表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
26/35

第15話:ワルシャワ突破戦②

食堂車では、今日もあの二人が同じ場所で戦っていた。


コミッサロフは銃眼にDT機関銃を据え、汗だくでトリガーを引き続けている。隣には神父イヴァン。左手に十字架、右手にPPSh。いつもの陣形だった。


「同志! 右の建物の二階窓から! 三匹!」


「見えています! 主よ、この死者に安息を与え給え——!」


祈りと同時に掃射。三匹のゾンビが窓から落下し、路上に叩きつけられた。地面との衝突で頭蓋が砕け散る。それ以上、動くことはなかった。


「あんたの祈り、本当に効いてるのか」


「さっき倒れた三匹を見て、それでも疑いますか」


「……疑う。きっと弾丸のほうが効いている。たまたまだ」


「たまたま、がこれだけ続けば、それはもう偶然ではありませんよ」


「ならば統計的に——」


「後で! 次、左!」


二人は口論しながらも、完璧な連携でゾンビを撃ち続けた。その隣の窓では、中年のドイツ兵がMG34を構え、無言で射撃を続けている。彼はこの二人の会話を、理解できているのかいないのか。ただ時折、口元をわずかに歪めて、仲間のドイツ兵に「あの二人、なんだ」と目配せしていた。


◇ ◇ ◇


貨車の隅では、クラスノフ博士が壁に張り付きながらノートを取っていた。


「素晴らしい! 戦車砲の同時斉射による衝撃波の伝播が、ゾンビの群れに対して予想以上の効果を——」


「博士! 伏せてください!」


ペトロヴァが彼の襟首を掴んで床に引き倒した。窓から飛び込んできたゾンビの腕が、クラスノフのノートをかすめて壁にぶつかる。


「ああっ! 私の記録が!」


「命より記録が大事なんですか!」


「命は記録のためにあるんです! 記録がなければ科学は進歩しない、科学が進歩しなければ人類は——」


「死んだら記録もできません! 馬だって死んだら走れないんです!」


「私を馬と同列に——」


「哺乳類はみんな同じです!」


二人の怒鳴り合いの最中、侵入してきたゾンビがペトロヴァに襲いかかろうとした。彼女はとっさに手に持っていた馬用注射器を逆手に構え、ゾンビの頭部をめがけて振り下ろした。鈍い音とともに巨大な針がゾンビの眼球を貫き、そのまま頭蓋内に鎮静剤を流し込む。ゾンビは数歩よろめき、そして崩れ落ちた。


「……今のは」


「馬用鎮静剤の過剰投与です。人間には致死量ですが、ゾンビに致死量はない。でも、効きましたね。たぶん」


「たぶん!?」


「たぶんです。データが取れました。ありがとうございます」


クラスノフは呆然としながらも、震える手でノートに「獣医用鎮静剤の対ゾンビ効果、要追加検証」と走り書きした。これで論文がまた一本増える。しかし今はそれどころではなかった。


「さあ博士、次の観測に行きますよ!」


「どこに——」


「戦車貨車です! あそこが一番データが取れる!」


「正気ですか!」


「正気じゃないからここにいるんです!」


彼女はクラスノフの腕を掴み、揺れる車内を這うようにして戦車貨車の方へと向かっていった。


◇ ◇ ◇


戦車貨車の上。


ティーガーの88mm砲が、また一発、咆哮した。今度はワルシャワ中央駅の時計台を狙ってのことだ。砲弾は狙い違わず時計台の基部に命中し、レンガ造りの塔が根元から崩れ落ちる。駅舎の屋根の上に群がっていた数百体のゾンビが、瓦礫とともに地上へと雪崩れ落ちた。それは狙いによるものだった。


「少佐! 左の市場広場! あそこも密度が高い!」


「見えている。装填!」


ティーガーの主砲が、また火を噴いた。


ワルシャワの街が、壊れていく。かつてポーランドの人々が愛した美しい街並み。旧市街の石畳、大学の尖塔、教会のステンドグラス。それらが戦車砲の炸裂で崩れ、ゾンビもろとも瓦礫の山と化す。美しかった街は、今やただの戦場だった。


それでも、イワン二号は止まらなかった。止まれなかった。止まれば全滅する。だから彼らは壊し続ける。前に進むために。


線路は、まだ続いていた。奇跡的に破壊されていない。ワルシャワの鉄道網はドイツ軍の補給路として整備され、ゾンビの大群の中にあっても、レールだけは、まだ役目を果たしていた。


イワン二号の車輪は、線路を確実に掴み、瓦礫と死体の上を滑るように走り抜けていく。


「前方にヴィスワ川の鉄橋! 距離三百!」


見張りの声に、全員が息を呑んだ。ヴィスワ川はポーランド最大の河川だった。鉄橋が破壊されていれば、イワン二号は川を渡れない。ワルシャワで立ち往生し、ゾンビの海に飲まれるしかない。


