第26話 ZERO to ONE
放課後、葵蒼汰は真っ先に帰路についた。
いつもは一緒に校門まで歩く白敷叶にも『今日はちょっと急ぐから』と言って教室で別れた。
千散儚のストーキングも今日はおやすみだ。
会うことも出来なかったので、蒼汰は儚が寂しがっている想像をしてから、一人「そんなわけないか」と呟いた。
いつもはゆっくりと歩いて帰る道を足早に通り過ぎ、家に着いた蒼汰は鍵を開けるのももどかしく玄関のドアを開けた。
靴を脱ぎ、ホールを駆け、LDKに至る。
部屋のドアを開けると、ここ数日で見慣れた光景がそこにはあった。
「シンク」
「あ、蒼くんお帰りなさい。お茶、いただいています」
どうやら《矛盾》の核神は日本茶が気に入ったらしい。ダイニングチェアに腰を落ち着けて湯のみを傾けていた。部屋は夕陽が差し込んで、黄昏の様相を呈している。
「おいシンク、聞いてないんだが」
「あ、壁の説明でしたっけ。えっと――」
「いやそれはレクシアに聞いた。核神二体の感覚領域が重なると自動的に拡張現実という空間が構築される。そしてその中で起きたことは現実に影響しない、だろ?」
「そうです。レクシアにまた会ったのですか?」
「ああ、なんか学校にいた」
「真面目ですからね、あの子は」
こうなることが最初から分かっていたように、アイソドシンクは言った。
「それよりも、お前、俺から離れられないって本当か?」
その質問受けた核神の表情に、特に変わりはない。
「その事も聞いたのですか」
「同質化した核神と干渉者は、感覚領域の距離以上離れることはできない」
「そうですね」
「なんで、言わなかったんだ?」
「怒っているのであれば謝ります。ごめんなさい」
「怒ってない。俺は質問をしてるんだ、答えてくれ」
「なんで言わなかったか、ですか。その理由も意味も必要も、なかったからです」
「そんなわけ、ないだろ。だって、たったの五キロだぞ? 神であるお前には、狭すぎる行動範囲じゃないのか?」
「そうですね。でもそれでも、必要なかったと思います」
「お前が、俺の気持ちを汲んで助けてくれたってことは分かってる。でも、俺は自分だけが助かりたくはないんだ」
「それはエゴですし、偽善ですよ、蒼くん。皆が皆、何も犠牲にせずに幸せになる方法なんてありません」
「全ての可能性は否定できないんじゃないのか?」
「それでもです」
「矛盾してる」
「私は《矛盾》の核神ですから」
「……同質化を解除する方法は?」
「任意では、ありません」
「つまり、何かが起きれば勝手に解けるってことか?」
「はい」
「じゃあ、その条件は?」
「教えたくありません」
アイソドシンクが明確な拒否をしたのは、これが初めてだった。
「教えてくれ」
「……実行しないと約束していただければ」
「約束はできない。でも知って、どうするかは自分で決めたいんだ。頼む」
核神は少しの間沈黙し、湯のみの中を見つめた。
そして次に空気が震えたのは、時計の秒針が四分の一ほど回った時だった。
「私が他の干渉者と新しく同質化するか…………、蒼くんが死ぬか、です」
今度は蒼汰が黙る番だった。
静寂。
無音。
アイソドシンクは葵蒼汰を見つめていた。
葵蒼汰はアイソドシンクを見つめていた。
ガチャリと。
その静謐な時は終わった。
「お兄ちゃんただいまー! 今日は早いんだね」
そんな声が玄関から聞こえる。
葵緋奈が帰宅したらしい。
「夜、もう一度話をしよう」
蒼汰の言葉に、核神はこくりと頷いた。
* * * * *
緋奈が夕飯の後片付けをしてくれている間に蒼汰は風呂に入り、出て着替え終わった頃には緋奈の家事も一段落といった感じだったので入浴を勧めた。
