最終章 始まりの物語
遠く眼下に広がる街並みを眺めながら、リウヒは満足げに息を吐いた。
やっぱり、わたしはここの風景が大好きだ。
カスガ曰くのバカップルコースとは、シギの車で海にゆき、その後宮廷跡にゆくことだった。初めて三人で、ここに来た時と同じルートだ。シギは海にゆくことを好んだし、リウヒはここから見渡す景色が好きだった。
あの切ない声は、もう聞こえない。王女の声だったとしたら、あの時、どんなにつらく悲しい思いをしたのだろうか。
「冬の景色もいいもんだな」
後ろからリウヒを抱きしめているシギが、柔らかい声で言った。
「雪は降らないけど」
回されている腕に手をかけながら、リウヒも応えた。
「空気が澄んで、山がはっきり見えるね」
「あそことは比べ物にならないけどな」
古代。排気ガスも温暖化もなかった、あの美しくのんびりした世界。
「帰ってきた時さあ、電気がいきなりついたらびっくりしなかった? 眩しっ! みたいな」
「したした。ガスで火が付くのも、感動していた」
「ねえ、シギ。また古代に行きたい?」
「そうだな」
腕が離れて、くるりと体を回された。シギの顔が、若干緊張している。どうしたんだろう。
「おれは、お前が一緒なら、どこでもいい」
そのまま両手を取られた。
「お前に横にいてほしい」
自分の白い手を、シギの大きくてゴツゴツした指の腹が撫でている。
「リウヒを愛しているんだ」
ポケットから小箱を取り出した。包むように、手に握らせる。
「おれと結婚してくれ」
リウヒはぼんやりとそれを見ているだけだった。頭は真っ白だった。
「返事をしろ、馬鹿。ハイかイエスか、どっちだ」
照れて苛立ったようにシギが言う。
「それって、選択の余地ないじゃん……」
声が震えているのが分かった。涙が頬を伝ったのも分かった。
「シギ……」
「ん?」
節くれた指が華奢な指を撫でる。
「シギ」
「なんだよ」
白い手を茶色い指の腹が這ってゆく。
「シギ!」
リウヒがいきなりシギに抱きついた。不意を突かれて、シギはよろめいた。
「ハイに決まっているでしょう! びっくりさせないでよ! ああ、もう、嬉しくて心臓が止まるかと思った……!」
「心臓止まるかと思ったのは、おれの方だ! いきなり飛び付くんじゃねえ!」
顔を掴まれて乱暴に唇が重なった。シギの顔が赤い。きっと自分の顔も赤いだろう。
「今度の休みに、リウヒんちに行くからな」
「いいよ。お父さんとお母さん、シギのこと気に入っているから。わたしもジュンさんに改めて挨拶したいな」
気の若いシギの母親は、自分のことを名前で呼ばれないと、ご機嫌を損ねてしまう。
「まあ、お前の料理の腕は、期待してないから」
「それは大丈夫。わたしと結婚したら、もれなくカスガがついてくるし」
「カスガの彼女はどうすんだよ」
「それはそれ。これはこれ」
で、一生、バカップルっていわれるのか?
二人は声を上げて笑った。
箱を開けると、小さなダイヤの粒がきらりと光った。シンプルで仰々しくない、全くリウヒ好みの指輪だった。節くれた指がそれを取って、自分の白い手にはめてくれた。
「ありがとう。とってもきれい……」
シギの腕の中で体を回転させて、左手を掲げる。空が夕暮れ時に染まってきたことに気が付いた。
あの濃く青い空をもう一回でいいからみたいな。柔らかい朝の陽ざしを感じたい。商家の美しい庭の片隅で、ハヅキや子供たちと物語を読んでいた時のような。
そこまで思い出して、リウヒは小さく笑った。
「どうしたんだよ」
「ベビーシッターをしていた商家でね、よく物語を読んでいたの。あの可愛い子供たちと」
「うん」
「その中に、わたしたちみたいだなあ、って思ったお話があったの」
「どんな話だったんだ」
「あのね……」
紅色の空を、蛍のような光を瞬かせた飛行機が飛んでゆく。明かりが付き始めた街の中を縫いながら電車が走っている。遠くでクラクションの音がした。
その中を、リウヒの低く澄んだ声が響く。
「洞窟を抜けるとそこは異国でした」
お気に入りに入れた下さった方々、ポイントつけてくださった方々、そして今まで読んでくださった方々、厚く御礼申し上げます。
大きな謎が継続したままでありますが、今後の展開で解決できると期待したい……。このお話は書いているときがそりゃもう楽しくて楽しくて、ティエンランシリーズの中でも一番気に入っているお話でもあります。
改めてもう一度御礼を。
本当にありがとうございました。




