第32話 人間と神様のなんでもない話
私は行くところがあるので、これ以上は付いてこないでください。
千散儚に冷たくそう告げられた蒼汰は、それはやむなしと、とぼとぼと自宅に帰ってきた。
ただいま、と決まりきった挨拶を口にしながら玄関に入り、緋奈の気配があったのでとりあえずダイニングに行くと。
「お帰りお兄ちゃん。今夕飯の支度してるから、もうちょっと待っててね」
エプロン姿の妹にそう言われたので、蒼汰はひとまず洗面所で手洗いうがいを済ませて二階にある自室に移動した。
「よっ、何してんの?」
扉を開けるとそこには、肌から髪から身に纏っているものまで真っ白な少女がいた。
少女――というのは世を忍ぶ仮の姿で、本当は人間でもなければ生命ですらない。
アイソドシンク。
《矛盾》を司る神である。
概念の具現であるその神々の通称を、核神という。
「退屈をしています」
絨毯の上にぺたんと座り込んだアイソドシンクは、ガラス戸の向こうのベランダのそのまた向こう、空を見ながら脱力気味に答えた。
「お役目は?」
蒼汰は部屋の隅に鞄を置き、制服のブレザーをハンガーに掛けながら聞いた。
アイソドシンクは世界を運営する核神であり、彼女達にはそれぞれの概念に対応した役割がある。
《矛盾》の核神であるアイソドシンクの場合は、肥大化した矛盾が“パラドクス”となって暴れないように、矛盾を回収することがその役割であるはずだ。
「ああ、それもしてはいるのですが。微細な矛盾であればわざわざ出向く必要もないので、結構暇なんです」
心底気怠げに言うアイソドシンクに対して、蒼汰は一つの疑問を覚えた。
ひとまずベッドに座り、聞いてみることにする。
「それはパラドクスじゃなければ、遠くで発生した矛盾をここで回収出来るってことか?」
「そうです。内職です」
「人間に合わせた表現をどーも……」
「いえいえ」
「じゃあ、逆に言えばパラドクスは直接回収しなきゃいけないのか。ああ、だから緋奈を回収するためにうちまで来たんだ」
「そうです。まんまと蒼くんに邪魔されてしまいましたが」
「邪魔って……」
「いや、冗談ですが」
「頼むから真顔で冗談言うのやめてくれ。分かりづらいからさ……」
「それはすみません。表情筋の働きが悪くて」
「自分の表情の乏しさを表情筋のせいにするんじゃねーよ。…………ん、あれ?」
「どうかしましたか?」
ここに来て蒼汰は重大なことに気付いた。
「いや……もし今パラドクスが出たらどうすんのかなー、って……」
「それはまあ、回収に向かいますが?」
「うん……でも、お前俺と五キロ以上離れられないんじゃなかったっけ?」
「ああ――」
なんだそんなことを心配していたのですか。
とでも言いたげな顔で核神は。
「もちろん蒼くんも一緒に行きますよ?」
「なんだそっかぁ! じゃあ大丈夫――じゃねえよ!?」
気がふれている少年を、初雪色の神様はキョトンとして見ていた。
「いや“きょとん”じゃないから! え、待って? えっと、あれか? パラドクスってこの近辺にしか出ないとか?」
「パラドクスは世界各地に神出鬼没です」
「だよねー……。あのさ、いや、パラドクスが危険な存在なのは分かってる。ほっとくと危ないっていうのも理解してるよ。でも俺にも生活っていうのがあるからさ……こう世界を飛び回るヒーローみたいにはいかないというか……」
「蒼くん」
「へ?」
「情けないことを言っているところ申し訳ないんですが、大丈夫です」
「情けなかったんだ…………。え、大丈夫?」
「はい。パラドクスなんて、そうそう生まれませんから」
「へ、そうなの?」
「それはまあ、その為に私が居ますので」
いやまあ、よく考えればそうなのかもしれないけど。
そうは思うものの、だがそうなれば、蒼汰には当然の疑問が生まれてくる。
「じゃあどうして、緋奈は生まれたんだ? いや、生まれてくれて良かったんだけさ」
その問いに核神は、『話すと長くなりますが』と前置きをしてから。
「油断してました」
「おーい核神!」
そして長くなかった。
「いえ実は、ちゃんと理由があるんです」
「ああ……なんかやむにやまれぬ? みたいな? まあ、核神の世界には人間の俺には想像も付かない事情があるんだろうけどさ……」
「観光しちゃいました」
「人間かっ!」
待て待て、神様ってそんな感じなの?
