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81話 学ぶ者の席


軍の訓練が、二日間だけ止まった。


それは例外であり、猶予であり、同時に――

次の段階へ進むための、準備期間だった。


この一ヶ月。

リオルは、ほとんどの時間を訓練場で過ごしてきた。


呼吸。

走り込み。

筋力強化。

魔力を流しながらの動作。


身体は確実に変わった。

だが、その代償として、後回しにされていたものがある。


――教養。

――歴史。

――政治。


力を持つ者が、必ず学ばなければならない分野。


そのため、リオルは朝から軍宿舎棟を出て、

屋敷の奥にある一室へと向かっていた。


アルトレス邸の中でも、人の出入りが少ない区画。

壁一面を埋め尽くす書架と、重厚な机が置かれた部屋。


そこに立っていた男が、静かにリオルを迎えた。


「来ましたか」


落ち着いた声。

感情を前に出さない、しかし冷たくもない響き。


「……ロナンドルトさん」


リオルは自然と背筋を伸ばした。


アルトレス家情報組織統括。

そして――自分の“教官”。


「今日から二日間、軍の訓練は休止です」


ロナンドルトは淡々と言う。


「その時間を、全てここに使います」


机の上に置かれたのは、分厚い資料の束だった。


アルトレス領史。

帝国の統治構造。

貴族制の成立過程。

独立思想の変遷。


「……全部、ですか」


思わずそう口にすると、ロナンドルトは一瞬だけ目を細めた。


「“全部”ではありません」


「最低限、です」


逃げ道は、最初からなかった。


「魔術や剣と違い、これは体が覚えてくれません」


「理解し、考え、選ぶ必要がある」


ロナンドルトは椅子を引き、リオルの向かいに座る。


「力を持つ者が、最も軽視してはいけない分野です」


「……はい」


リオルは、深く頷いた。



その二日間は、過酷だった。


朝から晩まで、机に向かう。

書を読み、問いを投げられ、答えを考えさせられる。


「なぜ帝国は南方を恐れたのか」


「なぜ支配ではなく、管理を選んだのか」


「なぜ反帝国派は、完全に排除されなかったのか」


正解は、用意されていない。


ロナンドルトは答えを教えない。

代わりに、問いだけを置いていく。


「答えは、一つではありません」


「ですが、“選んだ理由”は必要です」


昼を過ぎた頃、

リオルは椅子に座ったまま、深く息を吐いた。


(……訓練より、きついかもしれない)


そう思った瞬間、ロナンドルトが静かに言った。


「今の顔は、訓練初日のものよりいい」


「……え?」


「逃げようとしていない」


淡々とした評価だった。


「理解しようとしている」


それだけで、胸の奥が少し熱くなる。



その頃、軍宿舎棟の外。


ヴォルクルは、少し離れた位置から屋敷を見ていた。


以前のように、常に傍に立つことはない。

だが、視線は外さない。


専属執事として。

護衛として。


そして何より――

リオルを一人の人間として信頼しているからこそ。


(……変わったな)


表情。

声の張り。

立ち姿。


すべてが、少しずつ明るくなっている。


無理に守る必要はない。

だが、見ていないわけでもない。


それが、今の距離だった。



二日目の夕方。


ロナンドルトは資料を閉じ、静かに告げた。


「今日は、ここまでです」


「……ありがとうございました」


リオルは、深く頭を下げた。


「礼は不要です」


ロナンドルトは立ち上がる。


「学ぶのは、あなた自身ですから」


一拍置いて、続ける。


「ですが――」


「今日、あなたは“座る覚悟”を見せた」


「それは、力を持つ者にとって重要な資質です」


それは、褒め言葉だった。


リオルは、少しだけ照れたように頷いた。


軍の訓練は止まっている。

だが、成長は止まっていない。


剣を振らずとも。

魔力を使わずとも。


この二日間で、

リオルは確かに――

“立つ準備”を進めていた。


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