「見えるか! 鉄橋は!」


ジューコフが叫んだ。双眼鏡を持つ彼の手に、力がこもる。初めて、彼の声に緊張が走った。


「——見えます! 無事です!」


歓声にも似た安堵が、車内に広がった。しかし次の瞬間、それもかき消された。鉄橋の上にもゾンビがぎっしりと詰まっていた。幅の狭い鉄橋の上に、数百体のゾンビが隙間なく堆積している。


「速度を落とせば、橋の上で立ち往生する。落とさなければ——」


「突っ切るぞ。全砲門、橋の上を掃射。道を開けろ」


戦車砲が再び火を噴いた。ティーガーの88mm砲が鉄橋の入口を吹き飛ばし、IV号の75mm砲がその後を追う。III号突撃砲が橋の中央部を狙い、ゾンビの堆積を粉砕する。炸裂のたびに、橋の鉄骨が軋み、ゾンビの肉片がヴィスワ川の凍った水面に降り注いだ。水面に落ちた残骸が、氷を叩く不気味な音を響かせる。


「道が開いた! 今だ!」


イワン二号は、戦車砲が切り開いた一瞬の空隙に飛び込んだ。車輪が鉄橋のレールを掴み、鋼鉄の軋み音が川面にこだまする。橋全体が揺れ、リベットが弾け飛び、橋脚が悲鳴を上げた。ヴィスワ川の鉄橋は、百トン超の戦車を積んだ列車の重量に耐えられるようには設計されていない。今にも崩れ落ちそうだった。しかし、持ち堪えた。


「抜ける! あと五十メートル!」


イワン二号はヴィスワ川を渡り切った。ワルシャワの街を分断する大河を越えたのだ。機関室で、オルロフ爺は操縦桿を握りしめたまま、川の向こう岸の廃墟を見ながら、深く息を吐いた。鉄橋を渡り切った。列車が橋を渡り切った。後方では、鉄橋の一部がついに耐えきれずに崩落し、ゾンビの群れごと川の中へと消えていく。橋を渡りきれなかったゾンビたちが、川の中へ雪崩れ落ちる。ヴィスワ川の氷が割れ、黒い水が顔を出す。ゾンビは水中でもがき、やがて動かなくなった。


「……いいぞ、イワン二号。あと少しだ」


彼の声は、機関車への賛辞であり、自分への鼓舞でもあった。前方には、まだポーランドの大地が続いていた。


◇ ◇ ◇


戦車貨車の上で、戦車砲が最後の砲弾を撃ち尽くした。


「残弾ゼロです、少佐!」


バウマンの声が、ティーガーの車内に響いた。


「こちらもゼロだ。全弾、使い切った」


ハルトマン軍曹のIV号戦車も、III号突撃砲も、すべての砲弾を使い果たしていた。戦車貨車からはもう煙も上がらない。鋼鉄の獣たちは、その牙を使い切り、静かになった。それでも戦車のシルエットだけは、貨車の上で威容を保っている。今だけは、空っぽの砲身が、役目を終えた誇りのように見えた。


「……十分だ。よくやった」


フォン・シュタインベルクは照準器から目を離し、初めて深く息を吐いた。彼の額には汗が滲み、軍服は硝煙の臭いに染まっていた。彼は振り返り、砲手と装填手の肩を叩いた。


「諸君、見事な射撃だった。私は諸君を誇りに思う」


「少佐……」


バウマンが操縦席から振り返った。彼の顔は煤で真っ黒だったが、その目は輝いていた。


「ぼくたち、やりましたね。列車の上から戦車砲を撃つなんて、誰もやったことないですよね」


「ああ。おそらく史上初だ」


「それって、勲章ものじゃないですか?」


「勲章をくれる上官は、もう誰も生きていないかもしれないがな」


「……あ、そっか」


バウマンの肩が落ちた。しかしフォン・シュタインベルクは続けた。


「だが、生き延びたことを誇りに思え。それだけで十分に叙勲に値する」


バウマンは微笑み、操縦桿をそっと握り直した。勲章がなくても、彼は確かに誇りを感じていた。


客車の一角では、ペトロヴァが負傷者の治療に追われていた。戦闘の激しさに比例して、負傷者も増えている。しかし彼女の手際は、かえって冴え渡っていた。


「動かないでください。今、縫います。あ、これ馬用の縫合糸だ。でも大丈夫。人間にも使えます。たぶん」


「たぶん、って軍医さん——いてて!」


「はい、終わり。次! あ、ドイツ兵もいる。ドイツの哺乳類もだいたい同じです」


彼女は戦闘中にもかかわらず、いつも通りの調子で治療を続けた。負傷したドイツ兵が、恐る恐る彼女に尋ねた。


「……フラウ・ドクター。私の脚は」


「大丈夫。切断はしなくて済みます。馬は脚を傷めると安楽死ですけど、あなたは二本足で歩けるからセーフです」


「あ、ありがとうございます」


「どういたしまして。包帯が足りないから、あなたの軍服の袖を切ります。いいですね?」


ドイツ兵は呆然とうなずき、ペトロヴァは躊躇なく彼の軍服の袖を鋏で切り裂き、包帯代わりに巻き始めた。


◇ ◇ ◇


ワルシャワの街が、後方に遠ざかっていく。振り返ると、街全体が煙に包まれ、崩れた建物と、無数のゾンビの動きが、かすかに見える。しかしその数は、明らかに減っていた。戦車砲の斉射と、列車の突破が、ゾンビの群れの大部分を粉砕したのだ。


