第84話:反逆の狼煙ー1
人類最強の男、聖騎士ローディオが、自らの腕で殴り開けた空間の裂け目へと姿を消して、ものの数分後のことだった。
深い瘴気に沈みかけていた魔境の谷底。その中空が、まるで見えない巨人のハンマーで唐突に叩き割られたかのように、パリンッ!と鼓膜を劈く悲鳴を上げて砕け散った。
無数のガラス片のような魔力の残滓が、星屑のようにキラキラと舞い散る。
だが、その幻想的な光景をぶち壊すように、真っ黒な次元の裂け目から、ドサドサドサッ!と、まるでゴミ袋か毛玉のような五つの塊が勢いよく荒野へ放り出された。
「痛ぇっ!? おいローディオ! なんなんだよ一体!! 背骨が折れたかと思ったじゃねぇか!」
「馬鹿野郎! 俺の最高級の黒エールがこぼれただろうが、この脳筋聖騎士!!」
「酒場で良い気分で飲んでたらいきなり襟首掴んで空間転移たぁ、非常識にも程があんだろ!! 吐く! 俺ぁ絶対にここで吐くぞ!!」
赤茶けた地面をゴロゴロと無様に転がりながら、盛大に文句と唾をわめき散らしているのは、見事な剛毛の髭を蓄え、丸太のように太い腕を持ったずんぐりとした五人の男たちだった。
ドワーフだ。
おとぎ話の定番種族。だが、彼らはただの戦士やそこいらの鍛冶屋ではない。分厚い耐熱コートと、岩のようにゴツゴツとした全身からは、長年染み付いた強烈な石炭の煤と、熱く焼けた鉄と油の匂いがムンムンと漂っていた。
「ドワーフ……初めて見た…」
『私もだよ、相棒。なんだかすごく……四角くて頑丈そうだね』
胸元のペンダントからラナの呑気な声が響く。
千年の封印の扉を見張るという絶望的な状況下で、ジークは目を丸くして彼らをまじまじと見つめ、シンは面白そうに口笛を吹いた。
「ガッハッハ! 悪い悪い、何せ時間がねぇもんでな! 手荒な真似は謝る。後で特上のエール樽ごと奢ってやるから、今は勘弁してくれや!」
裂け目からひょっこりと顔を出したローディオが、悪びれる素振りすら微塵も見せずに豪快に笑い飛ばす。
「オッサン、もう全員連れてきたのか? いくらなんでも早すぎないか」
俺が呆れ半分で聞くと、ローディオはやれやれと大げさに首を振ってみせた。
「馬鹿言え。俺が呼んできたのはこいつら、建築屋だけだ。大陸中の頭の硬い王族どもを納得させて、国の最高戦力を国境越えて動かすのに、数分で終わるわけねぇだろ」
「じゃあ、この数分間何をしてたんだよ」
「決まってるだろ? ウルシア、カエサル、シルア、オーシャン、ロムダース、バルゼファル……大陸を牛耳る六大国の王の寝室やら、極秘の軍議室やらに無理やり転移で突っ込んで、挨拶回りしてきたところだ」
ローディオは、さも近所の回覧板を回してきたかのような軽い口調で、とんでもないことを言い放った。
「『東の魔境で魔族が湧く。人類が終わる前に、国の最強どもを全部ここに送れ』って、一言ずつ叩き込んで脅してきた」
「……」
「バルゼファルの王なんて、愛人とお楽しみの最中だったからな。俺が空間割って出てきた瞬間、泡吹いて気絶しちまった。カエサルの軍議室じゃ、近衛兵どもが一斉に剣抜いてきやがったから、面倒くせぇんでテーブルごと全員気絶させてきたぜ。ガッハッハ!」
とんでもない伝令の仕方だった。
各国の王の心臓と威信が本気で心配になる。厳重な絶対結界が張られているはずの王の寝室や軍議室に、ノックもなしに人類最強の男が転移してくるのだ。それだけで国家転覆のテロだと思われて国際問題になってもおかしくない。
「で、こいつらはロムダース王国が誇る『上級職人』の五人だ。俺の昔からの飲み仲間でな」
ローディオは、地面でまだ文句を言っているドワーフたちを親指で指した。
「いいか坊主。各国の本隊が軍を編成してここへ到着するまでに、早くても十日、普通に考えれば数週間はかかる。その間、こんな遮蔽物の一つもない更地の魔境で、いつ魔族の軍勢が湧き出してくるか分からない大穴を三人だけで見張るのは、防衛じゃなくただの自殺行為だ」
ローディオの目が、ふと真剣な武人のそれに変わる。
「こいつらに、魔族を迎え撃つための『砦』を作らせろ。ただの石の壁じゃねぇ、数万のバケモノを押し返せる絶対の要塞をな」
「おいローディオ! 勝手に話を進めるな! 俺たちはまだ何も了承してねぇぞ! こんな瘴気まみれのドブ沼みてぇな土地で、しかも数日で作れだと!? 寝言は寝て――」
一番髭の長い、顔に古い火傷の痕があるリーダー格のドワーフが顔を真っ赤にして抗議するが、ローディオはもう空間の裂け目へと背中を向けていた。
「頼んだぞ、お前ら。ロムダース一の腕を信じてるぜ。……俺はまだ、片付けなきゃなんねぇ『厄介な案件』があるんでな」
ローディオは俺たちを一瞥し、ニヤリと笑った。
「……死ぬなよ、坊主ども。宴会の席で会おうや」
それだけ言い残し、人類最強のオヤジは三度、空間の彼方へ完全に消え去った。
パリンッ、と空間の裂け目が修復され、残されたのは、不自然なほどの静寂と、肌を刺す冷たい風の音だけだった。
「……あいつ、本当に台風みてぇな男だな。」
シンが呆れ半分、感心半分で呟き、腰の皮袋から酒を一口煽った。
取り残されたドワーフ五人は、しばらく天に向かってローディオの理不尽さを様々な語彙で罵っていた。
だが、やがて諦めたように深く、重い深呼吸をした。
――その瞬間。
彼らは周囲の空気に混じる魔力と、足元の地脈の異常をハッキリと感じ取ったのだろう。赤ら顔が一瞬にして血の気を失い、凍りついた。




