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73話 夜の距離


夜の屋敷は、昼間の訓練場とはまるで別の顔をしていた。


昼は金属音と掛け声が響き続ける場所も、

夜になれば、灯りを落とした回廊に静けさが満ちる。


訓練を終え、湯を使い、簡素な夜食を済ませたあと。

リオルは自室のベッドに腰を下ろし、深く息を吐いた。


(……今日も、きつかった)


腕も、脚も、まだじんわりと重い。

だが、呼吸は乱れていない。


――走りながら、呼吸を整える。


今日一日、それだけを何度も繰り返した。

速く走るためではない。

倒れないためでもない。


力を、内側で暴れさせないために。


「……ふぅ……」


ゆっくり息を吐く。

自然に、腹が動く。


(……できてる)


それを実感できるだけで、少し嬉しかった。


そのとき――

ノックの音がした。


「……リオル」


聞き覚えのある声。


「……カイル?」


「……入るぞ」


返事を待たず、扉が開く。


そこに立っていたのは、白虎の獣人少年――

カイル・アーリトレットだった。


軍から支給される普段着用のジャージ。

耳としっぽを揺らしながら、どこか落ち着かない様子で立っている。


「どうしたの?」


そう尋ねると、カイルは一瞬だけ視線を逸らした。


「……飯、もう一回行くかと思って」


「もう食べたよ」


「……そ、そうか」


会話が、そこで止まる。


(……?)


妙に歯切れが悪い。

昼間の、刺々しい感じとも違う。


しばらく沈黙が流れ――

カイルは、ぽつりと呟いた。


「……今日さ」


「うん?」


「……俺、負けた」


その声は、驚くほど静かだった。


(……今日負けた)


昼の訓練。

実戦テスト。


リオルは勝っていない。

むしろ、はっきり言えば負けた。


それでも――


「……でもさ」


カイルは拳を握りしめる。


「最初の一撃、避けられたろ」


「……あれは、まぐれだよ」


正直に答える。


「たまたま、体が動いただけ」


だが、カイルは首を振った。


「違う」


即答だった。


「ありゃ、センスだ」


耳が、ぴくりと動く。


「前なら、絶対に動けてねぇ」


「……」


「お前、ひょろひょろじゃなくなった」


それは、決して褒め言葉が得意じゃないカイルなりの評価だった。


リオルは、少しだけ困ったように笑う。


「……エリオラが、鍛えてくれてるから」


「……ああ」


そこで、また沈黙。


そして、次の瞬間だった。


カイルが、靴を脱ぎ――

当然のように、ベッドに潜り込んできた。


「……え?」


「……何だよ」


「いや……なんで一緒に……」


「……うるせぇな」


背を向けて、布団を引き寄せる。


「今日は、疲れた」


それだけ言って、黙り込む。


布団越しに伝わる体温。

獣人特有の、少し高い体温。


(……距離、近い……)


だが、不思議と嫌ではなかった。


しばらくして、カイルが小さく言う。


「……ずるいよな」


「何が?」


「お前」


リオルは、黙って聞いた。


「最初はさ……」


カイルは天井を見つめたまま、言葉を続ける。


「何でこんな奴が、って思ってた」


「俺の方が、ずっと修行してたのに」


「なのに、エリオラは……」


一瞬、言葉が詰まる。


「……お前だけ、見る」


嫉妬。

悔しさ。

認めたくない感情。


全部、混じっている。


リオルは、しばらく考えてから言った。


「……ぼくは」


「うん」


「……怖いよ」


小さな声。


「力も、期待も」


「逃げたいって、思うこともある」


その言葉に、カイルは少し驚いたように目を見開く。


「……でも」


続ける。


「……一緒に強くなれるなら」


「それは……いいなって、思う」


沈黙。


そして、カイルが鼻で小さく笑った。


「……何だよ、それ」


「……むかつく」


「ごめん」


「謝るな」


そう言って、布団の中で少しだけ位置をずらす。


――距離が、ほんの少し縮まった。


「……なあ」


「なに?」


「明日も、負けねぇからな」


その声には、もう刺はなかった。


「……うん」


「俺が勝つ」


「……じゃあ、次は本気でやる」


その返事に、カイルは満足そうに目を閉じた。


「……それでいい」


しばらくして、寝息が聞こえてくる。


リオルは、天井を見つめながら思った。


(……ライバルって)


(……悪くないかも)


胸の奥の魔力は、静かだった。

暴れる気配はない。


夜は、穏やかに更けていく。


――この日、

リオルとカイルの間に生まれたのは、

勝ち負けではなく、同じ道を歩く感覚だった。


それが、後に――

互いを支える“刃”になることを、

まだ二人は知らない。

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