第53話 両手に神
時間が止まり、進み、乱れ。
それでも日はしっかりと西の彼方にその身を沈め、その代わりのように降りてきた夜の帳の中に月が浮かんでいた。
昼間降っていた雨は止み、しかし晴れることなく空は薄く雲が掛かっている為に朧月夜だった。
《時間》の核神が存在する以上、時間の流れが消えることはない。
例え一部の範囲の時間が極限までその流れを遅らせても、そんなことは全くなんの影響もなく、他の時間は通常通り流れ続ける。
蒼汰達は病院の屋上で音織楸とクロナを逃してしまった。
その後で止まった時間は動き始め、病院内も活動を再開したのだが、それは一時的なことなのだろう。
蒼汰が楸に聞いた話では、明日が本番だと言っていた。
楸の姉――音織柊榎の病気を停止した上で院外に逃がし、その後病院を凍結する。
そういう計画なのだということを、蒼汰は自宅に帰った後で三体の核神に語って聞かせた。
のだが。
「それはそうと、どうして葵蒼汰にぴったりとくっついているのですか? アイソドシンク、それにシロームも」
どうやら今の状況が本題よりもまず気になるようで、どこか不機嫌そうにレクシアは指摘した。
「いや、私はシロームだけ蒼くんに引っ付いているのがなんとなく気に入らないので」
一人と三体は蒼汰の部屋でテーブルを囲って座っているのだが、蒼汰の向かい側に座っているレクシア以外の二体の核神はというと、蒼汰の左腕にシロームが抱き付き、右腕にアイソドシンクが絡み付いていた。
「シロは、最近クロちゃんが居なかったから人肌恋しくて……」
「だとしても! 葵蒼汰に引っ付く必要はないでしょう! だったら二人でくっついていればいいではないですか!?」
各々の都合を述べる二体の核神に、レクシアは激昂せずにはいられなかった。そんなレクシアを宥めようと手を伸ばそうかと思った蒼汰だったが、どちらの手も動かすことが出来ずにやむなしと声だけを発する。
「まあまあ、レクシアさん落ち着いて……。緋奈に聞こえちゃうからさ……」
葵蒼汰の可愛い妹はというと、昨夜と同様、食後の後片づけ済まして今は入浴の最中である。三体居る核神の中でレクシアだけは緋奈に見えてしまうので、妹としては『兄の女友達が家に遊びに来ている』という状況で本当は気が気でないのだが、それに気付くような兄ではなかった。
「む……あなただって、それでは身動きが取れなく迷惑ではないのですか?」
怪訝な表情のレクシアにそう言われ、蒼汰が左右に順番に目をやると、アイソドシンクはキョトンといった感じで、シロームは捨てられた仔犬のような目で、それぞれじっと見詰めていた。
「いやぁ……あはは……可愛い女の子しがみつかれるのは男としてはむしろ本望というか――」
「ふしだらですっ!!」
どうやら蒼汰は火に油を注いだようだ。
蒼汰とシロームがレクシアの怒号に対してビクビクしていると、アイソドシンクが冷静に言う。
「シア、そんなに気に入らないのであれば、あなたも蒼くんにくっつけばいいではないですか」
表情一つ変えないアイソドシンクに対し、レクシアは分かりやすく、息を飲み目を泳がせた。
「は、え……? いや……な、なんでそういうことになるのですか! 私は別に葵蒼汰とくっつきたいなんて言ってません!」
「じゃあ、何が問題なのですか? このまま話を進めれば良いのでは?」
当然のように言い返すアイソドシンクに、レクシアはどうにか状況に即した理由を探して言葉を絞り出す。
「け、景観を損ねると言っているんです!」
「昨今流行りの、自然の中のソーラーパネル設置を反対する近隣住民ですか、あなたは。その人の気持ちは分かりますが、あなた人間ではないでしょう、シア」
「ぐぬぬ……もういいです!」
的を射すぎているアイソドシンクの指摘に、レクシアは悔しそうにした後でぷいっとそっぽを向いた。
そんなレクシアを『可愛いなぁ』と思いつつ、蒼汰はずっと気になっていたことを左腕の核神に問うことにした。
「君は、《空間》の核神、でいいんだよな?」
シロームはコクリと頷く。
「そう。《時間》のクロちゃんとは対の核神」
「ふむ。空間ていうと、つまり……俺達が居る“ここ”ってことでいいのか」
「ここもそう。あとはここ以外も。蒼汰に分かりやすいように説明すると、“物質や現象が存在し得る全ての場所”が空間なの。だから宇宙の中も外も、全部が空間なんだよ」
なるほど、頷きながら蒼汰は、確認の意味を込めて呟く。
「ということは俺も――」
「そう、蒼汰は私の中にいるんだよ」
真っ直ぐに目を見つめられてそう言われた蒼汰は、少し顔を赤くしてフリーズした。
それを怪訝に思ったレクシアが口を開く。
「葵蒼汰、どうかしましたか?」
我に返った蒼汰は少し慌てて。
「え、あー、いや……ちょっと男としては来るものがあったなぁと……」
蒼汰の言葉の意味が理解出来なかったレクシアは首を傾げていた。
「あの、それよりさ、二人ともすごい当たってるんだけど……」
どことなく気恥ずかしそうに言う蒼汰に、両脇の核神は顔を見合わせた。
「当たってるって、何がです?」
代表してアイソドシンクが聞く。
「いやほら……胸がさ」
目を泳がせている蒼汰に小首を傾げながら、今度はシロームが。
「胸? 当たっちゃダメだった?」
二体の核神はそれの何がいけないのかが本当に理解出来ないようだった。
それもそのはずである。彼女らは外見こそとてつもない美少女だが、その中身は人間社会には縁の無い神様なのだ。
自らの女性らしい体つきが、男子学生の精神衛生どれほどの影響を与えるかなど想像だにもしない。
ちなみにアイソドシンクの胸は程よい大きさと柔らかさを備えている、といった感じだが、シロームのはサイズがその1.5倍ほどある。
身長はアイソドシンクとそう変わらなく、顔立ちはむしろ幼く見えるというのに、左腕が食い込んでいるその暴力的な柔らかさがギャップを生じさせ、蒼汰の男としての本能をチクチクと刺激していた。
「だ、ダメに決まっています! やはりすぐに離れてください!」
唯一人間社会に精通しているレクシアだけが事の重大さに気付いている。
故に蒼汰に代わって立ち上り気味に答えたレクシアだったが。
「シアには聞いてない」
「シア様には聞いていません」
《存在》の核神の威厳は全く効果を出さず、二体の核神は離れるどころか一層強く蒼汰しがみついた。
「大体、アイソドシンクはともかく、シローム! あなたは人間を怖がっていたんじゃないのですか?」
「そうですが……実際に話してみたら核神とそんなに変わらないし、それに温かいので悪くないなぁって」
少し照れ臭そうに言うシロームはとても可愛らしかったが、しかしそれに見とれていては話が進まないと思った蒼汰は、かぶりを振って軌道修正を試みることにした。
「なぁ、とりあえずこのままで良いから本題に入らないか?」
だが残念なことに。
「ダメです。このままでは私が話に集中出来ません」
実はこの場で一番冷静ではないレクシアに、拒絶されてしまった。




