第67話:神王獣ヤマタノオロチー5
森を出た瞬間――世界が、息を吸い直した。
さっきまでの禁域では、すべてが「王の許可制」だった。
鳥の声ひとつ、葉擦れの音ひとつが、俺たちを測る秤の針。踏み込んだ足裏の感触さえ、「生かすか」「殺すか」を決めるための質問だった。
なのに、境界を越えた途端、音が“ただの音”に戻る。
鳥が鳴く。虫が鳴く。風が通る。
俺は立ち止まり、首の骨を鳴らした。
皮膚の下にねじ込まれていた冷たい針が、一気に抜けていく。
勝った。
確かに勝った。大陸の頂点、神王獣ヤマタノオロチの命を散らし、俺の力で“武装化”して、今ここに立っている。
……なのに、胸が全く躍らない。
勝利の高揚など欠片もない。ただ、内臓を吐き出したいほどの「安堵」だけがそこにあった。
腰に巻いた真新しい『深緑のベルト』が、微かに脈動する。
装飾品ではない。骨格に直接刻み込まれた、王だったものの残り香。それが俺の魔力と同化し、静かに呼吸している。
『相棒』
ラナの声が、珍しく低い。
『勝った顔じゃない。……喜べない?』
(ああ)
今まで、勝つたびに何かを失ってきた。
だから、誰も死なずに強敵を殺せたという事実が、逆にトラウマをえぐってくる。
ガコン、と。
背後で、分厚い鉄の塊が噛み合う鈍い音がした。
アーティファクト・センシャ。
俺の世界の言葉で言えば、まごうことなき『戦車』。そのハッチを閉めた音だ。
あの神王獣の八つの属性攻撃から俺たちの背中を守り抜いた、最強の鉄。
「……ほんとに、帰れるんだよね……?」
ジークが、泣きそうな声で呟く。
声は情けないが、ヒナワを抱える腕はもう震えていない。死線を越えた者の確かな力強さがあった。
「帰る。帰って――次に備える」
俺の言葉に、ジークは小さく頷いた。
ライーオが、森の方を一度だけ振り返った。
表情は石像のように静かだ。だが、弓を握る指の関節が白く変色するほど力が入っている。
祈り、そして怒り。
奪った魔族への殺意と、奪わせた運命への憎悪。
祈りと怒りが同居するのは、弱さではない。いつだって、力ある者の正しい姿だ。
ギリーエが、俺の隣に並んだ。
剣も槍も持たない第二王子の瞳は、すでに次の戦場を見据えていた。
「……決めたのですね」
俺は、後ろの戦車を見上げた。
「置いていく。シルアに」
「え、えっ……!? もったいなくない……!?」
ジークが目を丸くする。当然の反応だ。こんなチート兵器、持ち帰れば戦局をひっくり返せる。
だから、俺は笑ってやった。
「もったいないから、置くんだよ」
センシャの鋼鉄の装甲を、拳でガンと叩く。
「これは奪うための兵器じゃない。……守るための兵器だ」
ジークがハッとして息を呑む。
ライーオが、静かに頷いた。
「森の民には、戦えぬ者も多い。だが……最強の盾を得れば、自らを守り抜くことはできる」
持ち出せば、目立つ。いずれ奪い合いの火種になる。
ならば最初から、シルアの民が自分の意思で引き金を引くための『盾』として根付かせる。それが、レーオとルーナへの、俺なりの本当の謝罪だ。
ライーオがセンシャの装甲に手を置き、短く祈りを捧げる。
俺は黙って頭を下げ、そして――帰路についた。




