表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第七人類絶滅報告書  作者: ななめハンバーグカルパス
第四部 デルタは目を瞑る
106/127

屋台

 出航までの三日、ヴァディムは「休め」とだけ言って、市場の方へ顎をしゃくった。

 理由を聞く前に、もう歩き出していた。


 雑多な屋台が、桟橋から港町の中心まで、ひしめくように並んでいた。干物の匂い、油の匂い、誰かが弦楽器を爪弾く音——基底言語の社会では、決して許されない種類の音だった。


 この街には、文明復興庁の手が、十分には届いていないのかもしれない。


「あれ、何?」


 サキは、木彫りの動物が並んだ屋台に、思わず足を止めた。

 小さな鹿のような彫刻が、棚いっぱいに並んでいる。

 一つを手に取ると、角の部分に細かい渦巻き模様が彫り込まれていた。


「データ・スタッグだ。北の連中がよく彫る」


 ヴァディムが、横から覗き込んだ。


「縁起物らしい。記憶を宿す角、なんだとさ」


 サキは、その彫刻を灯りにかざした。木目の渦が光を受けて、思いがけず美しく揺れた。


「かわいい」


 口からこぼれた言葉に、自分でも一拍遅れて気づいた。声が、いつもより高い。

 弦楽器の音が、また風に乗って届く。露店の主人が、何かの冗談を言い、近くにいた子供が笑った。釣られるように、サキの口元も緩んだ。


 声を立てて、笑った。

 久しく忘れていた感触だった。

 ヴァディムが、こちらを見ていた。何か言いかけて、やめる仕草。


 サキが視線を向けると、彼は慌てたように、屋台の方へ顔を戻した。


「……お前、笑うと」


 言葉を探すように、間が空いた。


「ずいぶん、違うな」


「違う?」


「いつも、無理に背伸びしてるみたいだった。今のが、たぶん、本当のお前なんだろう」


 サキは、彫刻を握ったまま、何も言えなかった。


「大人っぽく振る舞わなくても、いいんだぞ」


 ヴァディムが、ぶっきらぼうに付け加えた。


「お前は、もう十分、戦ってきた」


 その言葉が、なぜか、すぐには自分のものとして受け止められなかった。代わりに、別の声が記憶の奥で重なった。


 ——感情を律する必要はない。それは、欠陥ではない。


 エレナが、一度だけ、端末越しに送ってきた言葉だった。

 意味はまるで違うはずなのに、不器用な優しさの形だけが、よく似ていた。

 サキは、彫刻を胸に抱えるようにして、屋台から離れた。


「買わないのか」


「もう、持ってる」


 懐に、最初から仕舞ってあった硬貨を、サキは渡した。代わりに、鹿の彫刻を受け取る。

 二人は、しばらく無言で歩いた。賑やかな雑踏の中、その沈黙だけが、やけに静かだった。


 サキは、隣を歩くヴァディムの横顔を、そっと見た。

 あと二日。

 数えてしまった自分に、気づかないふりをした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