第10話:亡霊の咆哮
伝声管の向こうで、ヴェーバーの声が響いた。
それは情報将校としての彼が、これまで誰にも話さなかった断片だった。スモレンスクで合流した時、彼はゾンビの発生源については話したが、幽霊列車の詳細については「全貌を把握していない」とだけ言って口を閉ざしていた。しかし今、目の前にそれが現れた今、沈黙は意味を失っていた。
「あの列車はゲシュペンストツーク。アーネンエルベ第二部門、降霊班の最高傑作です」
指揮車両で、ジューコフは伝声管に耳を傾けながら、窓の外の幽霊列車を睨み続けていた。
「続けろ」
「元は一九四一年、バルバロッサ作戦時に鹵獲したソ連の装甲列車を改装したものです。しかし通常の改装ではありません。ヒムラー直属の降霊班が、戦死者の魂を、列車の鋼鉄に憑依させた」
「憑依」
ジューコフの声は平坦だった。しかしその目は、明らかにヴェーバーの言葉を分析していた。
「私自身、信じていませんでした。しかし現在、あれが目の前にいる。国防軍情報部の記録によれば、ゲシュペンストツークは三つの特性を持っています」
伝声管の向こうで、ヴェーバーが深く息を吸うのが聞こえた。
「第一に、通常兵器の効果が不安定。実体と非実体の間を不規則に遷移するため、弾丸が『すり抜ける』ことがあります」
「効くのか効かないのか、どっちだ」
「両方です。予測は不能。我々のデータでも、命中率はおおよそ半分以下でした」
ジューコフは眉をひそめた。運任せの戦闘など、指揮官として最も嫌うものだ。
「第二は」
「耐久力です。通常の装甲列車の三倍以上の装甲を持つことに加え、霊的実体としての自己修復能力を備えています。破壊しても時間経過で再生する。完全に破壊するには、物理的破壊と同時に、憑依された魂そのものを解放する必要があります」
「魂を解放、だと」
「はい。我々ドイツ国防軍も、方法は見つけられませんでした」
ジューコフは腕を組んだ。彼は無神論者だった。魂も幽霊も信じてはいない。しかし、信じる信じないは問題ではなかった。現にそこに存在し、攻撃してきている。ならば、倒す方法を考えるだけだ。
「第三は」
「——第三は」
ヴェーバーの声が、初めて震えた。
「ゲシュペンストツークは『学習』します。戦闘を経るごとに、相手の攻撃パターンを分析し、適応する。まるで意思を持っているかのように」
「……まるで、ではなく。あるんだな、意思が」
「わかりません。しかし少なくとも『敵を排除する』という目的だけは、明確に持っているようです」
その時だった。
◇ ◇ ◇
幽霊列車の全銃座が、一斉に火を噴いた。
無数の弾丸が霧を切り裂き、イワン二号の側面装甲を叩く。金属を打つ甲高い音が連続し、窓ガラスの残りが次々に砕け散った。
「伏せろ!」
グロモフの叫びと同時に、歩兵たちは床に這いつくばった。頭のすぐ上を、銃弾が唸りを上げて通過していく。壁に埋め込まれた銃眼から、外の光が筋のように差し込み、車内に無数の影を落とした。
「撃ち返せ! 狙いは銃座だ!」
歩兵たちが銃眼に飛びつき、反撃を開始する。しかし——
「効いてない!」
誰かが叫んだ。DT機関銃の掃射が、幽霊列車の車体をすり抜けていく。着弾の火花は散らず、ただ白い霧の中に吸い込まれるように消えた。
「もう一度!」
二射目。今度は命中した。装甲に火花が散り、幽霊列車の外板がわずかに凹む。しかし、すぐに凹みが元に戻っていく。まるで傷が癒えるように、金属がゆっくりと再生するのが見えた。
「なんだよあれ……!」
アントンは震える手で小銃を撃った。弾丸は幽霊列車の銃座を狙った。が、すり抜けた。彼は弾倉を交換し、もう一発。今度は命中した。銃座の「影」が一瞬揺らぎ、消えかけた。が、また戻ってきた。
「半分も当たらない! 当たっても倒せない!」
「黙って撃て!」
ボリスが隣でPPShを掃射しながら怒鳴った。彼は冷静だった。少なくとも、表面上は。古参兵としての経験が、彼に教えていた。パニックになるな。パニックになったら終わりだ。まずは撃つ。当たる当たらないは、そのあとで考えろ。
「効くかどうかは神のみぞ知る、か」
ボリスはスターリングラード時代の古い冗談を呟いた。隣でアントンが「今それ言う!?」と叫んだが、彼の口元には笑みがあった。怖い時こそ、笑え。それがこの部隊の流儀だった。
◇ ◇ ◇
食堂車では、神父イヴァンが十字架を握りしめていた。
彼の目は、幽霊列車の機関士席に座る「影」に釘付けだった。他の乗組員には、それがただの影にしか見えないかもしれない。しかし彼には、見えた。いや、感じた。あの中に閉じ込められた魂の苦しみが。
「……主よ」
彼は震える声で呟いた。
「なぜ彼らを鋼鉄に縛り付けるのです。死者は安らかに眠るべきです。それを——」
「神父!」
コミッサロフが駆け寄ってきた。彼はDT機関銃のトリガーを握りしめ、額に汗を浮かべている。
「なに祈ってる! 戦え! あんたは衛生兵でもあるんだろ!」
