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第七人類絶滅報告書  作者: ななめハンバーグカルパス
第四部 デルタは目を瞑る
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敵という名前

 廃ビルの一室に、毛布と救急箱が広げられた。

 隊員たちは、手際よく動いた。命令に忠実で、迷いのない動きだった。

 リアムの()()()()()という言葉が、今も空気に残っているような感触があった。


 ナージャの肩口の処置をしている隊員を、ナージャ自身が睨みつけていた。


「変な真似したら、ぶっ殺すからな」


「……はい」


 隊員が、絆創膏を貼る手を止めずに答えた。プロだった。この種の脅しには慣れているのかもしれなかった。


「聞こえたか」


「聞こえました」


「よし」


 ナージャが、サキの方を一度見た。サキが頷くと、また天井に視線を戻した。体力を温存しているというより、この部屋の中でナージャが信頼できる人間が、サキしかいない、ということだった。


 リアムが、入り口に立っていた。


 部屋の中に入ってこなかった。サキからちょうど三歩分の位置で、壁に背を預けている。ヘルメットは、床に置いていた。顔が、完全に見えた。殴られた頬骨の腫れが、この角度からもわかった。


「何から話す」


 リアムが、先に言った。


「あなたが決めて」


「わかった」


 息を一つ吐いて、リアムが床を見た。考えている顔ではなかった。どこから言葉を出すか、順番を探している顔だった。


「文明復興庁は、お前たちを敵と認定している」


「知ってた」


「正式な認定だ。サキ・アオイとエレナ・ペトロヴァ——二人の名前が、文書の中に並んでいる。アーク施設からのクラスIVハザード持ち出しと、収容対象者の無断移送。それが、正式な告発内容だ」


 クラスIVハザード。エレナが、そう呼ばれていたことは知っていた。エレナ自身も知っていた。それでも、文書の中に「エレナ・ペトロヴァ」という名前が並んでいると聞くと、胃の下が冷えた。


「それだけ?」


「それだけじゃない」


 リアムが、壁から背を離した。部屋の中へ、一歩だけ入った。


「告発以降、F.C.E.U.の複数部隊が、二人の追跡に割かれている。チェルノブイリ周辺の監視強化、出入国ポイントの網羅、通信の傍受——お前が旧チャンネルに触れた時、即時に記録が上がってきた」


「やっぱり」


「追跡を続けていたのは俺の部隊だけじゃない。少なくとも三系統の部隊が、それぞれ別のルートで動いている」


 三系統。


 つまり、旅のどこかで、別の誰かにも見られていた可能性がある、ということだった。ウラジオストクの桟橋か、航海の途中か、日本へ入る前か。メビウスのルートは非公式だったが、完全に見えないわけではない。


「文明復興庁は、なぜそこまでする」


「わからない」


「リアム」


「本当に、わからないんだ」


 声の質が変わった。


「命令は来る。案件番号がついて、優先度がついて、行動指示がついて来る。誰が出したのかは、どこにも書いていない。俺が直属で受けているのも、命令文だけだ。その上に誰がいるのか——会ったことがない」


「会ったことが、ない」


「一度もない」


 サキは、それをしばらく咀嚼した。ヴァディムに話した時、ナージャが叫んだ時——同じことを、また別の角度から聞かされていた。F.C.E.U.の内側にいる人間でも、知らない。それは、組織が秘密にしているというより、組織の形そのものが、顔を持たない構造になっているということだった。


