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矛盾だらけのアイソドシンク ―The World of Paradox―  作者: 天崎澄
第二章 時間乱流編
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第43話 偶発的接触事故

 壁に掛かっている時計の針が動いていないくらいなら、それは電池切れでもすればまああり得る現象なのだろうが。

 だがしかし、人間に電池はない。


 そうこのフロアには人間が居たのだ。

 微動だにしなかった為風景と同化し、蒼汰はすぐに気付けなかったが。

 羅列した長椅子に座っていたり、カウンターの向こう側で誰かの診察券を見ていたり、歩いている途中だったり。


 病院の普通の日常を切り取って写真にしたらこんな感じかな、と思えるような景色が、そこには広がっていた。



「気付かなかったのですか? この病院の敷地に入る時、時流変速膜(レデュースウォール)を潜りました」



 唖然とする蒼汰にレクシアが言う。



「れでゅーすうぉーる?」



「蒼くんが昨日話していた、『なにかを潜ったような感覚』というのが恐らく、それを潜ったのだと思います。今日は雨の中を走っていたから気付かなかったのかと」



 ああ、あれか――と、蒼汰は昨日経験したことを思い出したが、厳密にそれがどういうものなのかは理解していない。

 それを察したアイソドシンクは説明を始めた。



「一定の範囲内の時間だけを遅く、或いは早くした時、その内外では時間にズレが生じることになります。そのズレによって空間同士の境界線に摩擦が起きてエネルギーを発生させます。その力場は通過するものに抵抗力を働かせるので、不思議な感覚がするのです。そしてその力場のことを、私達は“時流変速膜(レデュースウォール)”と呼んでいます」



 なるべく丁寧な説明を心掛けたつもりのアイソドシンクだったが、それでも蒼汰はまだ首を捻っていた。



「うーん……分かったような?」



「別に今理解する必要はありません。とにかく今は上に向かいましょう」



 先程の出来事を引きずっているのか、レクシアはどこか冷たくそう言うと、少年ともう一体の核神に進むように促した。



 止まった時の中を進み始めて少しすると、フロアの奥の方に、上に行く階段を見つけた。



「ここから上に行けますね」



 真っ先にレクシアがその階段に足を掛け、蒼汰、アイソドシンクもそれに続いて上っていく。

 踊り場まで十三段くらいの階段の、その真ん中あたりに差し掛かった時だった。



「うわあっ!?」



 蒼汰は階段を踏み外してしまい、バランスを崩しその身体は後ろへと大きく傾く。


 お、落ちる!――と蒼汰は思ったが、その後頭部になにか柔らかいものがぶつかって、そして蒼汰の身体は落下することなく受け止められていた。



「大丈夫ですか、蒼くん」



 後ろを歩いていたアイソドシンクが、蒼汰の頭と上半身を抱き締める形になっていた。

 自分の頭がそのほどよい大きさの胸に埋まっていることに気付いた蒼汰は、急に心臓の鼓動が早まるのを感じた。



「お、おう……ありがとう」



「いえ」



 すぐ近くに見えるその表情からはいつも通り感情が読み取れないが、ただ綺麗だなぁ、蒼汰は思う。



「まったく、何をしているのですかあなたは」



 先を歩いていたレクシアも騒ぎに足を止め、少し上から密着する二人を見下ろしていた。

 こちらは分かりやすく呆れ顔である。



「あはは……ごめん」



「こんなことでは先が思いやられ――きゃあ!?」



 突然レクシアが悲鳴を上げた、と気付いたときにはもう遅い。

 二人の方に身体を向けていたレクシアは、突如身体を支える足場を失って、その結果未だアイソドシンクに支えられ身動きの取れない蒼汰の方へ倒れることになった。



「いやぁぁぁぁぁ!」



 ぽふん。

 と、レクシアの身体には思ったほどの衝撃はなかった。

 だが何か柔らかめの板のようなものが顔に当たった感触は確かにあって、レクシアは反射的に閉じていた目を恐る恐る開けた。



「大丈夫かー?」



 すぐ近くで声がして、レクシアが顔を少し動かすと、そこには蒼汰の顔があった。



「ひゃっ!? あ、あなたは何をしているのですか!?」



「いや、俺は動いてなくて、お前が上から降ってきたんだけど……」



 そう言われ、自分の身体の状況を確認するレクシア。

 確かにこの体勢は、レクシアから抱きついた以外の何ものでもなく、そしてレクシアの頭は蒼汰に胸元にすっぽりと収まっていたのだった。


 それに気付いたレクシア顔がみるみるうちに赤く染まる。


「は、離してくださいっ」



「うーん、でも俺達完全に体勢崩してるし、このまま一旦シンクに下まで引きずってってもらった方がよくないか?」



「あ、う……」



 正論過ぎて、レクシアはなにも言えなかった。



「では、このまま後ろに下がりますね」



 話を聞いていたアイソドシンクは、ゆっくりと後ろに動き始めた。


 その時蒼汰はこう思った。


 これ、今俺とレクシアの体重のほとんどがこいつに掛かってるのに、こいつは全然余裕だよな……。

 やっぱり、核神の身体能力って人間とは全然比べ物にならないんだろうなぁ――と。


 一方でレクシアは。


 ぅああ……近い近い!

