第5話「レール幅突破戦」②
列車は進んだ。
五百メートル。軌間の変化は一度では済まなかった。広軌区間と標準軌区間がまだらに混在していたのだ。ドイツ軍はスモレンスク占領中に改軌を進めていたが、完了していなかった。つまり、イワンの車輪は、数十メートルごとに異なる幅のレールと格闘することになった。
八百メートル。客車の窓ガラスが次々と割れ始めた。車体のフレームが歪み、連結器が悲鳴を上げている。
千二百メートル。貨車の一両が半脱線状態になった。しかし連結器で引きずられ、なんとか走行を続けている。
千五百メートル。クズネツォフは車両の間を這って移動しながら、車軸の状態を確認していた。
「前部車軸に亀裂——」
彼は伝声管に叫んだ。
「ですが、まだ持ちます。確率で言えば七割!」
「残り三割でどうなる!」コズロフの声。
「車軸破断。脱線。最悪の場合、列車全体が横転します」
「その時はその時だ!」
ジューコフの声が伝声管に割り込んだ。クズネツォフは一瞬だけ笑った。本当に笑ったのだ。彼はこの元帥の、この無茶苦茶な即断即決を、嫌いではなかった。
◇ ◇ ◇
「イワン……イワン……!」
機関室で、オルロフ爺は泣きながら運転していた。
涙はウォッカのせいではなかった。彼は操縦桿を通して、イワンの苦痛を感じていた。車軸が軋み、蒸気管が震え、ボイラーの圧力が限界を超えようとしている。それは彼にとって、自分の臓腑を引き裂かれるのと同じ感覚だった。
「俺のイワンだ……俺が設計した……俺が一番よく知ってる……今、お前がどんだけ苦しいか……」
彼は叫んだ。
「でもよ、イワン! 俺たちの息子は、もっと苦しんで死んだんだ! 機関銃に撃たれて! 泥の中で! たった十九で! だから——」
蒸気をさらに送り込む。圧力計の針が赤い領域に突入した。
「お前も俺も、まだ死ねない! せめてベルリンまでは!」
汽笛が轟いた。それは返事だったのか、叫びだったのか。オルロフには区別がつかなかった。いや、区別する必要はなかった。
◇ ◇ ◇
二千メートルを超えたあたりで、車軸から火花が散り始めた。
「もう少しだ! スモレンスクまであと数百メートル!」
コズロフが地図を確認しながら叫んだ。前方にはスモレンスクの廃墟が見え始めている。駅舎の影、操車場のクレーン、工廠の煙突。目的地は目前だった。
「あと少し、あと少し——」
その時だった。
バキイイイイイイン——!
それまでのすべての破壊音が、前座に過ぎなかったかのような轟音が、列車の底部から響き渡った。前部車軸が、ついに破断したのだ。
機関車の前部が沈み込んだ。車輪の一つが完全に外れ、線路の残骸の上を引きずられながら、火花の尾を引く。
「イワン——!」
オルロフ爺は叫んだ。
しかし、イワンは止まらなかった。
残った車軸と、慣性と、そして老機関士の意志が、まだ列車を前に押し出していた。時速四十キロ。三十キロ。二十キロ。速度は落ちている。しかし前に進んでいる。
操車場の入り口が見えた。
「止まれ! イワン、もういい! 止まれ!」
オルロフ爺はブレーキを引いた。しかし車軸が破損している状態では、ブレーキも完全には機能しない。イワンはゆっくりと、それでも確実に、操車場の中へと滑り込んでいった。
百メートル。
五十メートル。
十メートル。
そして、イワンは止まった。
蒸気が最後の吐息のようにシュウウウと漏れ、ピストンは動きを止め、車輪は沈黙した。あたりには、破壊された線路と、引きちぎられた枕木と、火花で焦げた砂利だけが残されていた。かつて線路だったものは、もはや何の役にも立たない瓦礫の帯だった。しかしイワンは、その瓦礫の上を走り切り、操車場に辿り着いたのだ。
