第17話:無人在来線爆弾②
静寂が訪れた。
誰もが息を呑み、何が起きたのかを理解しようとしていた。幽霊列車は倒された。完全に。二度と戻ってこない形で。それはミンスクで退けた時のような「一時的な後退」ではなかった。終わったのだ。
「……やったのか」
コミッサロフが最初に口を開いた。だが彼はそれ以上、言葉を出せなかった。手帳に何かを書き込もうとして、ペンが震えている。何を書けばいいのか、彼にもわからなかった。どう書けば「幽霊列車に勝利した」ことを唯物論的に説明できるのか。
「やりましたね、同志」
イヴァンがコミッサロフの肩に手を置いた。彼もまた、言葉が震えている。しかしその震えは、感動によるものだった。
「……ああ。やった。やったが、どう報告書に書けば——」
「『聖水と爆薬により敵性霊的脅威を完全に無力化』では?」
「まだ霊的という単語を使うのか! それ以前に聖水を公式文書に——」
「では『特殊処理水と高性能爆薬による複合攻撃』でどうです」
「……それなら、まだマシか」
コミッサロフは手帳に素早く走り書きした。イヴァンはそれを微笑みながら見守り、自分も十字架を握り直して祈りを捧げた。
「主よ。今日、解放された魂たちに、永遠の安息を」
戦車貨車の上。フォン・シュタインベルクは、爆発の跡をじっと見つめていた。
「少佐。終わったんですか」
バウマンが隣で尋ねた。
「ああ。終わった。幽霊列車は——もういない」
「……よかった。あれ、怖かったです」
「私もだ」
フォン・シュタインベルクは、素直に認めた。プロイセン貴族としての誇りも何も、今は関係なかった。ただ、一つの脅威が消えたことへの安堵が、胸の中に広がっていた。
「少佐。あの中に、ドイツ兵もいたんですよね」
「ああ」
「彼ら、助かったんでしょうか」
フォン・シュタインベルクは少し考えてから、静かに答えた。
「……解放されたんだ。そう信じよう」
バウマンはうなずき、それから操縦席に座り直した。彼の手は、もう震えていなかった。
◇ ◇ ◇
歩兵車両では、グロモフが壁にもたれて座り込んでいた。
爆発の瞬間、彼は無人在来線爆弾から目を離さなかった。あの貨車の中に、初代イワンのボルトがあることを、彼は知らなかった。しかし彼は確かに感じていた。あの貨車には、ただの爆薬以上のものが積まれていた。それは死者たちの魂であり、そして生き残った者たちの祈りだった。
「……キリレンコ」
彼は呟いた。
「お前にも見せたかったな。俺たち、幽霊列車を倒したぞ。完全にな。もう二度と、あれに悩まされることはない」
彼の隣は空席だった。キリレンコがいつも座っていた場所には誰もおらず、ただサーベルの鞘の跡だけが床に残っていた。
「それから——」
グロモフは立ち上がった。彼の口元には、微かに笑みが浮かんでいた。
「俺のジョークだ。今回はまだ言ってない。だから、お前のぶんも笑ってやる。誰かが笑えば、それでいいんだろ」
彼は誰に言うともなくそう言って、窓の外を見た。朝日が昇り、ポズナンの廃墟が金色に輝き始めていた。キリレンコは笑い、カチューシャは撃ち、アントンはパンを渡した。彼らはもういない。でも彼らが残したものは確かにここにある。その想いを胸に、彼はまた一歩を踏み出そうとしていた。
◇ ◇ ◇
機関室では、オルロフ爺がビールの瓶を持って立ち上がろうとし、よろめいた。
「……おっと」
気が抜けたように座り込む。操縦桿から手を離し、大きく息を吐いた。計器盤の上には初代イワンのボルトが戻っていた。彼はそれを指でなぞりながら、静かに呟く。
「イワン。見てたか。クズネツォフ。見てたか。お前たちの魂が、幽霊を倒したんだぜ」
イワン二号の蒸気がシュウ、と小さく漏れた。彼はそれを「見てた」という返事だと受け取った。事実はどうであれ、彼にとってはそれで十分だった。
「さて——」
彼は顔を上げ、前方の線路を見つめた。ポズナンを抜ければ、次はベルリンだ。残り三百キロ。もうすぐだ。
◇ ◇ ◇
指揮車両で、ジューコフは地図を広げていた。彼の手は微かに震えていたが、それは疲労のせいか、それとも違う理由か。
「コズロフ。被害を報告しろ」
「戦死者——ポズナン操車場にて、ソ連側五名、ドイツ側四名。重傷者十二名。列車の損傷——爆風による窓ガラスの全損、連結器の歪み、戦車貨車の固定鎖損傷。ただし走行には支障ありません。それから——」
コズロフは手帳をめくった。
「無人在来線爆弾、作戦成功。幽霊列車、完全破壊を確認」
「戦死者の名前は」
「すでに記録してあります」
「そうか。ベルリンに着いたら、全員の名前をクレムリンに送る」
「必ず」
二人は顔を見合わせた。そこには、この長い旅で培われた、言葉を超えた信頼があった。モスクワを発ってからの数々の戦闘、幾人もの犠牲。そのすべてが、この瞬間のためにあった。
