62話 余韻と不安
会議が終わったあと、
アルトレス邸の廊下は、ひどく静かに感じられた。
重厚な扉が閉じる音が、どこか遠くで響いた気がしたが、
それ以外に、耳に入るものは何もない。
(……後継)
その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
リオルは、ゆっくりと自室へ向かった。
歩き慣れたはずの廊下が、どこか他人の家のように遠い。
扉を閉めて、ようやく一人になる。
ベッドに腰を下ろし、両手を見つめた。
小さな手だ。
訓練で多少は鍛えられてきたとはいえ、
会議室にいた者たちと比べれば、あまりにも頼りない。
(……ぼくが、後を継ぐ)
ゼクロアの声には、迷いがなかった。
だからこそ、その言葉は重く、逃げ場がない。
胸の奥が、じわりと熱を持つ。
暴走するほどではない。
ただ、確かに――
“そこにある”と主張する力。
不安と一緒に、魔力がざわめいていた。
(……怖い)
思わず、唇を噛む。
逃げたいわけじゃない。
けれど、分からないのだ。
どうすればいいのか。
どうなれば、あの人たちの前に立っていられるのか。
――コンコン。
控えめなノック音。
「……リオル」
聞き慣れた声だった。
「入っていい?」
「……うん」
扉が開き、ヴォルクルが入ってくる。
いつも通りの服装。
いつも通りの距離。
変わらないはずなのに、
その存在が、やけに心に染みた。
ヴォルクルは何も言わず、近くの椅子に腰を下ろす。
「……会議、終わったな」
「うん……」
短い返事。
それ以上、何も聞いてこない。
だが、視線は外さない。
しばらくの沈黙のあと、
リオルは、ぽつりと口を開いた。
「……ぼく」
言葉が、途中で止まる。
どう言えばいいのか、分からなかった。
「……ぼく、ちゃんとできるのかな」
声が、わずかに震える。
「みんな、すごい人ばかりで……
ぼくなんかが……」
最後までは言えなかった。
ヴォルクルは、すぐには答えなかった。
少しだけ視線を落とし、それから静かに言う。
「……できるかどうかなんて、知らねえ」
思っていたより、はっきりした言葉だった。
リオルは、思わず顔を上げる。
「でもな」
ヴォルクルは続ける。
「お前、逃げなかっただろ」
その一言が、胸に落ちた。
「驚いてた。
怖かったはずだ」
それでも――
「ちゃんと、そこに立ってた」
視線を逸らさず、言い切る。
「それで十分だ」
胸の奥で、何かがほどけていく。
「……ぼく、怖いよ」
正直な言葉が、零れ落ちた。
「失敗したらって……
みんなを、裏切ったらって……」
ヴォルクルは立ち上がり、リオルの前に立つ。
そして迷いなく、頭に手を置いた。
ごつごつした、温かい手。
「それでいい」
低く、確かな声。
「怖くねえやつなんて、信用できねえ」
ほんの少しだけ、口の端を上げる。
「……俺は、お前のそばにいる」
短い言葉。
だが、それ以上はいらなかった。
「それだけは、変わらねえ」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
「……ありがとう」
小さな声で、リオルは言った。
ヴォルクルは何も返さず、
軽く頭を撫でてから、手を離す。
その夜、
不安が消えたわけではなかった。
けれどリオルは、
久しぶりに、少しだけ深く眠ることができた。
恐怖を抱えたままでも、
立ち続けられると――
初めて、思えたから。




