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矛盾だらけのアイソドシンク ―The World of Paradox―  作者: 天崎澄
第二章 時間乱流編
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第54話 つながり

「まあ……これなら良いでしょう、健全です」



 レクシアは一安心、といった感じで『ほぅ』と溜め息を吐く。



「んー、ぬくもりが足りない……」



 葵蒼汰の腕から剥がされたアイソドシンクとシロームは、改めてそれぞれ葵蒼汰と握手をさせられた。

 右手で蒼汰の左手を握ったシロームは不満を口にしながら、寒いのか膝を抱え込んで座っている。



「さあ、早く本題に入りましょう」



 蒼汰を挟んでシロームの反対側に座るアイソドシンクは、まるでさっきまでの自分を忘れたかのように、しかし蒼汰の右手はしっかりと両手で握って話を進めようとする。



「あなたがそれを言うのですか……」



 と、レクシアも呆れ顔である。

 しかし、話を進めなければいけないのは事実なので、とりあえず頭を切り換えることにした。



「えーとなんでしたっけ……そう、その音織楸という少女が語ったことが本当であれば大変なことになります」



「大変なことって?」



 状況を一番理解出来ていない人間の蒼汰が聞く。



「今日行ったあの病院は、消えて無くなるでしょう」



「はあ!? え、なんで?」



 それは話が飛びすぎではないかと言わんばかりに、蒼汰が突っ込む。

 レクシアは努めて蒼汰にも分かりやすいように、説明を始める。


「一定の範囲だけの時間を停止すると、その中と外では時間のズレが生じるのは分かりますよね?」



「ああ、だからあの変な膜みたいなのが出来るんだろ?」



 昨日遭遇した不可思議な感覚を思い出しながら、蒼汰は答える。



「はい。あの時流変速膜(レデュースウォール)によって、内外を隔てられています。そこに摩擦が生じるというのは話しましたよね? 時が経つにつれ内外の時間差は大きくなり、それに比例してその摩擦力も大きくなります」



「すると、どうなるんだ?」



「端的に言って、いずれ空間の境界は擦り切れてしまいます。つまり、変速された空間は外の世界と、完全に隔絶されるということです」



 空間が隔絶されるという状況を想像するのは蒼汰には難しかったらしく、「うーん……」と唸っている。



「えーと、要するに外からその空間に入ることが出来なくなる、ってこと?」



「入れないどころか、見ることも出来なくなります。ですから、消えてなくなるのです。とはいえ本当になくなるわけではなく、外の空間から視認、干渉出来なくなるということです。実際には別の時間軸に存在しています」



「お、おう……なるほどね」



 蒼汰は理解したように頷いたが、実際には半分ほどしか理解出来ていない。

 それを見透かしたレクシアは、訝しそうに言う。



「本当に分かってます?」



「まあ、大体……。大変だということは分かったよ」



 大雑把な物言いだが、レクシアももう蒼汰の性格は分かっているようで、それ以上詰問する気は無いらしい。



「で、どうします?」



 今まで話の展開を黙って聞いていたアイソドシンクが口を開いた。



「放ってはおけないよな……。病院の中には沢山の人が居るんだし。時間が止まっちゃうから退避してくれ、なんて言えないしなぁ」



「まあ信じてもらえないでしょう。というかそのまま入院させられるかもしれませんね」



「それは嫌だな」



 レクシアの仮説は蒼汰にとって現実的に思えた。



「シロは――」



 ふいにシロームが口を開く。



「シロは、クロちゃんと元通りになれればなんでもいい。前みたいに、クロちゃんと一緒に空をたゆたっていたい」



「シローム」



 物憂げなシロームに、蒼汰が声を掛けた。



「シロでいいよ」



「じゃあシロ、あんまり楽しくない話をするけど、いいか?」



 蒼汰の不思議な言い回しに小首を傾げながら、シロームは問う。



「それは、必要なこと?」



 蒼汰はシロームの目を見つめて、コクリと頷いた。



「じゃあ、いいよ」



「ありがとう」



 お礼を言ってから一拍置いて、蒼汰は辛辣なことを言う。



「シロ、クロナと元に戻るのは諦めた方がいい」



 表情を少し強張らせたシロームだったが、取り乱すことはなかった。



「どうして?」



「クロナは、もう音織楸と同質化(コンセプション)している。ということは、楸が居る以上クロナは楸から離れられないってことだ。つまり、クロナと空に戻るには……」



「殺すしかない、ってこと? その子を」



 蒼汰が言い淀んだその言葉を、シロームは軽く口にした。蒼汰は真剣な表情で首肯する。



「じゃあ、殺せば――」



「それで本当に、戻れると思うか?」



 言い掛けたシロームに、蒼汰はその心に問いかけるように言葉を紡いだ。



「空には戻れるかもしれない。けど、元に戻れると思うか?」



「………………。思、わない」



「だよな。同質化してるってことは、クロナもそれなりの覚悟を持ってそうしてるはずなんだ。楸のことが好きなのか、共感しているのか、それは分からないけど、そんな相手を殺したやつのことを、例え誰だろうと心の底から許すのは難しいと思う」