「同志。あれは、死者の魂です。何十人、何百人もの魂が、鋼鉄の檻に閉じ込められて、永遠に走り続けている」
「だからなんだ!」
コミッサロフは叫びながら、機関銃の銃口を窓の外に向けた。
「魂が閉じ込められてるなら、解放してやればいい! 祈りでも弾丸でも、どっちでもいいから手を動かせ!」
イヴァンは目を見開いた。コミッサロフの言葉は神学的に正しいかどうかわからない。しかし、確かに一理あった。解放する。それができるのは祈りだけではない。時には、弾丸もまた「解放」の手段になり得る。
「……同志。あなたは時々、偉大な神学者よりも真理を突きますね」
「褒めてるのか馬鹿にしてるのかどっちだ!」
「もちろん褒めています。さあ——」
イヴァンはPPShを手に取り、コミッサロフと並んで窓際に立った。左手に十字架、右手に短機関銃。彼の戦い方は、ついに完成した。
「主の御名において、再び永遠の眠りを!」
彼が祈りながら銃を掃射すると、不思議なことに、彼の放った弾丸は、一本もすり抜けなかった。
「なんであんたのだけ——」
「信仰です、同志」
「非科学的だ!」
二人は撃ち続けた。口論しながら。しかし確実に幽霊列車の銃座を一つずつ沈黙させていく。
◇ ◇ ◇
その頃、屋根の上。
カチューシャは、一人だけまったく違う世界にいた。
彼女は対戦車ライフルを抱えて屋根に這いつくばり、スコープ越しに幽霊列車を観察していた。至近距離から浴びせられる銃弾の雨。耳をつんざく銃声。飛び散る火花。しかし彼女の顔には、いつもの微笑みが浮かんでいる。
「……うん。効く時と効かない時があるね」
彼女は最初の数発を観察に費やしていた。効かないのなら無駄撃ちはしない。彼女のスタイルは「一発一殺」。効く瞬間を狙う。
一発目。すり抜けた。
二発目。すり抜けた。
三発目——命中。幽霊列車の銃座の一つが、影ごと吹き飛んだ。対戦車ライフルの威力は、DT機関銃とは比較にならない。命中さえすれば、幽霊列車の兵装であっても無力化できる。
「……あ、わかったかも」
彼女は何かに気づいたように小首をかしげた。
「こいつら、撃つ瞬間だけ、実体になる。反動がいるから、かな? それとも攻撃する意志が実体化を引き起こすのかな。まあどっちでもいいや」
彼女は笑顔で二射目を放った。幽霊列車の機関銃が火を噴いた瞬間、その銃座が、正確に撃ち抜かれて沈黙した。
「やっぱり。攻撃する時はこっちも当たる。フェアだね。好きだよ、そういうの」
そして彼女は、まるで射撃場でターゲットを撃つかのように、次々と幽霊列車の銃座を無力化していった。彼女の動きには迷いがなかった。恐怖も、緊張も、ためらいも。彼女にとってこれは、ただの「射撃」だった。相手が人間でも、ゾンビでも、幽霊でも。狙って、撃って、当てる。それだけ。
「……三十九人目」
「四十人目」
「四十一人目」
彼女のカウントは止まらない。しかし不思議なことに、撃ち抜いた銃座は完全には消えず、霧のように薄くなったかと思うと、別の場所に再び現れる。まるでモグラ叩きのように。
「……しつこいなあ」
彼女は少しだけ唇を尖らせた。しかし目は笑っていた。手強い獲物ほど、狩り甲斐がある。彼女はそれを知っていた。
◇ ◇ ◇
機関室。
オルロフ爺は、両手で操縦桿を握りしめていた。
外の戦闘音。銃声、爆発音、金属を打つ雨あられのような音。それらが、機関室にまで届いている。しかし彼の意識は、そのすべてを遮断していた。彼が今集中しているのは、ただ一つ、イワン二号の振動だけだった。
「お前は違う。お前は生きてる」
彼は計器盤に話しかけた。針は正常値。蒸気圧は安定。車軸の温度も問題ない。イワン二号は、この異常な状況下でも完璧に走っていた。
「あっちは死んでる。機関車のくせに、死んでるんだ」
オルロフ爺は窓から幽霊列車を睨みつけた。彼の目には、他の乗組員とは違うものが見えていた。装甲の状態。車輪の配置。蒸気の噴出パターン。そして、運転席の「影」の手つき。
機関士の目で見れば、すべてがわかる。
「あいつ……うまいな」
オルロフ爺は認めざるを得なかった。幽霊列車の運転は、驚くほど正確だった。時速六十キロを維持し、線路の微妙なカーブに合わせて速度を微調整し、振動を最小限に抑える操作をしている。影であろうが霊であろうが、あの運転席に座っているのは確かに、一流の機関士だった。
「ドイツの機関士か。どんな奴だったんだろうな」
彼はポケットのボルトに触れた。
「戦争が終わったら、ゆっくり話がしたかったよ。お前の機関車のことを。どうやってここまで改造したのか。どんな線路を走ってきたのか」
彼はもう一度幽霊列車を見た。今度は、敵としてではなく、同業者として。同じ鉄路を走る者として。
「でもな。今は戦争だ。だから——」
彼はアクセルをさらに押し込んだ。蒸気圧が上がり、ピストンが加速する。
「お前を倒す」




