83話 色を持つ力、色を持たない異常
訓練が再開してから、三日目の朝。
第三訓練場には、澄んだ空気と張りつめた緊張が同時に満ちていた。
床に刻まれた訓練用の魔術陣は新品同様で、まだ誰の魔力にも染まっていない。
「――今日は、魔術だ」
エリオラ・レヴィナントは腕を組み、リオルとカイルを前にして言い切った。
その声には、いつもの軽さはない。
これは遊びではないと、空気そのものが告げていた。
「今までやってきたのは、呼吸と魔力操作だ。
流す、留める、纏う。ここまでは“前提”」
一歩前に出る。
「ここから先が、本当の意味での魔術になる」
リオルは背筋を伸ばした。
カイルも、無意識に拳を握りしめる。
「魔術とは、術式を構築し、詠唱し、発動するものだ」
エリオラは指を鳴らした。
瞬間――
彼女の周囲に、赤い魔力が立ち上る。
揺らぎはない。
濁りもない。
炎ではない。
だが、明確に“火”と分かる、鮮烈な赤。
「これが、火属性魔力」
赤い魔力が、彼女の掌に集まっていく。
「魔力には属性がある。
属性は“色”として現れる」
エリオラはゆっくりと呼吸を整え、口を開いた。
「――我、熱を司る理を借り
燃え、集い、形を成せ
ここに火を顕現せよ」
詠唱と同時に、赤い魔力が術式を描く。
空中に浮かび上がる、整った幾何学模様。
そして――
ぼっ、と小さな火球が生まれた。
「これが、属性魔術だ」
エリオラは火球を消し、二人を見る。
「重要なのは詠唱だ。
詠唱は、術式を安定させ、性能を保証する」
「途中を省けば、威力が落ちる。
精度が下がる。
暴発することもある」
ここで、エリオラはニヤリと笑った。
「――“普通は”な」
リオルとカイルは、顔を見合わせた。
「じゃあ、やってみろ」
エリオラは顎で示す。
「術式を組め。
詠唱して、発動しろ」
リオルは一歩前に出た。
胸の奥で、呼吸を整える。
流す。
抑える。
合わせる。
(……水)
意識した瞬間、
彼の周囲に青い魔力が立ち上った。
澄んだ、深い青。
水属性魔力だ。
だが――
リオルは、詠唱しなかった。
ただ、手を前に出す。
次の瞬間。
青い魔力が自然と集まり、
球状にまとまった。
揺れない。
歪まない。
濁らない。
完璧な“水の球”。
一瞬の静寂。
「…………」
エリオラは、瞬きを忘れていた。
続いて、カイル。
彼の周囲には、淡い水色の魔力が立ち上る。
冷気を帯びた、鋭い色。
氷属性魔力。
カイルもまた、詠唱しない。
魔力を流し、
呼吸に合わせ、
形を与える。
氷の刃が、空中に形成された。
術式なし。
詠唱なし。
それなのに、
純度も、性能も、落ちていない。
――異常だった。
次の瞬間。
「――ははっ!!」
エリオラが、腹を抱えて笑い出した。
「っはははは!!
なんだそれ!!」
リオルとカイルは、きょとんとする。
「お前ら……最高だ!!」
エリオラは涙を拭いながら言った。
「普通な、詠唱破棄はな
軍幹部クラスの技だ」
「術式を頭の中で完全構築して、
魔力で直接叩き出す」
「ミスれば即暴発。
成功しても精度が落ちるのが当たり前」
一歩近づく。
「だが――」
リオルの水の球を見る。
カイルの氷刃を見る。
「色が澄みすぎだ」
魔力の色が、安定しすぎている。
「純度が高い。
制御が完璧だ」
エリオラは、肩をすくめた。
「……詠唱が“いらない側”だったか」
リオルは、おずおずと聞く。
「……えっと
悪い、ですか?」
「馬鹿言うな」
即答だった。
「これは才能だ」
「ただし――」
一瞬、表情が引き締まる。
「調子に乗るな」
「詠唱破棄は、便利だが危険だ。
戦場じゃ、疲労や精神状態で一気に崩れる」
「だから」
指を突きつける。
「基礎は全部やる」
「詠唱も覚えろ。
術式も組め」
「その上で、使うな」
リオルとカイルは、同時に頷いた。
「よし」
エリオラは背を向ける。
「今日はここまでだ」
「だが覚えとけ」
振り返らずに言う。
「お前らは、もう“新人”じゃねぇ」
赤い魔力が、彼女の背後で揺らめいた。
青と水色の魔力が、静かに消えていく。
第三訓練場に残ったのは、
色を知り、
色を越え始めた二人の少年だった。
――そしてエリオラは、確信していた。
(……こいつら、どこまで行く気だ)
魔術の常識が、
また一つ、静かに崩れた朝だった。