 命令が歩いている。

 人間の手を借りて、でも人間の顔を持たずに。


「ナージャを撃ったのは」


「狙撃手への命令だ。サイレントゾーン周辺の非H-住民は、交戦規則に従って処理する、と」


 処理する、という言葉が部屋に落ちた。

 ナージャが、天井から視線を外さないまま、鼻を鳴らした。


「処理ね」


「すまなかった」


「俺に言うな」


 ナージャが、今度だけリアムを見た。


「謝りたいなら、命令した顔のない何かに言え。お前は道具だったんだろう」


 リアムは、何も言わなかった。

 言えなかったのか、言わないことにしたのか、サキには判断がつかなかった。ただ、その沈黙が否定の形をしていないことはわかった。


「話を続けて」


 サキは続ける。


「日本で何が起きてるの」


 リアムが、また壁に背を預けた。


「三ヶ月前から、H-住民の行動パターンに変化が出ている。日本国内に散らばっていた個体群が、特定の方角へ向けて、自発的に移動を始めた」


「方角は」


「南西。富士山の方角と、おおよそ一致している」


 富士山。

 言葉が、体の中の何かに触れた。


「コーラルの続報も来ている」


 リアムが、続けた。


「海洋域に広がっていたコーラル型のH-住民群——大型個体が、海底から陸へ上がろうとしている動きが、複数地点で確認されている。日本沿岸にも、その動きがある」


「どこから上がろうとしてる」


「それが——富士山周辺の海岸線と、地理的に重なる」


 部屋が静かになった。


 ナージャの処置をしていた隊員が、動きを止めた。

 自分が聞いていい話ではないと判断したのか、手だけを動かし続けていた。


「コーラルもH-住民も、同じ方向へ向かっている」


 サキは、頭の中で重ねた。チェルノブイリで東を向いたH-住民の瞳。廃墟の東京で道の真ん中に立ち尽くしていたH-住民の唇。三、六、九——繰り返されるリズム。それが全部、同じ方向へ向いていた。


「あなたは、どう考えてる」


「H-住民の行動原理が、どこかへ向かっている、と思う」


 リアムが、静かに言った。


「発信源がある。あるいは、引き寄せている何かが、富士山の方角に存在する」


 サキは、黙っていた。


 黙りながら、エレナの端末に残っていた言葉を、頭の中で取り出した。

 エレナが何を知っていて、何を隠していたのか。


 さらに、エレナは何らかを()()する装置をサルコファガスで作っていた。


 その事実を、ここで出す気にはなれなかった。エレナが今どこにいるのかも、何を追っているのかも——リアムに渡せる情報ではなかった。文明復興庁の()()の中に、エレナの名前がある。それだけで、十分な理由だった。


「日本に来たのは、その話と関係があるか」


 リアムが、サキを見た。


「ある」


 嘘はつかなかった。


「H-住民が向かっている先に、理由があると思った。それを確かめたかった」


「エレナは」


「わからない」


 平らな声で、言った。


「一緒じゃない。それだけ」


 リアムが、サキの目をしばらく見ていた。嘘なのか見極めているのか、それとも別のものを探しているのか。


「……そうか」


 それだけ言って、視線を外した。


 追及しなかった。するつもりがないのか、できないと判断したのか——いずれにせよ、リアムはそれ以上エレナの名前を出さなかった。


「お前は、富士山へ向かうつもりか」


「たぶん」


「F.C.E.U.は、その方向への調査を進めている。お前とかち合う可能性がある」


「知ってる」


「味方にはなれない」


「知ってる」


「だが」


 リアムが口を閉じた。閉じてから、また開いた。


「今夜だけ、見ていない。お前たちのことを」


 サキは、リアムの顔を見た。

 殴った顔だった。腫れていた。それでも、その目がどこかで揺れていた。


「その選択は、あなたが決めたの」


「命令じゃない」


「そう」


 サキは、視線をナージャに移した。処置が終わりかけている。

 ナージャが、隊員を睨みながらも、呼吸が少し落ち着いていた。


「ありがとう」


 リアムに向かって、言った。


「礼を言われる立場じゃない」


「でも言う」


 リアムが、ヘルメットを拾い上げた。被らなかった。ただ、抱えていた。


「富士山で、何かを見つけても」


 彼が、部屋の入り口に戻りながら言った。


「俺には、連絡するな。俺が動ける状況じゃなくなる」


「知ってる」


「お前は、昔から」


 リアムが、言いかけてやめた。


「何」


「変わってない。それだけだ」


 そのまま出ていった。

 足音が、廊下を遠ざかっていく。


 ナージャが、ようやく体を起こした。

 隊員が止めようとしたが、「もういい」と一言で黙らせた。


「あいつ、信用できるか」


「わからない」


「正直だな」


「でも、今夜だけは信用する」


 ナージャが、肩口を押さえながら、サキの隣に座った。


「富士山か」


「そう」


「遠いのか」


「ここからなら、三日はかかると思う」


「そうか」


 ナージャが、また天井を見た。


「俺も行く」


「怪我が」


「三日あれば動ける」


「安静にしててよ」


「お前が言うか。腕の骨を折りながら殴り続けたやつが」


 サキは、自分の腕を見る。金糸がほとんど消えていた。

 骨はもう繋がっていた。


「……それは、そうかもしれないけど」


「決まりだ」


 ナージャが、目を閉じた。


「ユカを探しながら、富士山まで付き合ってやる。ついでの範囲でいいなら」


「はいはい」


 廃ビルの外で、風が鳴った。


 文明復興庁の命令書には、今頃また何かが打ち込まれているだろう。顔のない文字列が、どこかへ向かって、また人間の足を動かそうとしているだろう。


 でも今夜だけは、その文字列が届かない場所にいられる。


 サキは、ポケットの中の指輪を指先で触れた。

 赤い石が、暗闇の中で少しだけ温かかった。

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