世界を運営してるって言ってたけど、結構ずさんな管理体制じゃないか?
大丈夫か、世界。
いやでも、そうじゃなかったら緋奈は生まれてなかったと考えると……うーん。
悩んだ末、蒼汰は。
「観光しててくれてありがとう」
「お礼を言われるようなことではありません」
本当にそうだった。
むしろ糾弾されるべきことである。
「久しぶりに日本に来たので、ついつい楽しくなってしまって寺社巡りをしてしまいました」
「仮にも神であるお前がお参りとかすんなよ……」
「楽しいですよ?」
「はあ、まあいいけど……。ん、そういえば、この際だから聞いておきたいんだけど、お寺や神社に祀られてる仏様とか神様って、本当に居るの?」
アイソドシンクは『んー』と少し考えてから言う。
「居ると思う人にとっては居ますし、居ないと思う人にとっては居ません」
「どっちなんだそれは……」
「いえ、本当にそういうものですから。信じるところに神仏は生じるのです。そういう意味では、己の心に宿っているとも言えるのかもしれませんね」
「うーん、聞いといてなんだけど難しい話だな……」
「まあ、何を信じ何を仰ぐかはその人の自由、ということです」
「ん、それはそうかもな」
「多くの信仰を集めている神仏はその分存在力が高くなっていますから、『実在する』といっても過言ではないかもしれません」
「ふーん。え、お前も?」
「人間の信仰を受ける神仏と核神とでは、また性質が異なります。私達核神は天意によって存在力を与えられていますが、この世界の神や仏に存在力を与えているのは人間なんです」
「うんと、そもそも存在力っていうのはなんなの?」
「そのまま、存在する為の力です。神仏や私達核神だけではなく、存在する全てのものが持っているものです」
全てのもの。
人や動物、それに無機物さえも。
「生物の場合は、生まれた時は小さな存在力ですが時間と共に養われていき、そしてある段階を越えるとその養ってきた存在力を削りながら生き、そして存在力が一定以下になると終わりを迎えることになります」
「そういう風に聞くとすごいシステムチックでなんか嫌だなぁ……。じゃあ、幽霊とかは?」
「幽霊というのも存在形態は神仏に近いものがあります」
「……人の心が生み出してる、ってこと?」
「その通りです。亡くなった故人を悼む人の想いが生み出す存在です。ただ神仏と違い念じる人が少数なのでそこまで大きな存在にはなりません。
ちなみに、特定の人物の霊体であっても生前の記憶や人格を有しているわけではなく、あくまで悼む人の気持ちがベースなっています。ですから姿形は同じでも中身はまったくの別人です。悪霊などと呼ばれるものも、『生前恨みを持って死んでいった』などということではなく、その故人に対して何か後ろめたいことがあり祟られる不安を持つ人が居れば、そのイメージが反映され悪霊になり得ます」
「なるほどなぁ。死んで幽霊になったら自由に空を飛べるのかなー、なんて考えたこともあったけど、結局人は生きてる間しか生きられないってことか。当たり前だけど」
そんな感じで話が調度まとまったその時。
ドアをノックする音が響く。
「お兄ちゃん夕飯出来たから降りてきてねー」
ドア越しの声。
「おーう、今行くよ」
そう軽く答えて。
緋奈の足音が下に降りていくのを確認してから。
「シンク、お前飯は?」
「言いませんでしたっけ? 特別必要としないので、お構いなく。行ってらっしゃい」
「そっか。じゃあ、ちょっと行ってくる」
特に何か決めごとをしたわけではないが、行く宛のないアイソドシンクは蒼汰の部屋にいることが多い。
蒼汰としては美少女の姿で居てくれるので悪い気はしなかったが、窮屈じゃないか気になるところではあった。
部屋を出る前に一度振り返ってみると、核神はまた外を眺め、ぬるぬると降りてきた夜の帳を凝視している。
とりあえず。
戻ってくる時にお茶でも淹れてやろう、と蒼汰はほぼ無意識に思ったのだった。




