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第69話:波を読む海神

 王都の朝は、残酷なほどに整っていた。

 石畳は塵一つなく舗装され、軍旗は風の赴くままに翻り、兵たちは時計の針のように正確な規律で足踏みをしている。


 ――なのに、空気の底にへばりついた『焦げた匂い』だけが、どうしても拭いきれていない。


 魔族が現れた。


 大国が一つ、一夜にして地図から消え去った。

 その事実だけで、世界中の権力者たちが深い不眠に陥っている。


 戦争は、正面から陣形を組んでやってくるとは限らない。

 見えない大穴から這い出し、じわりと背中側から臓腑を刺しにくる。


 だから、人類は盤面を動かした。


 軍事国家カエサル方面。

 あちらには、竜騎士レイズとホワイトナイト、そして七つ星冒険者が向かう。圧倒的な『武力』と『機動力』で、魔族が湧き出す“穴”を物理的に探す部隊だ。


 対して――ウルシア王国及び、海洋国家オーシャン側の大陸。

 こちらには、『波』を読む男がいる。



 王城の回廊。出立前の静寂の中で、俺たちは顔を揃えていた。


 オーシャンのSランク冒険者、海神のシン。

 軽装のくせに、ただ立っているだけで周囲の空気が凪ぐ。絶望を知り尽くした海の男特有の、余計な力の一切入っていない、底知れぬ強さ。


 ウルシア王国第三王子、ジーク。

 まだ若く、言葉もたまに裏返る。けれど、その瞳は決して逃げない。恐怖を麻痺させるのではなく、恐怖を抱えたまま立つ術を、彼はもう知っている。


 そして、第二王子ギリーエ。

 剣も槍も持たない。だが、血で血を洗う戦場において、誰よりも冷酷に盤面を支配する『外交の天才』。


「確認します」

 ギリーエの声は穏やかだが、氷の刃のようにブレない。

「カエサル方面は、レイズ殿たちがローラー作戦で探ります。対して我々は、ウルシア国内及びオーシャン側へ。魔族の封印地を特定する役目です」


 広げられた地図の上を、ギリーエの白い指が滑る。赤く印された候補地が、まるで地図に咲いた病変のように散らばっている。


 俺はシンの横顔を見た。

 海の男は、地図を見ても焦らない。波を読む目で、大陸地図の『外側』を見ている。


「つまり……魔族の封印地が近くなれば、シンが反応するってわけか」

 俺が言うと、シンはすぐに眉を上げた。


「便利な魔道具みたいな言い方すんな。……まあ、近くなりゃ分かる。波が淀むからな。“魔族の波”なら、なおさらだ」


 ジークが、胸元の紐をぎゅっと握りしめて呟いた。

「僕なんかが……役に立つんでしょうか」


 ギリーエは、即答した。

「立ちますよ。あなたは王子なのですから」

 それは“励まし”の顔をした、完璧な“戦略”だった。


「剣は肉を斬りますが、王族の威光は『理不尽な扉』を開けます。あなたがいるだけで通れる関所があり、口を開く者がいる。……剣を抜かずに世界を動かす場面で、あなたのその名前が最強の武器になります」


(……相変わらず、王子の立場の使い方がえげつねぇな)

 俺が内心で毒づいた瞬間、胸の奥がチリッと熱を持った。


『相棒、あれが“政治”ってやつだよ。流石だね』

 ラナの声が、骨の髄を直接くすぐる。


(……シッ)

 俺は表情を崩さず、息だけを吐いた。


 シンは、肩をすくめてジークの背中をポンと叩く。

「肩の力抜けよ、兄弟。やることは単純だ。波の源を辿る。それだけだ」


 ジークが、小さく笑った。

「……うん。なんだか、冒険って感じだね」


 ギリーエが地図を畳み、最後に静かに言った。

「無事に。――必ず」

 その言葉は、呪いのように重く、そして確かな支えとして俺たちの背中に置かれた。


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