静寂。
列車全体が、まるで生き物のように熱を帯びていた。蒸気と油と金属の焦げる匂いが、冬の朝の空気に漂っている。
機関室で、オルロフ爺は操縦桿を握りしめたまま動けなかった。
「……着いたぞ、イワン。スモレンスクだ」
彼は計器盤を拳でそっと叩いた。
「よくやった。誰がなんと言おうと、お前は最高の機関車だ」
操車場に、もうゾンビはいなかった。スモレンスクの街はすでに死に絶え、あるいは「死に絶えた上で蠢くもの」だけが残されていた。しかし少なくとも今この瞬間、ここには静寂があった。
ジューコフは指揮車両を降り、破壊された車軸の前に立った。クズネツォフが隣に来て、黙って損傷を確認している。
「……よく走ったな」
ジューコフの声は、機関車に向けられていた。
「車軸が折れてから、さらに数百メートル走った。ありえない距離だ。機関士の腕か」
クズネツォフはしゃがみ込んで、破断した車軸の断面をじっと見つめた。
「……腕ではないと思います。機関車の意志です。少なくとも、あの爺さんは、そう信じている」
「お前は」
「私は工兵です。金属の結晶構造と応力分散で説明できます。ですが——」
クズネツォフは立ち上がり、イワンの車体に手を触れた。
「説明できることと、信じることは、別です」
◇ ◇ ◇
列車の周りに、乗組員たちが集まってきた。
誰もが疲れ切っていた。服は埃と煤で汚れ、顔には擦り傷と疲労の色が濃い。しかし全員が無事だった。脱線も横転もせず、死者も出さず、スモレンスクに辿り着いた。
これは奇跡ではない。無茶だ。そして無茶は、奇跡よりも時に大きな力を発揮する。
コミッサロフは手帳を取り出し、震える手で書き始めた。
「……破壊した線路の総延長、推定二千五百メートル。破損した枕木、数え切れず。運輸人民委員部に提出する報告書の草案——」
「同志」
神父イヴァンが背後から声をかけた。
「まずは生きていることを喜びませんか」
「……喜ぶのは、報告書を書き終えてからだ」
しかし彼の手帳には、走り書きの下に新しい一行が加えられていた。「それでも、生きている」
インクが滲んで、少しだけ曲がっていた。
屋根の上で、カチューシャはスコープを覗いていた。スモレンスクの街並みを、一軒一軒、窓という窓を確認するように。
「……一匹もいないね。つまんない」
彼女はスコープから目を離し、壊れたイワンの車軸を見下ろした。何かを考えるように首をかしげ、それから小さく笑った。
次の獲物は、もっと多いといいな。
◇ ◇ ◇
ジューコフはイワンの先頭に立ち、全員に向かって言った。
「一時間の休息だ。それからスモレンスク工廠で鹵獲列車を探す。この列車は、もう走れない」
その言葉に、全員がイワンを見つめた。初めての列車。初めての戦友。たった一日の付き合いだったが、その一日は、彼らに生涯忘れられない体験を刻み込んでいた。
機関室から、オルロフ爺が降りてきた。彼はよろめきながら、イワンの先頭に立ち、そこで膝をついた。
誰も言葉を発しなかった。
老人は震える手で、機関車の前面装甲に触れた。剥げた塗装、無数の傷、そしてさっきの突破戦でできた新しい凹み。それらすべてを、彼は子供の顔を撫でるように、そっと、ゆっくりと指でなぞっていった。
「イワン」
彼の声は掠れていた。
「お前はな、いい機関車だった。俺が知る中で一番だ」
そして彼は泣いた。
声を上げて、子供のように泣いた。六十三年生きた男が、泥と油に塗れた操車場の真ん中で、動かなくなった鉄の塊に抱きつくようにして泣いた。誰も笑わなかった。誰も急かさなかった。神父イヴァンは十字架を握り、カチューシャはスコープを下ろし、コミッサロフは手帳を閉じた。ジューコフは無言で敬礼し、その場を離れなかった。
