44話 動き出す調査
中央魔術局局長室は、夜更けでも静かだった。
灯りは一つだけ。
机の上に積まれた書類が、淡く照らされている。
ラサド・ウィステリアは、その中央に座ったまま、
一枚の魔術記録を指で叩いた。
「……一度きり、か」
観測時刻。
座標。
魔力波形。
すでに何度も確認した情報を、
もう一度、最初からなぞる。
「水と火……しかも、重なっている」
低い独白。
帝国の魔術理論では、
それは存在しない現象だった。
例外はない。
少なくとも、公式記録の中には。
「自然現象ではない」
「偶発事故でもない」
ラサドは眼鏡を外し、
目元を軽く押さえる。
「……だが、攻撃でもない」
そこが、最も引っかかっていた。
攻撃であれば、
必ず痕跡が残る。
結界の歪み。
地形の破壊。
継続的な魔力残滓。
だが、報告書にはそれがない。
「暴走……いや」
首を振り、思考を切り替える。
「制御できていない“何か”」
それが、
現時点で最も合理的な結論だった。
ラサドは、
机の端に置かれた別の書類を手に取る。
――アルトレス領 概要。
反帝国派。
獣人・ドラゴニュート多数。
ドラゴン運用の空撃部隊。
強力な常時結界。
「……嫌な条件が、揃いすぎている」
もし、
あの魔力反応が、
アルトレス家の管理下にあるものだとしたら。
「帝国にとって、
無視できない存在になる」
だが――
確証はない。
だからこそ、
軍を動かす理由にもならない。
ラサドは、結論を出した。
「……局長自ら動く価値がある」
机の引き出しを開ける。
中に収められていたのは、
中央魔術局の正式外套。
濃紺の布地。
銀糸で刻まれた局章。
「調査は、私が行く」
それは、命令ではなく決定だった。
扉の外に控えていた秘書が、
気配を察して一歩前に出る。
「局長。
ご命令でしょうか」
「準備を」
ラサドは簡潔に告げる。
「南方。
アルトレス領へ向かう」
秘書の目が、わずかに見開かれた。
「……局長ご自身が?」
「だからだ」
淡々とした声。
「軍を動かせば、
向こうは身構える」
一拍置いて続ける。
「だが、
中央魔術局局長の視察なら?」
秘書は、すぐに理解した。
「表向きは?」
「結界と魔力環境の定期調査」
「実際には?」
「確認だ」
秘書は一礼する。
「随行員は?」
「最小限」
「護衛は?」
「不要とは言わないが、
目立たせるな」
ドラゴンを刺激する行動は、
最悪の選択肢だ。
「必要なのは、
戦力ではなく情報だ」
「承知しました」
扉が閉まり、
室内は再び静けさを取り戻す。
ラサドは、窓の外を見た。
帝都の夜景。
整然とした街並み。
秩序の象徴。
「……アルトレス」
その名を、低く呟く。
反帝国派。
ドラゴン。
常時結界。
そして――
記録に残った、あの魔力。
「正体が分からないものほど、
危険だ」
だが同時に、
「正体が分かれば、
対処はできる」
それが、
ラサド・ウィステリアという男の生き方だった。
彼は外套を手に取り、
静かに立ち上がる。
まだ、嵐ではない。
だが――
帝国の中枢は、確かに動いた。
その矛先が、
誰の運命に触れるのか。
それを知る者は、
まだ、いない。




