第49話 自分語り 楸編
ずっと目が合っている。
葵蒼汰は先程せっかく乾かしてもらった服をまた濡らしながら、歩く中でずっとそれを意識していた。
刺さるような視線。
自分の視線と一致している。
その先に居る少女の顔に、表情はない。
ただ目に、虚ろな光が灯っているのだが、流石にこの距離では人間である蒼汰にそれは気付けなかった。
「よう、また会ったな」
目測二メートル辺りまで近付いて、蒼汰から声を掛ける。
と、左右に垂らした緩い三つ編みが可愛らしい少女――音織楸は嘆息した。
「はーあ、お兄さん。お互い深く関わらない方がいいって言ったのに、どうして来ちゃうかなぁ……」
「まあ、俺が気になったっていうのもなくはないけど、連れ二人の立場的に放っておけなかったみたいだ」
「ああ、あの可愛い二体の核神ね。まあ核神は皆可愛いみたいだけど。お兄さんのパートナーはどっち?」
「白い方」
「そっかそっか。あの子は表情乏しそうだなぁ。まあお兄さんにはお似合いかもね」
「どういう意味だよ」
「お兄さんは考えてることがすぐ顔に出そうだからね。ほら、今は悲しそうな顔をしてる。なんでだかは知らないけどさ」
「お前は……」
「ん?」
「お前は、《時間》なんだろ?」
「ん、ご名答。まあ分かるか。下を見てきたんだろうし、昨日のこともあるもんね。そう、私は《時間》の核神と同質化してる。それが?」
「悪いけど、ひねた言い方は得意じゃねえから単刀直入に言う。時間を止めるのを、やめてくれ」
「ごめん、それは無理」
どこか大人びた雰囲気のある少女は、微笑みながら即答する。
「なぁ、なんで時間を止めるんだ? そうしなきゃいけない理由でもあるのか? だったら話してくれ」
「嫌だよ。関係ないでしょ、お兄さんには」
「関係あるだろ、ここは俺の生きる世界でもあるんだから」
「言うことがでかいね。そこまで言うなら話してあげてもいいけど、私の答えは変わらないよ?」
「分かった。じゃあとりあえず聞くよ」
仕方ないなぁ、と呟いてから。
音織楸は少し長い話を始める。
「私にはお姉ちゃんが居るんだ。可愛くて、笑顔が素敵で、そして何よりも声が綺麗で歌がとても上手で。
音織柊榎。名前くらいはお兄さんも聞いたことあるんじゃない? 少しの間はテレビとか出てたしね。
あ、やっぱり知ってた? そっか。
関係ないけど、お母さんの名前は椿(つばき
)っていうんだ。音織椿。そしてお姉ちゃんが柊榎だから、妹の私は余ってた木偏に秋の楸。残り物には福がある、なんて言うけど、この名前で良いことは無かったな。初めましての人は大体読めないし。まあしいと言えば、語感は好きだよ語感はね。
そんな余り物の私は、特にこれといった才能には恵まれなかった。暑い夏もクールな冬もお姉ちゃんに持っていかれたように、才能という才能は全部お姉ちゃんに注がれたように、そう思える。
お姉ちゃんは歌が際立って上手かったからあまり目立たなかったけど、勉強も人よりできるし、運動神経も良いんだよ。完璧人間かってね。
ああ、私はどっちも平均以下。まあ努力が足りないだけかもだけど。困らないから別にそれはいいんだ。
姉妹にそんな差があってもね、私はお姉ちゃんを羨ましく思ったことも、妬ましく思ったこともないんだ。これは本当に。
でもそれは不思議でもなんでもなかったんだよ。
だって私がお姉ちゃんのことを大好きだったから。
お姉ちゃんは、そんな出来る人なのに全然気取らないんだ。それですっごく優しい。
特に私のことはずっと気にしてくれてた。そんなんじゃさ、そりゃあ嫌いになれるわけないよね。
そ、小さい頃からずっとお姉ちゃん子だった。
それだけの話だよ。
だからお姉ちゃんの歌が大人の人の目に留まって、それでお姉ちゃんが芸能界に入ってからも、きっと私が一番のファンだったって自信を持って言えるよ。
そんなお姉ちゃんがね――」
そこで楸は言葉を詰まらせる。
俯く。
しかしすぐに顔を上げた。
「今入院してるんだ、この病院に。
有名なちょっと重い病気でね。発覚したのは去年の秋頃なんだけど、もう症状は結構進んじゃってて……。
お姉ちゃんはまだ諦めてないよ。もちろん私も。でもね、現実が厳しいことも知ってる。
お姉ちゃんは、どんどんやつれていくの。薬の副作用はやっぱり重いらしくて、髪の毛も抜け落ちちゃって。
それでも笑うの、お姉ちゃんは。私が居ないときは泣いてるくせに、私が顔を見せると絶対に笑うの。格好悪いところを見せたくないっていう気持ちなのかもしれないけど、無理しないでよ、って思う。
格好悪くなんてない。お姉ちゃんはずっとずっと素敵なのに。
本当に嫌だった。
大好きなお姉ちゃんが病気に苦しんでるのに、こんな何の取り柄もない私がのうのうと生きているのが本当に嫌だった。
なんで?