オルロフ爺の涙が、イワンの装甲に落ちて、凍り始めていた。
十一月のスモレンスク。気温は零下。死者たちは寒さで動きを鈍らせている。しかしそれは、生きている者たちにとっても同じことだった。寒さは容赦なく体温を奪い、涙を凍らせ、そして心までも凍らせようとする。
だが、この老人の涙だけは、まだ凍っていなかった。
「……イワン」
オルロフ爺は立ち上がり、機関車の車軸の根本から、外れたボルトの一本を拾い上げた。それはさび付いた、ただの鉄の塊だった。しかし彼はそれを、まるで宝物のようにポケットにしまった。
「お前の魂は、俺が連れて行く。必ず、ベルリンまでな」
彼はそう言って、涙で濡れた顔をツナギの袖で拭った。
◇ ◇ ◇
その時だった。
操車場の入り口から、偵察に出ていたキリレンコが走って戻ってきた。息を切らせ、しかしその顔には奇妙な興奮が浮かんでいる。
「元帥! 工廠に、ドイツの物資列車があります! 編成は——」
彼はそこで言葉を切り、工兵隊長の方を向いた。
「クズネツォフ中尉。あれ、走らせられますか」
クズネツォフはイワンから顔を上げ、ゆっくりと工廠の方を向いた。彼の目はすでに、次の仕事を見据えていた。
「……見てみないとわかりません。でも」
「でも?」
「直せないものは、ありません」
それが彼の口癖だった。そして誰もが知っていた。それが嘘でも誇張でもないことを。この男は、壊れたものを直すために生まれてきたような男だった。シベリア鉄道で線路を直し、戦場で橋を架け、そして今、動かなくなった列車の代わりを用意しようとしている。
ジューコフはクズネツォフの肩を叩いた。
「一時間だと言ったな。訂正する。今すぐ工廠に向かえ。休息は列車が走り出してからだ」
「……了解」
クズネツォフは工具箱を肩に担ぎ、工廠へと歩き出した。その背中を、オルロフ爺が呼び止める。
「待て、クズネツォフ」
「何でしょう」
「……俺も行く。お前一人に任せられるか」
クズネツォフは振り返らず、しかし確かに、微かに笑った。
「助かります。機関士どの」
二人の男が、工廠へ消えていった。一人は機関車を愛し、一人は壊れたものを直す。
ジューコフはその後ろ姿を見送りながら、コズロフに言った。
「鹵獲列車の改造にどれだけかかる」
「クズネツォフなら……三日、いえ、頑張って二日。ですが、ゾンビがいつ来るか」
「来るだろうな」
ジューコフはスモレンスクの廃墟を見渡した。崩れた建物、燃え尽きた車両、死体、いや、あれはただの死体か? 動かないなら、まだただの死体だ。動き出すまでは。
「総員、工廠に防衛線を構築しろ」
彼はクズネツォフの背中を思い浮かべた。
「……七十二時間。持ち堪えさせる」
「三日間、ですか。この廃墟で」
「できるか」
コズロフはため息をついた。それは彼の癖だった。ため息をつく時、彼は同時に計算を始めている。弾薬の残量、配置すべき人員、防衛に適した地形、水と食料の備蓄、負傷者が出た時の医療体制。
「……やります。もちろん、やります」
「頼りにしている」
ジューコフは銃声を聞いた。遠い。まだ遠い。しかし確実に近づいている。ゾンビの群れが、スモレンスクの廃墟の中を縫って、こちらに向かっているのだ。
「全員、戦闘配置!」
グロモフの声が操車場に響いた。
籠城戦が、始まろうとしていた。
イワンの巨体は動かない。しかしその影が、まだ戦う者たちを守るように、冬の朝陽を遮って立っていた。




