第82話:千年の想いー2
重厚な扉と、厳重すぎるセキュリティ。
その奥に広がる墓所の内部は、予想を裏切り、拍子抜けするほど質素で、どこか物悲しい空間だった。
金銀財宝の類は一切ない。広大な石室の中央に、三つの古い作業台と、冷え切った炉の跡。そしてそれぞれの主が遺したであろう、錆びついた金槌や道具の残骸が散らばっているだけだった。
だが、その一番奥の台座。
埃一つかぶっていない、明らかに何らかの強力な保存魔法がかけられた小さな台座の上に、一巻の古びた『巻物』がポツンと置かれていた。
俺は吸い寄せられるようにそれに近づく。
端には、擦れた墨でこう書かれている。
『私録 杉林道義』
その巻物の表題を目にした瞬間、俺の視界が微かに揺れた。
このファンタジーの理が支配するイーリス大陸において、あまりにも場違いで、あまりにも懐かしい、墨の匂い。
「……大将? 急に黙り込んでどうした。具合でも悪ぃのか?」
シンの声が遠くで聞こえる。
俺は返事もできず、震えそうになる指先で、慎重にその古びた紐を解いた。
和紙のような独特の質感。そこに記されていたのは、伝説の武器の設計図でも、秘匿された魔法の術式でもなかった。
そこにあったのは、一人の男が、異世界という名の地獄に叩き落とされ、それでもなお『人間』として生きようともがいた、血を吐くような情念が綴られていた。
『某、不覚にも異界の地に落ちて数年。この地、魔なる者どもの跋扈する、まさに地獄なり』
冒頭の一文から、凄まじい筆圧が伝わってくる。文字の端々に滲む、やり場のない怒りと絶望。
『理不尽に人が死に、無力な民が蹂躙される。この地の神は死んだか、あるいは最初から存在せぬか。某には、この凄惨な光景を黙って見過ごすほど、枯れた心は持ち合わせておらぬ。幸いにして、この地に降り立った某には「属性付与」なる不可思議な異能力が宿っていた。鉄に火を、風を、そして世界の理そのものを込める力……。刀鍛冶の端くれとして、救えぬ友を救うため、某はただひたすらに、己の魂を削って鉄を打つ』
読み進めるにつれ、整っていた筆跡は次第に乱れ、のたうち回るような書体へと変貌していく。
それはまるで、彼を蝕んでいった狂気そのものを写し取っているかのようだった。
『聖剣と呼ばれる眩き西洋の剣を造りし者、あるいは遠い未来の兵器を造りし同郷の者たちとは、最期まで考えが合わなんだ。彼らは世界を救おうとした。王に仕え、英雄を導こうとした。だが、某は違う。某が打ったのは、ただ四本の刀。それのみ。――朧、村正、鬼丸、宗近』
胸の奥が、熱い何かに焼かれるような感覚に襲われた。
今、俺の腰にあるこの漆黒の業物。魔剣ムラマサ。
この剣は、後世の人間が畏怖を込めて呼ぶ「魔剣」などという呪いの武器じゃなかった。
『いずれも某の異能力のすべてを注ぎ込み、この狂った世界の理をねじ曲げた、業物なり。友よ、どうかこれで、君の愛する者を守ってくれ。某はもう、鉄を打つ腕が動かぬ。目が、見えぬ。魔族の呪いが、五体を蝕んでいる……』
巻物の余白には、当時の江戸の情景だろうか、小さな桜の花びらのような汚れが、あるいは涙の跡が、薄く残っていた。
伝説の武具の正体。それは、見知らぬ土地で孤独に死んでいった一人の男が、せめて仲間の命だけは守りたいと願って打ち据えた、あまりにも人間臭い『祈りの塊』だった。
「……大将、泣いてんのか?」
シンの言葉に、俺はハッとして顔を拭った。
「……バカ言え。瘴気で目が痛むだけだ」
俺は巻物をさらに広げた。その末尾には、血のように赤黒く変色した墨で、一枚の地図が記されていた。
『魔族の根源。奴らが際限なく湧き出してくる扉は、イーリス大陸、最東端。ここからすぐ近くの魔境なり。我ら三人の異能力の残滓を使い、己らの命と引き換えに、ここに強固な蓋をする。だが、この蓋は永遠ではない。
我ら転移者の異能力には、もう一段階、その先がある。
ああ……日の本の空が、桜が、恋しゅうてならぬ……』
巻物を閉じる音が、静かな墓所に重く響いた。
「ビンゴだ……」
俺の声は、自分でも驚くほど冷たく、鋭く研ぎ澄まされていた。
「大将? 何て書いてあったんだ?」
「……魔族が湧き出してくる『根源』。その場所が分かった。ここから目と鼻の先、最東端の魔境の底だ」
シンの顔から余裕が消え、ジークの身体が目に見えて震え出す。
「千年前の封印の……。それが今、限界を迎えようとしてる。俺たちがここを見つけられたこと自体、封印が弱まり、世界の境界線が薄れている証拠だ。もし今、俺たちがここを離れて援軍を呼びに国へ戻れば、その隙に魔族が出ちまうかもしれねぇ」
「じゃ、じゃあ……どうするんですか!? 三人だけで、魔族の軍勢を迎え撃つんですか!?」
ジークが半狂乱になって叫ぶ。
「三人じゃ無理だ。だが、離れるわけにもいかねぇ」
シンが、自身の槍を強く握り直す。
「魔族がここから溢れ出せば、人類は終わる。……詰みだな」
静寂。
瘴気の流れる音だけが聞こえる中、俺の脳裏に、この理不尽な世界で出会った、最高にデタラメな「オッサン」の顔が浮かんだ。
「……やるぞ、二人とも」
俺は、誰もいない墓所の外へ歩み出た。分厚い雲に覆われた、呪わしいほどに暗い西の空を見上げる。
「動けないなら、世界中の連中が腰を抜かすような、最大火力の狼煙を上げてやる。――あのオッサンを、ここに釣り出す」
シンが、俺の言葉に驚愕し、直後に最高に愉しげな笑みを浮かべた。
「俺たちの全魔力を爆発させて、大陸の化け物を呼び寄せようってか。……クハッ、狂ってやがる。だが、嫌いじゃねぇぜ、その破れかぶれなやり方!」
「えええっ!? ここで全力を出すんですか!?
その反動で魔族が出てきたら…」
ジークが泣きそうな声を出すが、俺はもう止まらない。