「ベルリンまで、残り三百キロ」
「ついに、ですね」
「ああ。この旅も、あと少しだ」
ジューコフは地図の上のベルリンを指で叩いた。もうすぐだ。娘たちの待つモスクワへ帰るために、まずはこの戦いを終わらせなければならない。彼の胸ポケットには、相変わらず娘たちの手紙が入っていた。破れ、擦り切れたその手紙が、彼の「前に進む」理由であり続けた。
◇ ◇ ◇
ポズナンの操車場で、乗組員たちは最後の補給と準備を進めていた。
戦車砲弾の補充は完了した。ティーガーIには88mm砲弾が三十発、IV号戦車とIII号突撃砲には75mm砲弾がそれぞれ二十発以上積み込まれている。これだけあれば、ベルリンまでの最後の戦いを戦い抜ける。
食料も確保できた。そして——ビールも。鹵獲したドイツ軍の補給物資の中には、バイエルンの醸造所で造られたビールが十数ケース残っていた。オルロフ爺は「ウォッカじゃねえが、まあ燃料にはなる」と言いながら、一瓶をポケットにねじ込んでいる。
「しかしビールを燃料にすると、逆にエンストしそうですね」
フィリポフが小声でつぶやくと、ベッカーが「その場合は押して走ればいい」と真顔で返した。
弾薬庫の確保と積み込み、負傷者の治療、戦車の整備、線路の安全確認。一つひとつの作業が、少しずつ、しかし確実に進んでいく。ペトロヴァは今日も馬用の縫合糸で負傷者を縫い、クラスノフは幽霊列車の破壊データを猛スピードでノートに書き写していた。彼のペン先からは、論文のタイトルがいくつも走り出ている。「論文六本は確定、データ次第で七本……!」
「博士、休憩を」
「データが待っているんです!」
「あなたが倒れたらデータも倒れます。馬もそうですが、休まないと壊れます」
「馬と同列にしないでくださいと言ってるのに——!」
食堂車では、ヴェーバーが一人、手帳を開いていた。彼は今回の戦闘で、誰よりも多くの情報を収集し、分析していた。
「ゲシュペンストツーク、一九四三年十一月、ポズナン近郊にてソ連軍との交戦の末、完全消滅。閉じ込められていた魂の解放を確認。これによりアーネンエルベ第二部門『降霊班』の残存脅威は消滅したと判断する」
彼はペンを置き、窓の外を見た。彼のかつての同僚、アーネンエルベに潜入し二度と戻らなかった工作員。その魂もまた、今解放されたのだろうか。ヴェーバーには確信はなかった。しかし彼は、手帳の余白に小さく書き加えた。
「犠牲者に、敬意を表する」
◇ ◇ ◇
出発の時が来た。
イワン二号の汽笛が、ポズナンの空に高らかに響き渡る。それはミンスクで聞いた初代イワンの汽笛よりも高く、しかし力強さは変わらなかった。むしろ、これまでの戦いを乗り越えたことで、その音には確かな威厳が宿っているように感じられた。
ジューコフは指揮車両の窓辺に立ち、全車両に向けて最後の通達を出した。
「総員に告ぐ。ポズナンでの補給と修理は完了した。これより本列車は、最終目的地ベルリンへ向かう。残り三百キロ。ここまで来た。あとは前に進むだけだ。途中停車はしない。後退の選択肢も、もはや存在しない。全員、最後の戦いに備えろ。以上だ」
車内から、歓声が上がった。
「ウラー!」
ソ連兵の雄叫びが響く。
「フォルヴェルツ!」
ドイツ兵の前進の叫びがそれに続いた。言葉は違う。しかし意味は同じだった。前に進め。それが、全員の共通の意志だった。
「出発」
ジューコフの声で、イワン二号は動き出した。
戦車貨車には再び砲弾が満載され、ティーガー、IV号、III号突撃砲がそれぞれの砲身をベルリンに向けている。客車の中では、ソ連兵とドイツ兵が同じ車両で武器を手入れし、食堂車では初めてビールが回され、ソ連兵とドイツ兵が同じグラスを傾けた。まだ完全な融和ではない。しかし、もはや敵ではない。彼らは、同じ戦いを戦う戦友だった。
オルロフ爺は操縦桿を握り、前方の線路を見据えた。ポケットの中で、初代イワンのボルトとクズネツォフの製造プレートが、チャリ、と鳴った。
「行くぜ、イワン二号。いや——」
彼は操縦桿を握り直し、アクセルを押し込んだ。蒸気が唸り、車輪が咆哮する。
「みんなで行くんだ。初代イワン。クズネツォフ。キリレンコ。カチューシャ。アントン。それからこの列車の乗組員全員——ソ連兵もドイツ兵も、全員でな!」
彼は汽笛をもう一度鳴らした。長く、高く、大地を揺るがす汽笛が、ポーランドの平原に響き渡る。
その汽笛は、これまでに失ったすべての戦友への鎮魂の祈りであり、そしてこれから向かうベルリンへの、最後の宣戦布告だった。
ポズナンを後にし、列車は西へ。
終着駅は、ベルリン。
残り三百キロ。
——第5章「ポズナン」 完——




