目撃者
泥の中に転がったまま、しばらく、どちらも動かなかった。
川の方から、まだ水しぶきの余韻が届いている。サキは、ゆっくりと身を起こした。
腕に走る感覚——もう、知っている感触だった。
鈍い痛みの奥で、何かが疼きながら、自分の輪郭を編み直そうとしている。
裂けた皮膚から、血が滲んでいた。
「見せろ」
ヴァディムが、這うようにして近づいてくる。職業的な、傷の確認の仕草だった。野盗にでもやられ慣れているのだろう、その手つきには迷いがない。
隠す理由を、サキは見つけられなかった。隠したところで、いずれわかることだ。
腕を、黙って差し出す。
差し出した瞬間にも、傷の縁では、すでに修復が始まっていた。糸のような金色の光が、裂けた皮膚の両端から滲み出し、互いに手を伸ばすように絡み合っていく。
サキにとっては、もう何度目かわからない光景だった。痛みより先に、ただ「ああ、またこれか」という感覚が来る。
ヴァディムの指が、傷口に触れる寸前で止まった。
肉が音もなく閉じていく。
その間、サキはヴァディムの顔を見ていた。
光が傷を縫い合わせていく様子よりも、彼の表情が変わっていく様子の方が、よほど目新しかった。
瞬きを忘れた目、半分開いたまま動かない口。値踏みではなく、理解そのものが追いついていない顔だった。
「……今、何を見た」
声は、震えてはいなかった。けれど、いつもより低く、慎重だった。
「見たままだと思う」
サキは、皮膚の上にうっすらと残った金色の縫い跡を、指でなぞった。
痛みは、もうどこにもない。
ヴァディムは、距離をわずかに取った。
獣を前にしたときのような、計算された後退だった。
「前に、腹が減らないって言ったな」
「言った」
「冗談だと思ってた」
「冗談じゃない」
サキは、自分の腕を見下ろしたまま続けた。
「ホモ・ロゴス化、っていうらしい。何度か、こうなった。だんだん人間だった部分が、削れていく」
説明する声は、平らだった。驚きはもう、その言葉のどこにも残っていなかった。
驚く段階は、とっくに通り過ぎている。
「お前は、それを——」
ヴァディムが、言葉を探す。
「平気なのか」
「平気、なのかな。分からない」
サキは、初めて彼の目を真っ直ぐに見た。
「ただ、慣れた」
しばらく、川の音だけが、二人の間を流れた。
ヴァディムは、サキの腕をもう一度だけ見つめてから、立ち上がった。
「化け物だとは言わない」
彼が、手を差し出した。
「だが、人間とは呼ばない」
サキは、その手を取った。
「それでいい」