「じゃあ、どうすればいいの? シロは。ねぇ……なんでこうなっちゃったのかな……」




「時間は全てを変えていく。それは仕方のないことだ。時の流れの前で変化しないものなんてない。性質、関係、季節、心境。一定に思えるものだって一定じゃないんだ。それこそ、時間を止めたりしない限りは」



 シロームは目に見えて落ち込んでいた。肩はがっくり落とし、顔は俯き、目は下を向いている。



「けど俺は、変わってくから楽しいって思うんだ」



 蒼汰の真っ直ぐな言葉に、シロームは顔を上げてその少年の顔を見る。



「そりゃあ、時間が動かなければ辛いことは何も起きないし、悲しみを感じることもない。けど、そしたら楽しいことだって起きないだろ? 生きてたら嫌なこと、苦しいことなんて山程ある。けど、そんな中だからこそ楽しい時間が輝いて見えると思うんだ。死にたくなるくらいの悩みだからこそ、それが解決した時心が震えるほど嬉しくて、世界が輝いて見えるって思うんだ。俺は、その輝きに触れたい」



 シロームの瞳が、揺れる。



「それに、時間が流れてなかったら、ここに居る皆とも会えてなかったから。だから俺は、どんなに辛いことがあっても、今まで過ごしてきた時間に後悔はないよ。もちろん、これからも」



 いつしかシロームだけでなく、その場に居る三体の核神は皆蒼汰の目を見ていた。いや、目を奪われていた。



「蒼くんらしいです」



「まったく、あなたという人間は」



 言葉こそ違えど、《矛盾》と《存在》はそれぞれ微笑んでいた。そんな中、一人不安そうな面持ちのシロームが口を開く。



「シロも?」



「ん?」



 シロームの放ったその三文字に、蒼汰は少し首を傾げる。



「シロとも、会えて良かったって思う?」



 どこか心細さを滲ませた上目遣いでそう問うシロームに、蒼汰は柔らかく笑いかけ。



「ああ、シロに会えて良かったよ」



 その、なんていうことのないように思える言葉は、不安定な《空間》の核神の心にじわりと浸透した。途端、シロームは抱えていた不安や焦躁や寂しさが、何か温かなもの包まれて溶けていくのを感じた。

 雪解け水のようなそれはすぐに心の閾値(いきち)を越え、シロームの右目の目尻から溢れ落ちる。



「ありがとう、蒼汰…………シロも、蒼汰に会えて良かった」



「そっか」



 春先に相応しい穏やかな空気が部屋に満ちていた。

 シロームの感情が落ち着くのを、一人と二体は静かに待ち、そしてやがてシロームは覚悟を決めたように言う。



「分かった。クロちゃんのことは諦めるよ」



 それはきっと、とても悩んだ末の言葉だったのだろうが、しかし。



「いや、まあ、その必要はないんだけどな」



「へ?」



 まるで自家撞着しているような蒼汰の言い分に、シロームは間の抜けた声を発した。



「クロナと元に戻ることは、さっきも言った通り難しいと思う。でも、時間が全てを変えていくなら、前よりももっとクロナと仲良くなることは出来るんじゃないか?」



 一瞬、シロームは何を言われているのか分からなかった。しかし、ゆっくりとその言葉を噛み砕いて、飲み込む。



「俺も、協力するよ。まあ、シロにそうしたいっていう気持ちがあるならだけど」



 少し照れ臭そうそう言う少年に、シロームの心は弾けた。

 ほとんど無意識に握っていた手を離し、身体の向きを変えて少年の胸に飛び込んだ。



「蒼汰……本当に、ありがと……大好き」



「ちょ、シローム! 抱き着かないでください!」



「そうです。私の蒼くんなんですから」



 慌ててシロームを剥がしに掛かるレクシアと、便乗して蒼汰にくっつくアイソドシンク。

 そんな騒がしさの中で、さっき乾いたはずの涙が、蒼汰の胸を濡らした。




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