたのだ。
それなのに、核神が人間に一方的に好意を持つ。
そんなことがあるのなら、蒼汰は認識を改めなければならなかった。
「あの子は――あの子の歌は私の心を動かしてくれた、それだけで充分だったんだよ。だってさ――」
逆光。
雲に隠れていた太陽が姿を現したのだろう。
微笑むクロナの表情をぼやかした。
だがそのエフェクトもあって、蒼汰にはクロナがとても神秘的に、綺麗に見えた。
だってさ。
「心が動かなきゃ、生きてるって言えないじゃない」
蒼汰は、その言葉の真意を、深意を、心意を、神意を。
噛み締める。
「そう、だな」
「あれ、バカみたいって、思わないの?」
意外そうな顔で、クロナは蒼汰に問う。
「どうして?」
「だって、私達核神に命はないから。それなのに『生きたい』なんて、矛盾してるでしょ?」
「矛盾したっていいだろ、別に。矛盾だって、ちゃんと存在してるんだからさ」
「へぇ……」
クロナは、目の前の少年をどうにも推し測ることが出来なかった。何を考えているのか、何をしようとしているのか。それを言葉の端々から読み取ろうと思っているのだが、どうにもその真意を汲み取ることが出来ない。
それもその筈だった。
何故なら蒼汰の言葉に真意など隠されてはいないのだから。
言ってしまえば、蒼汰の口から出た言葉の全てが蒼汰の真意なのだ。
「本題に入っていいか?」
「どうぞ」
クロナは楸に、屋上に誰も来ないように見張りを頼まれてはいるが、目の前の少年が強行突破するつもりではないのなら、聞く耳はあった。
そしてそんな風に斜に構えるクロナに対し蒼汰は、信じられない事を口にするのだった。




