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第81話:千年の想いー1

 深い霧が、まるで削り立ての刃物のように肌を撫でる。

 いや、撫でるという生易しい表現は正しくない。呼吸をするたびに肺の粘膜がチリチリと焼け焦げ、露出した皮膚が微細なガラス片で削り取られるような大気だった。

 イーリス大陸の最東端にほど近い、地図にすら存在しない名もなき魔境の谷底。


 陽の光すら届かないこの分厚い瘴気の底に、歴史の裏側はひっそりと、だが異様なまでの存在感を放って鎮座していた。

 この狂った世界に『魔剣』『聖剣』『アーティファクト』という、生態系を容易く崩壊させる理不尽な兵器をもたらした、三人の造り手たちが眠る場所。


 伝承にすら残っていない絶望の最果て――『三鍛冶の墓所』。


「……こいつは、ひでぇな。冗談だろ」

 最奥にそびえ立つ巨大な石扉を見上げ、海神の異名を持つ最強の冒険者シンが、心底嫌そうに顔を歪めた。


 見上げるほどの質量。見渡す限りの一枚岩。

 そこに、幾重にも、何十層にも重なる緻密な魔法陣と、この世界のどんな学術書にも載っていない複雑怪奇な古代文字が、まるで呪いのようにびっしりと刻み込まれている。その文字の一つ一つが、周囲の魔力を喰らいながら明滅していた。


「力でこじ開けるのは不可能だ。波が完全に自己完結してやがる。外部からの干渉を一切受け付けない、文字通りの拒絶。

 鍵穴はおろか、俺の水を流し込む隙間すら一ミクロンもねぇ」

 シンが苛立たしげに首の後ろを掻きむしり、舌打ちをする。


「解読に何十年……いや、何百年かかるか分からねぇぞ、大将。どうする? こいつは今まで俺が見てきたどんな神代の遺跡よりタチが悪い。無理矢理ぶち壊そうとすれば、反射してきて、俺たちが吹き飛ぶ規模の爆発が起きるぜ」


「ぼ、僕のヒナワなら……! 一点集中で撃ち抜けば、あるいは……!」

 極度の緊張と瘴気にあてられ、青ざめた顔をしたジークが震える手でアーティファクト・ヒナワの銃身を握る。


 気休めだ。彼自身、そんな力押しが通用する相手ではないと本能で悟っている。

 俺はジークの肩に手を置き、静かに首を振って制した。


「やめとけ、ジーク。シンの言う通りだ。反射食らって俺たちが塵も残らず消し飛ぶだけだ。……それに、こいつはそういう扉じゃない」


 シンとジークが、凶悪な絶対魔法陣の構造とカウンターの脅威に気を取られている中。

 俺の目は、彼らとは全く別のものを捉えていた。俺の心臓は、先程から嫌な汗をかくほどに早鐘を打っている。


 古代文字? 絶対魔法陣?

 いや。違う。そんなものは、この扉の本質じゃない。目を逸らすためのただのブラフだ。

 石扉のど真ん中。魔法陣の中心に、この剣と魔法のファンタジー世界には絶対に存在してはならない、あまりにも見慣れた、力強い筆致の『漢字』。


 そしてご丁寧に、真鍮のような『英語』のプレートまでが、周囲の荘厳なファンタジーの意匠をぶち壊すように乱暴に埋め込まれていたのだ。


『WARNING:KEEP OUT』

『警告:これより先、外道の立ち入りを禁ず』

『※合言葉:日の本において、武士の魂と称されるもの』


『……ねえ、相棒。これってまさか』

 胸元のペンダントの中で、ラナが信じられないというように震える声で囁いた。


 彼女もまた、俺の記憶を通じてこの文字の異質さを理解していた。

(ああ。……最悪で、最高に悪趣味なセキュリティだ)


 俺は奥歯をギリッと噛み締めた。

 アーティファクトの造り手と、聖剣、魔剣の造り手。

 それぞれ別の世界、あるいは別の時代から、理不尽にこの世界に飛ばされた『転移者』たち。


 彼らが、この世界の未来の人間を拒絶し、中へ入れないために遺した、悪意と皮肉すら感じるロック機構。


 この世界の住人には、どれだけ高度な魔法技術があろうと、何千年かけようと絶対に解読できない。なぜなら、これは魔法ではなく、俺たちの世界にしかない『知識』の壁だからだ。


 俺は頭痛を堪えるように、こめかみを強く揉んだ。

 様々な感情が渦巻く。おそらく同郷であろう先人たちが、どんな思いでこの狂った世界で武器を打ち、そしてこんな最果ての地で、同郷の者にしか開けられない扉を閉ざしたのか。


「……下がってろ、二人とも。俺が開ける」


「は? 無理すんな大将。万が一このレベルの防壁の反撃を食らえば、お前だってタダじゃ済まねぇぞ!」

 シンが声を荒らげ、ジークが息を呑む。


「大丈夫だ。魔法陣はダミー……いや、力ずくで開けようとする馬鹿を殺すためのトラップだ。……多分、この世界で、今ここにいる俺にしか開けられない」


 俺はシンの制止を振り切り、瘴気をかき分けて石扉に歩み寄った。

 見上げれば見上げるほど、その扉に込められた執念のようなものが肌を刺す。俺は、その『漢字』の隙間に隠された、からくり仕掛けの文字盤――あいうえお順に並んだダイヤルに、躊躇いなく触れた。


 武士の魂。

 答えは一つしかない。

 カ、タ、ナ。

 カチリ。

 静かな、だが重厚な金属音が、瘴気に満ちた墓所に鳴り響く。


 ズゴゴゴゴゴォォォッ……!!


 直後、谷底全体が激しい地震に見舞われた。

 千年の間、何者も拒絶し続けた絶対防壁の魔法陣が、まるで役目を終えたように明滅を止め、音を立てて次々とパージされていく。


 そして、何トンあるかも分からない巨大な石扉が、重々しい地響きと共に、ゆっくりとその暗い口を開き始めた。


「「…………は?」」

 シンとジークの、完璧にハモった、宇宙の真理でも見失ったかのような間抜けな声が背中に刺さる。


「嘘だろオイ……あんなデタラメな術式を、触っただけで……」

 シンの呟きを背で受けながら、俺は説明する気にもなれず、ただ前だけを見据えて扉の先へ足を踏み入れた。

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