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92話 戻ってきた場所



朝の訓練場は、いつもと同じ空気をしていた。


土の匂い。

冷えた朝風。

遠くで聞こえる、基礎組の掛け声。


――何も、変わっていない。


それなのに、リオルは足を踏み入れた瞬間に分かった。


(……いる)


第三訓練場の中央。

すでに準備運動を終えた影が、ひとつ。


白い虎の耳。

ゆっくりと揺れるしっぽ。


カイルだった。


いつもより、静かだ。

いつもより、余計な動きがない。

だが、立ち姿には迷いがない。


「……」


一瞬、視線が交わる。


カイルは、少しだけ目を細めてから、短く言った。


「……よう」


それだけ。


挑発もない。

棘もない。

けれど、逃げてもいない。


「……うん」


リオルも、それ以上は何も言わなかった。


言葉はいらない。

今は、それでいいと、自然に思えた。


二人の間に、奇妙な沈黙が流れる。

だが、それは重くはなかった。


ただ――

何かを乗り越えたあとの、静けさだった。


「揃ったな」


背後から、落ち着いた声。


エリオラが、いつものように腕を組んで立っている。

その視線は、二人を平等に見ていた。


「今日は、通常メニューだ」


それだけ告げる。


カイルの不在についても、

理由についても、

一切、触れない。


それが、エリオラなりの答えだった。


「まずは走る」


短い指示。


リオルとカイルは並び、

訓練場の外周へと走り出す。


――前と、同じ並び。


だが、走り始めてすぐに、

リオルは違和感に気づいた。


(……魔力、硬い)


暴れてはいない。

乱れてもいない。


だが、どこか無理に固めている感覚。


カイルは呼吸を崩さず、

一定のリズムを保っている。


(……必死だ)


張り合っているわけじゃない。

リオルを見てもいない。


ただ、前だけを見ている。


その姿に、リオルは何も言わなかった。


代わりに――

ほんの少しだけ、歩幅を合わせた。


ペースを落とすでもなく、

上げるでもなく。


ただ、隣にいる速度。


カイルは一瞬だけ、ちらりとリオルを見たが、

すぐに前へ視線を戻した。


(……気づいてる)


でも、何も言わない。


それでいい。


走り終え、次は体術。


魔力を流しながらの基本動作。

踏み込み、体重移動、呼吸。


「流れを止めるな」


エリオラの声が飛ぶ。


リオルは、いつも通りだ。

魔力は静かに巡り、体に無理がない。


カイルも、以前より安定している。


ただし――

慎重すぎる。


一歩一歩を、確かめるように動いている。


(……前より、怖がってる)


それでも、逃げていない。


それが、何よりだった。


休憩に入る。


二人は、少し距離を空けて腰を下ろした。


水筒を開ける音。

風が吹き抜ける音。


「……昨日さ」


ぽつりと、カイルが言った。


リオルは顔を向ける。


「……休みだった」


それだけ。


理由も、

説明もない。


「……うん」


リオルは、ただそう返した。


それ以上、聞かなかった。


カイルは一瞬、何か言いかけたようだったが、

結局、何も言わなかった。


でも、その表情は――

少しだけ、楽になっていた。


(……聞かれないって、助かる時もあるんだな)


そんなことを、カイルは初めて知った。


「休憩終わりだ」


エリオラの声が飛ぶ。


二人は同時に立ち上がる。


並んで、訓練場の中央へ戻る。


以前なら、

どちらかが前に出た。

どちらかが張り合った。


だが今は違う。


同じ場所に立っている。

同じ方向を見ている。


それだけで、

十分だった。


後方では、ヴォルクルが静かに見守っていた。


何も言わず、

何も動かず。


だが、その視線は確かに、

二人の変化を捉えている。


エリオラは、腕を組んだまま、

小さく口角を上げた。


(……悪くねぇ)


折れなかった。

逃げなかった。

そして、押し付けもしなかった。


「続けるぞ」


そう言って、次のメニューを告げる。


この日、

特別な出来事はなかった。


誰も、

何も説明しなかった。


それでも確かに――

二人は、前より近い場所に立っていた。


そしてそれは、

これから先、何度も命を預け合う関係になる

最初の、静かな一歩だった。


訓練場の空に、

朝日が高く昇っていく。


昨日までとは、

少しだけ違う光の中で。

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