緋奈が浴室に入ってシャワーの音がし始めたのを聞きながら、二階にあがり自室へと入った蒼汰はベランダに続くガラス戸を開けた。
外へ出ると、春の夜風が火照った身体に心地よい。
少しの間目を閉じて、澄んだ空気を体内に取り込みそして吐き出す。
充分に堪能したら目を開けて、そして一拍置いて、口を開いた。
「シンク」
「はい」
アイソドシンクはそこに居た。
蒼汰の立つその横に、少し距離を空けて佇んでいる。
手摺りに体重をかけ楽な姿勢をとる蒼汰に対し、アイソドシンクは直立不動でただ目の前にある宵闇を見つめていた。
「ごめん」
唐突に、蒼汰は謝った。
「俺やっぱり死ねない。死にたくない」
「死んで欲しいなんて、お願いした記憶はありません」
「でも、お前の為には俺は死んだ方がいいんだろうなって、思ったからさ」
「どうしてですか」
「どうしてって。さっきの話だと、俺が死ぬ以外にお前が自由になる方法はなさそうだったから」
「もうひとつ、ありますが」
「あー……そっちは俺が死ぬより嫌かな」
「そうですか」
優しいのですね、と言うアイソドシンクに対して、蒼汰は首を横に振った。
「そうまでして、俺が生きたくないだけだよ」
「…………蒼くん」
「ん?」
蒼汰は視線を空からアイソドシンクへと移した。
「死なないでください」
表情も、声のトーンも変わったわけではないが。
その響きには、なぜか切実なものが込められているような気がした。
「勘違いを、しないでください」
「勘違い?」
「私は、仕方がなくあなたと同質化をしたのではありません」
人間を象ったその身体で、呼吸をする。
「私はあなたとであればいいと思ったから、同質化をしたのです」
「シンク……」
それは蒼汰にとって、とても意外なことだった。
何もないただの人間でしかない自分にどうしてそんなことを言ってくれるのか、どうして助けてくれたのかが、本当に分からなかったからだ。
蒼汰は自分のことは嫌いではないが、何にもできない奴だな、と客観視していた。
朝は一人じゃ起きれないし、料理は下手で妹に作ってもらってるし、運動神経は悪いし学力は中の下だし、特別社交性があるわけでもなく、協調性は皆無で、ストーキングはするし、はっきり言ってろくでもない奴だとそう思っていた。
それでもそんな自分を、自分ではそれなり認めていたけれども、他人から認められることなんてまあないだろうな、と諦めるでもなく悟っていたのだ。
「私は、あなたみたいな人間を初めて見ました。嘘を認め、偽りを受け入れ、虚構に納得し、その上でそれを愛する人間を、私は長い時間の中で見たことがなかったんです。“矛盾”をそんな簡単に、当たり前にあるもののように扱ってくれる人間を。だから私は――」
ようやく、二人の視線がぶつかった。
「――あなたと繋がりたかったんです。あなたが干渉者でよかったです。あなたと同質化できてよかったです。そこに後悔なんて、ひとつもないんです」
アイソドシンクはいつものように無表情だったが。
その目尻からは、一筋の雫が流れていた。
「シンク、ごめん。無神経だった。俺は、お前に助けてもらってばかりで、申し訳ないと思ってたんだ。でも、核神であるお前に俺がしてやれることなんてないだろうし、だったらせめてお前の枷にはなりたくなくて……」
もどかしい。
蒼汰は思う。
結局、俺がこいつにしてやれることなんてないんだ。
そんな蒼汰の心を見透かしたかのように、アイソドシンクが腕を伸ばして、蒼汰の頭を少しだけ撫でた。
「なら蒼くん、私の翼になってはくれませんか」
翼。
翼?