「同志元帥。ワルシャワ通過」


コズロフの声には、疲労と安堵が混ざっていた。


「被害を報告しろ」


「戦死者、ソ連側一名。ドイツ側なし。重傷者四名。軽傷者二十名以上。戦車貨車の全砲弾を使い切りました。イワン二号——走行可能です」


「戦死者の名前は」


「ソ連歩兵、アレクセイ・ヴォロディン。二十三歳。戦車貨車の固定鎖が緩んだのを直そうと貨車の外に出た際、ゾンビに引きずり落とされました」


ジューコフは少しだけ沈黙した。彼は死んだ兵士の顔を思い浮かべようとした。しかし、すべての兵士の顔を覚えているわけではない。彼はそれを、自分の無能さとは思わなかった。これは戦場であり、すべてを記憶することはできない。ただ、戦ったという事実だけが残る。


「記録しろ」


「……了解」


ジューコフは窓の外を見た。ワルシャワが遠ざかり、前方には雪に覆われたポーランドの平原が広がっている。次の目的地はポズナン。約三百キロ先。そこを越えれば、ついにベルリンに到達する。


「ポズナンまで、残り三百」


「ええ。あと少しです」


「あと少し——か」


ジューコフは胸ポケットに手を当てた。娘たちの手紙が、まだそこにある。モスクワを発ってから、もう何日が経っただろう。途中で何度も死にかけ、仲間を失い、敵だった者と手を組み、それでも彼らは前に進んできた。


「この旅は、まだ終わらない」


「ええ。まだ終わりません」


二人は顔を見合わせ、微かに笑った。その笑みは、出発した時よりも、ずっと深く、ずっと強かった。


◇ ◇ ◇


機関室では、オルロフ爺が一人、計器盤に話しかけていた。


「イワン二号。お前、戦車を引っ張ってワルシャワを突破した。幽霊列車に体当たりして退け、レールのない地面を走った初代イワンに、これで並んだな」


蒸気がシュウ、と長く漏れた。


「並んだだけじゃない。超えたかもしれない」


彼はもう一度言った。誰に言うでもなく、自分自身に言い聞かせるように。


「お前は、最高の機関車だ」


機関車は答えない。しかし蒸気のリズムが、ほんの少しだけ弾んだように、オルロフ爺には感じられた。彼の手が、ウォッカ瓶を探して空を掴む。まだ慣れない。彼は苦笑いして、手を操縦桿に戻した。


「……くそっ。ウォッカがねえ。だがまあ——」


彼は前方の線路を見据えた。


「素面でどこまで走れるか、試してみるか」


戦車貨車の上で、フォン・シュタインベルクはティーガーのハッチから顔を出し、風に当たっていた。ポーランドの平原を、冬の風が吹き抜けていく。冷たい。しかし不思議と悪くなかった。


「少佐」


隣のIV号戦車から、ハルトマン軍曹が声をかけた。


「何だ」


「ソ連兵の、あの狙撃兵。屋根の上にずっといる女です。彼女、一人で四十体以上倒したそうです」


「……驚異的だな」


「驚異的ですが、正直、ちょっと怖いです。あの笑顔、目が笑ってない」


「あと、もう一つ。大したことじゃないんですが——」


「言え」


ハルトマンは言いづらそうにしながら、口を開いた。


「バウマンがソ連兵からパンをもらったそうです。喜んで食べてました」


フォン・シュタインベルクはしばらく沈黙した。それから。彼は顔を風に向けたまま、微かに、ほんの微かに笑った。誰も見ていない。見ているのは、ポーランドの冬の空だけだった。しかしそれは確かに、プロイセン貴族としてではなく、一人の指揮官としての、純粋な笑みだった。


「そうか。それは、良いことだ」


◇ ◇ ◇


夕暮れが近づき、空が茜色に染まり始めた頃。


イワン二号は、ワルシャワを後にし、ポズナンへ向けて走り続けていた。戦車貨車にはもう弾薬はない。しかし三両の戦車の威容だけは、まだ健在だった。むしろ、弾薬を使い切ったその姿は、傷つきながらも戦い抜いた戦士のようだった。


客車の中では、負傷者の治療が続き、歩兵たちは武器の手入れをし、工兵たちは戦車の固定具を再点検していた。食堂車では、ソ連兵とドイツ兵が同じ釜の湯をすすっている。まだウォッカは回されていない。でも、同じ空間で同じ湯を飲む。それだけで、少しずつ何かが変わり始めていた。


そして機関室では、オルロフ爺が一人、前方の線路を見据えながら呟いた。


「ポズナンか。次は何が待ってるんだろうな」


彼のポケットで、初代イワンのボルトとクズネツォフの製造プレートが、チャリ、と鳴った。まるで「まだ終わってない」と。あるいは「次も頼む」と。そう言っているかのように。


イワン二号は、今夜も止まらない。前に進む。ただ、前に。


——「ワルシャワ編」 完——


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