 ……けど、男の人の胸ってこんなに広いんだ……なんか温かくて落ち着くような……。

 ってなに考えてるんですか私!


 情緒不安定だった。



「はい、着きました」



 下に到着すると、ようやく蒼汰とレクシアは体勢を立て直すことが出来た。



「けど……一体どういうことだ、今のは」



「え、ええと、そうですね……」



 なぜかレクシアがドギマギしていた。



「恐らく、空間にズレが生じていますね」



 いつも平静なアイソドシンクが代わりに答えた。



「空間に、ズレ?」



「あれを見てください」



 アイソドシンクの細い指が示す方を見る。

 それは今上っていた階段だったが、特におかしなところはない。



「ん、あれ?」



 しかしふと視界に違和感を感じ、蒼汰は手で目を擦った。

 そしてもう一度階段の方を凝視する。


 やっぱりおかしい。

 なぜだか視界が定まらない、というかずれるのだ。



「それは視界がずれているのではなく、見ているものの位置がずれているのです」



 蒼汰の思考を察して、アイソドシンクが先に説明をした。

 しかし人間である蒼汰にはその現象が今一つ理解できない。


「え、いや、階段がずれるわけないだろ?」



「厳密には、『階段がずれている』のではなく、『階段のある空間がずれている』のです」



「うーん……」



 と、蒼汰が頭を悩ませた結果。



「それどういう状況?」



 結局理解できなかった。



「蒼くんに分かりやすく説明しましょう。今、ここに空間があります」



 いきなりそう言うと、アイソドシンクは両手をパーにした状態で前に突き出した。『小さく前へ習え』みたいな感じだった。



「例えばこの空間をこう――」



 と言いながら平行に並べて左右の掌を、ぴたんとくっ付けた。



「――いう風に縮めたとします。すると、その周囲の空間はどうなると思いますか?」



「えっと、その縮まった空間の周り、ってこと?」



「そうです」



「んー……伸びる?」



「半分正解です。流石蒼くんですね」



 ほぼ勘だったし半分しか正解していないというのに、《矛盾》の核神は相棒に甘かった。



「ある程度はそうです。蒼くんが言ったように手と手の間の空間が縮んだ分、周りから引き伸ばされます。そしてそれと同時にある程度は、引っ張られるんです」



「引っ張られる?」



「はい。縮んだ分の半分くらいは伸びるので、その分は周りに影響しませんが、もう半分、引っ張られた分周囲の空間にはズレが生じます」



「なるほど……分かった気がする」



「本当ですか?」



 傍らで黙って一緒にアイソドシンクの講座を聞いていたレクシアが、蒼汰に疑いの目を向ける。



「本当だって! 要するに、ゴム紐で物を引っ張ったら伸びるけど動く、みたいなことだろ?」



「そういうことです」



 と頷くアイソドシンクは、相棒の理解の早さに満足げだった。



「まったく、アイソドシンクは甘いんですから……。まあ、お勉強の時間はその辺にしときましょう。問題はどうやってこの状況を打開するか、です」



「確かに、こんなに頻繁ずれるんじゃ危なくて上れないよな。さっきみたいなことにもなりかねないし」



「そ、そうですね。由々しき事態です……」



 何気ない蒼汰の言葉さっき出来事を思い出し、レクシアはまたほんのり顔を赤くしていた。



「しかし……こんな現象を引き起こすなんて、上にはどんな核神(コンセプター)が居るんだ?」



 沈黙が、起きた。


 アイソドシンクもレクシアも、黙って蒼汰の顔を真顔で見つめている。

 そのまま何も言わない二体に、蒼汰は『あれ?』と思う。



「あの俺、なんか変なこと言ったかな?」



 あまりの静寂に時間が止まったような気さえして、というかまあ止まっているのだが、蒼汰は冷や汗をかいていた。



「いえ、その……」



 ようやくアイソドシンクが言いづらそう口を開いた。

 そしてそれに続いてレクシアが、ハッキリと言う。



「まだ気付いていなかったのですか?」



「え? 何に?」



 蒼汰のとぼけた様子に、レクシアは溜め息を吐いた。

 だがアイソドシンクは、そんな蒼汰にも呆れる様子はなく、優しい眼差しで蒼汰に声を掛ける。



「蒼くん、上に居る二体の核神ですが――」



 蒼汰はごくりと生唾を飲み、心して聞く。



『《時間》と《空間》の核神(コンセプター)、クロナとシロームです』



「ああ!」



 時間と空間。

 今までの現象とやりとりを思い出してみれば、蒼汰にとってこんなに腑に落ちることはなかった。




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