「実は私には、夢があるんです」
「夢?」
「はい。蒼くん、“世界の始まりの矛盾”を知っていますか?」
世界の、始まりの、矛盾。
「なんだ、それ?」
「では、この世界がどう生まれたかを知っていますか?」
「えと、確かビッグバンがどうとか……」
「宇宙の話でも、地球の話でもないんです。広がる空間、流れる時間、それに内包される宇宙が始まるもっと以前の話です。この世界に最初に生まれたものは、なんだったと思いますか?」
「まったく分からん」
「そう、分からないんです。元になるものがなければ、空間も時間も、宇宙も地球も存在しなかったはずです。ですが、こうして存在している。であれば必ず、その元、いわゆる原材料があるはずなんです。簡単に言うと、にわとりが居なければ卵はできないし、卵がなければオムライスは作れない、ということです」
「分かりやすいな。まあ、にわとりが先か卵が先かは分かんないけど」
「そうです。そういう話なんです」
「え?」
「この世界に元があるとして、でもそうなれば、『その元は何から生まれたのか』という疑問が生まれてしまいます」
「そうなるのか……」
「『無から有は生まれない』、という言葉を知っていますか?」
「すまん、知らない」
「何も無いところからは、何も生じることはない、ということです。ですがそれなら、その『世界の元』は、どうやって生まれたのでしょうか。何も無いところから、何を材料に、どのような過程を経て」
気付けば蒼汰は、うーん、と頭を悩ませていた。
「蒼くん、大丈夫ですか?」
「うん……ちょい難しいけど、とりあえずなんか、すごい矛盾してることは分かった」
「ですか。その矛盾を私は、“世界の始まりの矛盾”と呼んでいるんです」
そして、と。
「私は、それを解き明かしたいと思っています。……蒼くん、手伝ってはくれませんか?」
「はは……なるほどね。翼になるって、そういうことか」
夢に、手を届かせるための翼。
「ダメですか?」
無意識なのかなんなのか、レクシアみたいに女の子らしくもないくせに、ここに来ての上目遣い。
見た目は可愛らしい女の子なだけに、蒼汰は照れずにはいられなかった。
「ダメだな」
顔を赤くしてそっぽを向きながら、断る。
「そう、ですか」
まるで気持ちが沈んだ時の人間のように、シンクは顔を俯けた。
そんなシンクに悪戯っぽく笑いかけながら。
「手伝うなんて言わない。一緒にやろうぜ、相棒」
そう言った蒼汰に、シンクは顔を上げる。
その顔はやはり無表情だったが、蒼汰にはどこか嬉しそうに見えた。
「蒼くん……」
「これからよろしくな」
俺を助けてくれたこいつが俺を求めているのなら、俺は全力でそれに応えたいんだ。
そんな思いを込めて、蒼汰はアイソドシンクの手を握った。
「ありがとうございます ……」
感情の乏しい核神ではあるが。
今は喜んでいるだろうことを、蒼汰はひしひしと感じていた。
「あなたとなら、できる気がするんです。パラドクスの存在のしかたを覆した、あなたとなら」
「ああ、絶対にやってやろうぜ」
「この世界に絶対はありませんよ」
「ああ、でも、絶対がないということも絶対ではない、だろ?」
「そうですね」
蒼汰は笑う。
そして雲間から顔を覗かせた月は、見逃さずに柔らかなその明りで照らし出した。
少年の隣の核神が、一瞬だけ微笑んだその瞬間を――。
蒼葉綴です。
まずは、ここまで拙作をお読みくださった読者の皆様に最大級の感謝を込めまして、ありがとうございます。
第1話から第26話までが『第一章 矛盾邂逅編』になっています。
第一章もそこそこの文量かとは思いますが、実のところこれは“長めのプロローグ”として書いております。
ですので、主人公・葵蒼汰と核神達の物語はまだまだ続きます。
まあ、十二体居ると言っておいて二体登場で終わり、なんてそんなつまらないことには絶対なりません。
この世に絶対はなくとも。
そういうわけですので、ここまで読了してくださった皆様におかれましては、これからもお付き合いいただけますと大変幸せです。
それと図々しいお願いになってしまいますが、マイナス評価であれプラス評価であれ構いませんので、感想などいただけますと嬉しいです。
モチベーションが爆上げになります。
出来たらでいいのでよろしくお願いします。
おっと、長くなってしまいすみません。
ではまた。
これからもどうぞよろしくお願いします。
P.S 在庫書き溜めの為、次回の更新まで2~3週間空けさせていただきますので、ご理解の程お願い致します。
2017.2.2 蒼葉綴




