飄々と、彼女は言った
廃道は、三時間ほどで様子が変わった。
草の背が低くなり、アスファルトの割れ方が、自然の風化とは少しちがう。
人の手が入っている。整備ではなく——障害物として、意図的に積まれた瓦礫が、道の両側に並びはじめた頃、サキは足を緩めた。
「止まれ」
ナージャが、すでに短銃を抜いていた。
前方に人影が四つ。後方に気配が二つ。挟み込みの形だった。装備は雑だが、配置は慣れている。長距離移動者を狙い続けてきた連中の動きだ、とサキは値踏みした。
「荷を置け。それだけでいい」
前方の影が、潰れた声で言った。顔を布で覆っている。文明復興庁の腕章がないのは、ただの野盗だということだ。
ナージャが、サキにちらりと目をやった。何かを問う目ではなく、役割を確認する目だった。
サキは、前に出た。
最初の一人が、金属棒を振り上げた——その軌道を、手首ごと掴んで止める。関節を逆に押すと、崩れ落ちる前に悲鳴が漏れた。二人目が後ろから体当たりをかけてくる前に、重心を外して受け流す。体を入れ替えた瞬間、肘が顔面に入っていた。
後方の気配が、前へ来た。
ナージャの短銃が、二回鳴った。足元の地面に、それぞれ一発ずつ。当てていなかった。当てる気もないのだろう、ただ次は当てるという意思表示だった。
二人が、走って逃げた。
残る一人が、まだサキの前で立っていた。腰に、短刀を持っている。抜くかどうか、迷っている。その迷いの時間が、サキには長く見えた。迷う間があるうちは、まだ抜かない。
「逃げていい」
サキは言った。
一拍置いて、その人影は走り出す。
静寂が戻った。ナージャが短銃をしまいながら、倒れた男たちをひと渡り見た。
「手加減したな」
「殺す理由がない」
「F.C.E.U.らしくない」
「元F.C.E.U.だから」
歩き再開した。陽が西に傾きはじめる頃、廃線沿いの道に出た。枕木が草に埋もれ、レールだけが、錆びながらも東へ伸びていた。
「ナージャ」
歩きながら、サキは言った。
「本当の理由、まだ聞いてない」
「何の」
「日本についてきた理由」
ナージャは、答えるまでに少し時間をかけた。考えているわけではなさそうだった。言うかどうか決めているわけでもなさそうだった。ただ、言葉が、どこかから出てくる順番を待っているような、それだけの間だった。
「女がいた」
「うん」
「出港前に話したやつだ」
「うん」
「そいつが、日本へ行ったと風の噂で聞いていた」
サキは、正面を向いたまま聞いた。
ナージャも、正面を向いたまま話していた。
「探しに行くつもりだったか、ただそっちに船を回すついでに降りるつもりだったか、自分でもあまり決めていなかった。降りてみたら、お前が面白かった。そっちが先になった」
「そっちって、私のこと?」
「お前がいなければ、もう少し早く上陸していたかもしれない。大した差じゃないが」
なんとも、という感じがした。命懸けの航海の理由が、風の噂で聞いた元恋人と面白そうな同乗者の天秤だったとは。
「その人、見つかると思う?」
「さあ」
ナージャが、肩をすくめた。
「見つかったら、まあ、会えばいい。見つからなかったら、見つからなかった」
「それだけ?」
「お前は、もっと重く考えるべきだと思うか」
サキは、少し考えた。
「思わない」
「だろう」
レールが、夕日を受けて細く光った。錆の色が、金に近い色に変わる時間だった。
東の方角に、ビルの輪郭が霞んで見えはじめていた。
「その人の名前は」
「ユカ」
一言だけ言って、ナージャは口を閉じた。それ以上でも以下でもない、という閉じ方だった。名前の重さを持て余しているわけでも、軽く扱っているわけでもない。ただ、名前は名前として、そこにある。
サキは、東を見た。
東京が、少しずつ、大きくなってきていた。




