第37話 一日花
知らない道を歩くことに不安を覚える人間は少なからず存在するであろう。
だが葵蒼汰も千散儚も、それには当てはまらなかった。
直進するはずだった分かれ道を右に折れて住宅街に入ってから、ほんの少しだけ儚のテンションが上がったような気がして蒼汰のテンションも自然に高くなった。
「あ、黒猫だ」
歩いていく先の塀の上にそれを見つけて蒼汰が呟く。
「本当ですね、可愛い」
「へぇ、お前でも可愛いとか思うんだな」
「可愛いものは、可愛いと思いますよ普通に。おかしいですか?」
「いや、ちょっと意外だっただけ」
「そうですか」
そこで会話が一度途切れたのがきっかけだったかどうかは分からないが。
「あ、そういえば」
蒼汰はあることを思い出した。
急に肩に掛けた学生カバンのファスナーを開けると、中から掌に乗るくらいの紙袋を取り出した。
「なんですか、それ」
見当がつかずに首を傾げる儚に向かって、蒼汰はそれを持った手を差し出す。
「へ?」
「いや、プレゼント」
「なぜです?」
貰う理由にも心当たりはない。
「言ってただろ、誕生日だったって」
「言いましたが、そんなつもりでは……」
儚は差し出された小さな袋を受け取っていいものか、戸惑っていた。
「分かってるよ、そんなこと。ただ俺があげたかっただけだから気にすんな」
「ですが……」
「いいから。それとも、これ貰ったらなにか困ることでもあんのか?」
そう言われると。
「ない、ですね」
そう答えるしかなかった。
「だろ? とゆーわけで、ほら」
なかなか手を出さない儚にしびれを切らした蒼汰は、左手で儚の手を持ち上げると、半ば強引にそのプレゼントを握らせた。
「ありがとうございます……。誕生日を、生まれたことを祝ってもらったのは初めてで、少し戸惑っています」
「え、そんなことは――」
ないだろ、とは言えなかった。
先日聞いた儚の過去を思えば、そういうことがあっても不思議じゃないのかもしれない。
蒼汰はそう思ってしまった。
だから、言葉を変えることにした。
「えっと、初めてが俺で、その悪かったな……」
蒼汰としては精一杯気をつかった言葉だったのだが、儚はそれに対してまたしても首を捻った。
「どうして謝るんですか?」
「いや、記念すべきお祝い第一号がストーカーだなんて、千散としては嫌だったかなぁと思って……」
「そんなことですか」
そんなこと、と言った。
「いいですよ、気にせずとも。どうせ私の誕生日を祝ってくれる人なんて、葵さんが最初で最後でしょうから」
「そんなことはないだろ」
今度はちゃんと、言うことができた。
「ありますよ。私は基本、人と関わることを拒絶していますから。幼少期で懲りました。ですから、今私と一番深い関係なのはあなたなんですよ、葵さん」
ストーカーと被害者としてですが、と余計な一言を忘れずに付け足す儚に、蒼汰は辟易する。
「これ、開けてみてもいいですか?」
蒼汰から受け取った小さな袋を示して言う。
「ん、ああ、いいよ」
蒼汰の返事を受けて、儚が几帳面に袋の口を留めているシールを綺麗に剥がして、中のものを取り出す。
「これは、ヘアピンですか?」
掌の上の、青い花の飾りがあしらわれたヘアピンを儚がまじまじと見る。
「うん。いつもつけてるその桜のヘアピンも可愛いけど、さっき偶然アクセサリーショップで見掛けて、青もいいなぁって思ったからさ。けど、青い桜なんて珍しいよなぁ」
「あの、これ桜じゃないですよ?」
「へ?」
「見てください、花弁が六枚あります。桜の花弁は五枚が一重で、ですから桜の飾りも普通は五枚の花弁で作られるんです」
「本当だ、六枚ある……」
蒼汰がプレゼントしたヘアピンの花弁は六枚。そして儚の着けている桜のヘアピンの花弁は五枚だった。
「じゃあ、これはなんの花なんだ?」
「知らなくてこれを選んだのが少し驚きですが……」
と少し呆れたように前振りをして。
「これは恐らく、水葵の花です」
「ミズアオイ?」
「はい、ミズアオイ科ミズアオイ属の花です。葵さんの名字でもある葵という植物に葉っぱが似ていて水辺に咲くので水葵というそうです」
「へー、それはすごい偶然だな」
「そうですね。私はてっきり、これを俺だと思って肌身離さず持っていてくれ、という意味なのかと思いましたが、桜と勘違いしていたのならそっちの方が葵さんらしいです」
「む、どういう意味だそれは」
「いえ、特に深い意味は。それより、ありがとうございます、気に入りました。これも私っぽいと言えばそうですし」
今度は蒼汰が疑問を覚える番だった。
「気にいってくれたのは嬉しいけど、千散っぽいってどういう意味?」
「水葵の花は一日花なんです」
「いちにちばな?」
蒼汰としては初めて聞く言葉だった。
「はい。一日花の花は、咲いたその日の内に枯れてしまうんです。その名前の通り、一日しか咲かないんです」
「なるほど……なんていうか、儚いな……。あ、そういう意味か」
「そういう意味です」
千散儚っぽさというのは。
「それに、絶滅危惧種でもありますしね」
「あ、そうなんだ……」
絶滅危惧種を自分らしいとして喜ぶ儚を、蒼汰は『歪んでるなぁ』と思いながらも、なぜかどこか好感が持てた。
「しかし、お前花に詳しいんだな」
「変ですか?」
「変じゃないけど意外かな。花とか、好きじゃないかと思ってた」
「別に特別好きというわけではないですが、興味深いです。どうして散るのに花は咲くんだろう。そう考えていると、なんか尊いもののような気がして」
それを好きというんじゃないだろうか。
と蒼汰は思うが言わない。
「こんな風に散歩していると、いろんな花に出会うんです。その度にそれがなんの花なのかを調べていたら、いつの間にか詳しくなってて」
「なるほどね」
一人で歩きながら、出会った花をスマートフォンで懸命に調べている儚を想像すると、蒼汰は微笑ましく思った。
「葵さん、着けてもいいですか?」
掌の上の水葵を見ながら儚が言う。
「ああ、そうしてくれると嬉しいかな」
「では」
そう言って歩く足を止めると、儚は桜のヘアピン少し下に、蒼汰はからもらった水葵のヘアピンを挿した。
「どうでしょうか?」
自然と上目遣いの儚に内心ドキッとしながら。
「うん、やっぱりいいよ。千散は花が似合うな」
「…………」
素直な蒼汰の物言いに、儚なぜか俯いてしまう。
「どうした?」
「あ、いえ……ごめんなさい。褒められるのに免疫がなさすぎて照れました……」
なんだこの可愛い女子!
ぎゅってしたくなる衝動。
蒼汰は理性を武器に本能と戦っていた。
そんなこととは露知らず、儚は。
「たまにはこういうのも悪くない、ですね」
そう言って足早に歩き出す。
どうにか本能を打ちのめした蒼汰も、慌てて後を追う。
「あっ、待てよ千散――」
その時だった。
何かぬるりとしたものをくぐり抜けるような感覚が、蒼汰を襲ったのは。
「なんだ、今の……? なあ千散、今――」
改めて儚の方を見ると。
蒼汰はとてつもない違和感を覚えた。
千散儚は片足を浮かせて微動だにしない。
その髪も、まるで食品サンプルのようにそよ風に舞っているままで動きを止め。
それなのに風は感じられず。
そしてなによりも。
世界から、全ての音という音が、消え去っていた――。