なんでお姉ちゃんなの?
どうしてお姉ちゃんの未来を奪うんだよ?
私でいいじゃん、誰かの役に立つ能力も無いし、夢も別に無いんだからさ。
心の底から代わってあげたいと思った。
違う、“代わりたい”と思ったよ。
私の命でお姉ちゃんが助かるならそれで全然いいと思った。
けど、なんでかなぁ。現実は本当に融通が効かないんだ。病気を移せる方法が、どうしてないんだろうね。
ほんと、やるせないよね。
私は絶望した。
お姉ちゃんの症状は治療の甲斐なく進んでいくし、私は無能のままだし。お姉ちゃんが無理して笑ってくれるのにそれに笑い返せない自分にも、本当に腹が立った。
そんな時だった。
神様を見たのは。
お姉ちゃんは今でも歌うんだよ、辛くても、いつか病気を治して誰かの心に大切な想いを届ける為に。
病院の屋上――そう、ここでね。
ほんの一週間前。
あの日は晴れてた。
お姉ちゃんに頼まれて、車椅子を押して一緒に屋上に言ったの。ああ、車椅子の軽さがまた辛いんだ。
お姉ちゃんはいつも通り歌を歌うんだけど、私はそれを聞いてると泣いちゃうから、『飲み物を買ってくるね』って言って席を外した。
そうして少し時間を潰して屋上に戻って、まだ歌ってるなぁってドア越しに思って。
ちょっと様子を見ようとして少しドアを開けたら。
居たんだ、そこに。
《時間》の核神が。
もちろん最初はそんなこと知らなかったけど、普通の人間じゃないことはすぐに分かったよ。まず色合いがおかしいしね。まあそれだけだったらコスプレっていう可能性があったけど、宙に浮いてたから私は確信したよ。どうやらお姉ちゃんには見えないみたいだったし。
ピンクい神様はどうやらお姉ちゃんの歌に聞き入ってたらしい。
私はやっぱりお姉ちゃんはすごいなぁって思った。
私が話し掛けるとその神様は驚いたみたいだった。
まあ私も、なんで私にだけ見えてるのかなーって疑問に思っていたけど、後で聞いたら私は干渉者っていう特殊な人間らしいね。そう、お兄さんと一緒。
そして私は、そのただ者じゃないピンクい人が《時間》の神様だと知った。運命だと思った。
なんの取り柄もなかった私が核神と関わることが出来て、そしてそれが《時間》ともなれば、きっとそれはお姉ちゃんを助ける為だと思った。
だから率直に、私はお願いした。
お姉ちゃんの時間を止めてって。
うん、お兄さんの言いたいことは分かるよ。お姉ちゃんの全部を止めちゃったら意味無いよね、歌えなくなっちゃうし。
だから私はちゃんと考えたよ。足りない頭でね。
まずは、お姉ちゃんの身体の病気に掛かっている部分だけを止める。そうしてその細胞が動かなければ、お姉ちゃんの身体は治ったようなものだから。
でもそれだけじゃ、お姉ちゃんは自由になれない。
身体に悪性の部分が残っていれば、この病院からの退院は許されない。
だから、お姉ちゃんを外に出した後で、この病院の時間を止めることを私は思い付いた」
「けど、それじゃあ……」
そこで初めて蒼汰は、この話に口を挟んだ。
挟まずには居られなかった。
「お兄さんの言いたいことは、もっともだと思う。
でも私は、お姉ちゃんの為なら他の誰の時間を凍結しようと厭わない。
