表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
30/35

第17話:無人在来線爆弾①

夜明けのポズナン。地平線から這い出るように、黒い蒸気の柱が立ち昇っていた。


幽霊列車「ゲシュペンストツーク」が、再びこの世に姿を現そうとしていた。ミンスクで退けた時よりも、その存在感は圧倒的だった。半透明の車体が、朝靄の中で揺らめき、装甲の傷は自己修復され、銃座に座る「影」たちの数も増えているように見えた。


そして最も恐ろしいことに、幽霊列車の周囲には無数のゾンビが群がっていた。数千、数万の死者たちが、幽霊列車を守る「肉の盾」として、その前後に密集している。まるで幽霊列車そのものが、ゾンビたちを支配しているかのようだった。


「ミンスクの時より強い……」


神父イヴァンが十字架を握りしめながら呟いた。彼の目には、幽霊列車に閉じ込められた魂たちの苦しみが見えていた。あれだけの魂が、まだ鋼鉄の檻に縛られている。


「同志。あれを倒せば、彼らは解放されるんですね」


コミッサロフが珍しく、イヴァンに同意を求めるような口調で言った。


「はい。あの中の魂は、戦死者たちです。ソ連兵も、ドイツ兵も、等しく閉じ込められている。あれを倒せば——彼らはようやく、永遠の眠りにつける」


「……そうか」


コミッサロフは手帳を取り出し、何かを走り書きした。今度は何を書いたか、彼は隠さなかった。


それは「死者の解放」だった。


◇ ◇ ◇


指揮車両で、ジューコフは双眼鏡を構えていた。


「距離は」


「約五キロ。速度は時速約四十キロ。こちらに向かって接近中です。このままでは——」


コズロフの声に焦りが混ざる。


「接触まで、あと何分だ」


「七分、いえ、六分です」


ジューコフは双眼鏡を下ろした。六分。その間にすべてを決着させなければならない。


「総員に通達。作戦を開始する。目標は幽霊列車を線路ごと吹き飛ばすこと。手段は——」


彼は一呼吸置いて、伝声管のスイッチを全車両に入れた。


「無人在来線爆弾だ。聖水を満載したタンク貨車を、幽霊列車に向けて特攻させる。聖水で実体化させた瞬間、爆薬を起爆。幽霊列車を完全破壊する。以上だ」


車内に、一瞬の静寂が訪れた。無人在来線爆弾。これまでにない規模の、これまでにない無茶な作戦。


それを破ったのは、歩兵車両からの声だった。


「——やるしかないっすね!」


アントンならそう言っただろう。もう彼はいない。しかし彼の声を覚えている誰かが、叫んだ。すると、あちこちから声が上がる。


「やろうぜ!」


「キリレンコのぶんも!」


「カチューシャのぶんも!」


「アントンのぶんも!」


ソ連兵もドイツ兵も、すでに叫んでいた。言葉は違っても、叫びの魂は同じだった。


ジューコフは微かに口元を歪めた。それは笑みだった。


「よし。では——やるぞ」


◇ ◇ ◇


操車場の側線で、無人在来線爆弾の準備が最終段階に入っていた。


タンク貨車は全長約十五メートル。その内部には、イヴァン神父とクラウス牧師が共同で祝福した数千リットルの聖水が満たされている。そして貨車の前部には、フィリポフとベッカーが徹夜で仕掛けた爆薬——砲弾を改造した即席の爆発装置が、これでもかと積み込まれていた。


「聖水の放出装置は、衝突と同時にタンクが破砕するよう細工してあります。まず聖水で幽霊列車の実体化を確定させ、その一瞬後に爆薬が起爆する。タイムラグは約コンマ五秒。計算上は——」


