第42話 ビークワイエット
「傘持ってくるんだったなぁ……。そういえば今朝の天気予報で降るって言ってたっけ」
大きな病院の玄関に入ってすぐ、左手に受付のカウンターがあり、それと平行になるようにホールには皮ばりの長椅子がいくつも羅列していた。
そこに駆け込んだ少年と二体の核神は、突然降り始めた雨に服と身体をびっしょりと濡らしてしまっていた。
屋内に入った為これ以上雨に濡れることはなくなったが、三者とも濡れた衣服は心地悪いらしく、程度の差はあれど皆顔をしかめていた。
この大病院に入ったのは雨宿りの為ではない。
レクシアの感覚領域によれば、例の核神の反応は、この上の方にあった。
であるから、蒼汰達はここから上を目指さなければならないのだが。
「私達は別に大丈夫ですが、蒼くんは風邪を引いてしまうかもしれませんね」
アイソドシンクは絹糸のような髪から水滴を垂らしながら無表情にそう言うと、何気なく蒼汰の胸に手を当てた。
「え、なに?」
「少しじっとしていてください」
アイソドシンクが上目遣いで蒼汰を制したその直後、屋内にも関わらず先程のレクシアと同様に、アイソドシンクの周囲に風が吹いた。
壁に貼られているお知らせか何かの用紙が揺れて音を立てた。
すーっと。
爪先から頭のてっぺんまでを何かが通り抜けたように感じたのも束の間。
「うわっ、なんだこれ!?」
ついさっきまで濡れていた蒼汰の服が、もう乾いていた。
「『吸水したのに濡れていない』という矛盾を起こしたんです」
「おお、なるほど。シンクありがとな」
「いえ、蒼くんのパートナーとして当然のことです」
顔にこそ出ないが、アイソドシンクはどこか誇らしげだった。
「もういいですか? 先を急ぎますよ」
「え、お前らは乾かさなくていいのか?」
問われたレクシアは進行方向に向けていた身体を蒼汰の方に向き直す。
「私達核神は風邪にかかることなどありませんので、その必要はありません」
「…………」
なぜか反応をせずに一点を見つめる蒼汰に、レクシアは怪訝な表情をした。
「どうかしましたか?」
「あ、いや……」
何か目が離せないものでもあるのか、未だに視線を逸らさない。
そんな蒼汰を不思議に思ったレクシアはその視線を目で追い、結果うつむくことになった。
レクシアの目に映ったのは、自分のバストだった。
「ひゃあっ!? あなたは、何を見ているのですかっ!」
レクシアは顔を赤くして狼狽した。
それもその筈である。
レクシアが今日着てきたお気に入りの白いワンピースは、全くその衣服としての機能を果たしていなかったのだ。
水に濡れ、暖を取れないだけでなく。
水に濡れ、レクシアのしなやかな身体と青色の下着を、透かし見せていた。
「あ、いや、ごめん! つい男としての本能が!」
謝りながらも、そのとてつもなく魅力的な光景に蒼汰の目は釘付けだった。
「いいからこちらを見ないでください! アイソドシンク、私の服も早急に乾かしてください!」
「先程必要ないと言っていませんでしたか、シア」
「訂正します! 服が乾かなくてはこれ以上先に進めません! なので早く!」
「はあ、まあそう言うのでしたら」
あまり納得していない様子のアイソドシンクだったが、それでもやむなしといった感じでレクシアに近付き、その胸元に手を翳す。
程なくして、レクシアの衣服はその機能を取り戻した。
「ふぅ……よかった」
と、安堵の息を吐いたレクシアだったが、その目はすぐに蒼汰を捉えた。
「葵蒼汰」
「は、はいっ!」
睨まれた状態で名前を呼ばれた蒼汰は、反射的に“気を付け”姿勢を取ってしまった。
「さっき見たものは忘れなさい」
「…………」
「忘れなさい」
「はい……」
縮こまって頷く蒼汰に、ひとまずこの件は終わりにしようとレクシアが『ふぅ』と息を吐く。
その一方で蒼汰は、絶対忘れられない――と早速さっきの光景を思い浮かべていた。
そしてようやく落ち着いて、一人と二体は辺りを見回した。
「なんか、静かじゃないか?」
その疑問を唱えたのは蒼汰だったが、後の二体はそれ対してキョトンしていた。
「あれ、なんか変なこと言った?」
「あ、いえ、変というか――」
アイソドシンクが途中まで言ったことを、レクシアが引き継ぐ。
「何を当然のことを言っているのですか、あなたは」
「へ?」
今度は蒼汰がキョトンする番だった。
「「だって、時間が止まっていますから」」
二体の核神の声が重なり、それでも真水のような透明感を失わない音が蒼汰の耳に届き。
そしてその音が鼓膜に残響しやがて跡形もなく消えた後でようやく、蒼汰は気付く。
またしても。
世界から、音が消えていた。