それくらいに私にとってお姉ちゃんは、大きな存在なの」
生きる理由と言っても良いくらい――と言う。
話は終わりらしい。
少女は蒼汰の顔を何も言わずに見つめている。
長々と吐露された少女の物語に、それでも蒼汰が言いたいことは一つだけだった。
「もう一回言う。時間を止めるの、やめろ」
楸は溜め息を吐く。
「だから、嫌だって。今の話の流れで良いって言うわけないでしょ?」
「それでもだ。お前の姉ちゃんの辛さもお前の苦しみも俺には分かんねぇ。でも、一人の未来の為に他の誰かの時間を犠牲にして良い訳はないはずだ」
「それを承知の上で、私は時間を止める」
「なんで……どうして分からないんだ! 俺はお前のことも――」
「それも、分かってるよお兄さん。でも、だから、言ったでしょ。私の命でお姉ちゃんが助かるならそれでいい、って」
「お前は……もっと周りを見た方がいい。お前の親はどうなんだ? 姉ちゃんが助かったってその代わりにお前が死んだら、悲しむに決まってるだろ」
「んー、どうかな。出来損ないの私よりもお姉ちゃんが生きててくれた方が、きっとお母さんもお父さんも嬉しいよ」
「そんなわけ、ねえだろ……。じゃあ、俺はどうなんだ」
「へ? お兄さん? お兄さんなんか関係あるの?」
「今、こうして話してるだろ。俺はもうお前を知ってる。もう繋がってるんだよ。そんなお前が死んだら、俺は悲しいよ」
「そう、なんだ? ふーん……お兄さんは優しいんだね。まだよく知らない私の為に悲しんでくれるなんて。でも、ごめん。そこは私の気持ちを汲んであげてね」
まるで他人事みたいに言う。
そんな楸に、蒼汰は我慢が出来なかった。
「じゃあ! …………お前の姉ちゃんはどうなんだ? 自分の為に可愛い妹が命を捨てたとして、それで生きて、心の底から嬉しいって思えると思うのか? お前の大好きな姉ちゃんは、そんな人間なのか?」
「それは……」
楸は言葉を詰まらせた。
想像することが出来なかった。
私が死んだ後。
あのお姉ちゃんはきっと悲しむ。
泣く。
私の為に泣いてくれる。
それがもし、自分の為に死んだと知ってしまったら。
そうしたらきっと、あのお姉ちゃんは胸を張って生きることはないだろう。
それは嫌だなぁ。
お姉ちゃんの歌が悲しいものになったら、嫌だなぁ。
でも――。
「俺の友達にもそういう奴が居るんだ」
急に蒼汰はそんなことを言い出す。
「あいつは姉ちゃんが自分を生かす為に死んじまって、それで自分は生き延びちまった。そのせいで、生きることに後ろ向きになってる」
「うん……けど、そのお姉ちゃんの気持ちは分かるよ。だって、もし生きることに後ろ向きになってしまうとしても――」
もう、楸の目に迷いはなかった。
「大好きな人が死んじゃうよりは全然良いもん」
今度は、蒼汰が言葉を失う番だった。
「あ、向こうもそろそろ終わるみたいだね」
空の方を仰ぎ見て言う。
「それじゃあね、お兄さん。今日のところはこの辺で。明日が本番だからさ、明日はお願いだから、邪魔しに来ないでね。私の気持ちは変わらないから」
気付けば。
少女の姿は跡形もなく消えていた。