「計算はいい。動くかどうかだ」


フィリポフとベッカーの短いやり取り。二人は顔を見合わせ、うなずいた。計算は完璧だ。あとは現実が計算通りに動くかどうか。


「機関士どの!」


フィリポフが叫んだ。


「無人走行の準備、できてますか!」


機関室から、オルロフ爺の声が返ってきた。


「できてるよ! ついさっきな!」


彼は蒸気圧を全開にし、アクセルを固定する装置をセットした。これでレバーを離しても、貨車は加速を続ける。彼は最後に、貨車の計器盤を拳でそっと叩いた。


「お前は機関車じゃない。貨車だ。名前もない。だが——」


彼はポケットから初代イワンのボルトを取り出し、貨車の計器盤の上に置いた。


「今だけは、お前もイワンだ。初代の魂を、少しだけ貸してやる。いいな」


そして彼は貨車から飛び降りた。貨車はゆっくりと動き出し、そして加速度を増していく。無人で。ただ前だけを見て。


「……行け」


オルロフ爺は貨車を見送りながら、小さく呟いた。


「走れ」


◇ ◇ ◇


無人在来線爆弾は、加速を続けた。


時速二十キロ。三十キロ。四十キロ。アクセルを固定された貨車は、まるで自らの意志を持っているかのように、線路の上をまっすぐに走っていく。その前方に、幽霊列車の黒い蒸気が迫っていた。


「全員、衝撃に備えろ!」


ジューコフの命令が響いた。列車内の全員が、壁にしがみつき、床に伏せ、互いに支え合う。フォン・シュタインベルクはティーガーのハッチから顔を出し、その光景をじっと見つめていた。バウマンは操縦席で、無意識にペダルを踏みしめている。グロモフは無言で貨車を見つめ、その目に貨車の姿を焼き付けていた。その中に、初代イワンのボルトがあることを彼は知らなかったが、何かが確かに「そこにある」と感じていた。


無人貨車と幽霊列車の距離が、刻一刻と縮まっていく。千メートル。五百メートル。三百メートル。百メートル。


そして——衝突。


その瞬間、聖水を満載したタンクが大破し、大量の聖水が幽霊列車の車体に降り注いだ。数千リットルの、東西宗派の祈りが込められた聖水が、幽霊列車全体を包み込む。


ジジジジジジ——!


ミンスクで聞いたのと同じ激しい音。熱した鉄に水をかけたような蒸気とともに、幽霊列車の車体が完全な物理的実体として固定された。半透明だった輪郭が不透明な鋼鉄に変わり、揺らめいていた姿が確かな重量を持ち、そして何よりも——。


その直後、コンマ五秒のタイムラグを経て、爆薬が起爆した。


閃光。


轟音。


世界が、白く染まった。


◇ ◇ ◇


爆発の衝撃波が、イワン二号を激しく揺さぶった。


窓ガラスが粉々に砕け、車体が軋み、連結器が悲鳴を上げる。オルロフ爺は操縦桿を握りしめ、歯を食いしばって列車の安定を保った。衝撃波は爆心地から数百メートル離れたイワン二号にまで届き、車体を横にずらすほどの威力だった。乗組員たちは床に投げ出され、固定されていなかった荷物が車内を飛び交った。


「耐えろ! イワン二号!」


彼の叫びに応えるように、機関車は蒸気を吹き出し、車輪をレールに食い込ませた。脱線ギリギリの揺れだったが、イワン二号は持ち堪えた。戦車貨車の固定鎖が数本弾け飛んだが、フィリポフがすぐに這い寄って補強する。彼の手にはクズネツォフの手帳が握られていた。手帳のページには、まさにこういう状況を想定した「緊急補強手順」が書かれていた。


「中尉……まだ先を読んでたんですか」


フィリポフは涙をこらえながら鎖を締め直した。クズネツォフは死してもなお、彼らを守り続けていた。


◇ ◇ ◇


爆煙が晴れた時、そこにあったのは——


粉々に砕け散った貨車の残骸。そして、それ以上に重要なもの。


幽霊列車「ゲシュペンストツーク」の完全なる破壊だった。


車体はバラバラに砕け、車輪はレールから外れて雪原に突き刺さり、黒い蒸気の煙突は根元から折れて空を指していた。銃座に座っていた「影」たちは、もはやどこにもいなかった。


そして最も印象的だったのは、機関士席の「影」だった。


それは爆風の中で、ゆっくりと形を失いながら、ほんの一瞬だけ、オルロフ爺の方を向いたように見えた。その顔には、初めて表情があった。影だから見えるはずがないのに、確かに「笑み」のようなものが浮かんでいた。


感謝か。安堵か。それとも——。


「……楽になれたか、ドイツの機関士」


オルロフ爺は操縦桿を握りしめたまま、静かに呟いた。


「あんたも、いい機関士だった。俺が保証する」


影は、それ以上何も語らず、朝靄の中に溶けるように消えていった。幽霊列車は完全に破壊され、閉じ込められていた魂たちはようやく解放された。少なくとも、その場にいた全員がそう感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