表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/13

能動的な肢体

1

六月に入り、関東地方は本格的な梅雨に突入していた。

容赦なく窓を叩く雨の音と、エアコンの冷気が混ざり合う1年B組の教室。じっとりとした湿気の中で、私は自分のデスクに肘をつき、スマートフォンの画面を滑らせていた。

画面に並ぶのは、複数の男たちのトーク画面。

一番上は神崎蓮。次が小林。その下が大学生の直人さん。さらにその下には、他校の男子や、SNSで私を「神」と崇める顔も知らない男たちのメッセージが、まるで行列を作るようにして私の返信を待っている。

「繭ちゃん、今日の放課後さ、駅前のパフェ屋さん行かない? 新作出たんだって」

沙耶が私の席にやってきて、無邪気に声をかけてくる。

「あ、ごめんね、沙耶ちゃん。今日、ちょっとお母さんに用事頼まれてて、すぐ帰らなきゃいけないんだ」

「そっかぁ、残念。じゃあまた今度ね!」

沙耶は疑うこともなく、笑顔で自分の席に戻っていく。

もちろん、母親の用事なんて嘘だ。今日の放課後のスケジュール帳には、別の『予定』がしっかりと書き込まれている。

私はリップクリームを唇に滑らせながら、フッと小さく息を漏らした。

学校での私は、相変わらず「誰の誘いにも乗らない、ガードの固い清楚な美少女」だ。男子たちの間では、私のブランド価値は下がるどころか、手が届かない『高嶺の花』として神格化すらされていた。

彼らは誰も知らない。

その高嶺の花が、放課後になれば制服のスカートを自ら捲り上げ、男たちの間で肉体をハシゴしている、ただの淫らな擬態生物だということを。

「……おい、吉岡」

不意に、背後から声をかけられた。振り返ると、そこには小林くんが立っていた。

彼の目は充血し、どこか焦燥しきった顔をしている。周囲の目を気にするように、声を低くして私の机に手を突いた。

「お前、最近、俺のライン無視しすぎだろ。神崎とも会ってないみたいだし、放課後いつもどこ行ってんだよ」

小林くんの手が、私の制服の袖口に触れようとする。

以前の私なら、男の子にそんな風に凄まれただけで、中学時代の恐怖が蘇って泣き出していたかもしれない。男の力、男の威圧感。それは私を壊す天敵だったから。

けれど、今の私は違った。

私は彼の手を拒むこともせず、むしろ机の下で、自分の膝を彼の太ももにそっと擦りつけた。

「静かに、小林くん。みんな見てるよ?」

上目遣いで、唇の端を少しだけ吊り上げて囁く。

「……っ!」

小林くんは一瞬で息を呑み、顔を真っ赤にして数歩後退りした。その反応を見た瞬間、私の胸の奥で、ゾクゾクとするような暗い愛撫が走る。

(ほら、やっぱり。男の人なんて、こうすれば一瞬で大人しくなる)

恐怖は完全に消え去っていた。

男という生き物は、私のこの『身体』一つで、いくらでも従順な犬に変えられる。

彼らの剥き出しの欲望をコントロールしている感覚。それこそが、私の乾ききった自尊心を潤す、唯一の極上の麻薬だった。

2

放課後。私は約束通り、蓮のマンションを訪れていた。

最近の蓮は、私への独占欲と、どこかへ行ってしまうのではないかという恐怖で、精神的に完全に追い詰められていた。部屋に入るなり、彼は私を玄関の壁に押し付け、狂ったように唇を奪ってきた。

「繭、繭……っ、どこ行ってたんだよ。俺、お前がいないと、マジでおかしくなりそうなんだ……」

彼のキスは激しく、必死で、まるで溺れる者が藁をも掴むような哀れさに満ちていた。

かつて「教室の神様」として私をエスコートしていた、あの余裕のある姿はどこにもない。私という存在に、完全に狂わされ、支配されている。

「ふふ、蓮くん、落ち着いて。ちゃんと来たでしょ?」

私は蓮の胸を優しく押し返し、彼を見つめて微笑んだ。

かつては恐怖でしかなかった、男の激しい執着。それを今では、楽しむ余裕すらあった。

私たちはベッドルームへと移動した。

照明を消そうとする蓮の手を、私はすっと遮った。

「消さないで、蓮くん。私のこと、ちゃんと見て?」

自ら制服のブラウスのボタンを、一つ、また一つと外していく。

ラベンダー色の下着に包まれた、マイナス8キロの私の身体が、夕暮れの光の中に浮かび上がる。

初体験の時は、恥ずかしさと恐怖でソファーの隅に丸まっていた私が、今では、蓮がどんな目ををして私の身体を凝視するのかを、愉悦の表情で見つめ返していた。

「繭……お前、本当に綺麗だ……」

蓮が喉を鳴らし、ベッドに横たわった私に覆いかぶさる。

彼の熱い手のひらが私の肌をなぞり、太ももを割り、奥へと侵入してくる。

その瞬間、私の中の「能動的な肢体」が完全に覚醒した。

(あぁ、もっと私を欲しがって。君のそのプライドも、理性も、全部私のこの身体で溶かしてあげる)

3

「ん、っ……ふ、ぁ……蓮くん……っ」

肉体が交わった瞬間、私は受動的に快感を受け止めるだけの存在ではなかった。

自ら腰を持ち上げ、蓮の身体をより深く、自分の奥底へと引き込むようにして締め付ける。何度も男たちを受け入れてきた私の身体は、どこをどう動かせば、相手の男が一番声を上げ、理性を失うかを完全に理解していた。

「――っ、繭、お前、っ……!」

蓮の呼吸が、劇的に荒くなる。彼の額から汗が滴り、私の胸元へと落ちていく。

私は彼の首に両腕を回し、その耳元に、わざと湿った熱い息を吹き付けながら囁いた。

「ねえ、蓮くん……気持ちいい? 私のここ、きつい?」

「あ、あぁ……ヤバい、マジで、気持ちよすぎる……っ」

「ふふ、じゃあ……もっと、奥まで来て。蓮くんのぜんぶ、私にちょうだい……っ」

上目遣いで彼を挑発しながら、私は自ら髪をかき上げ、首筋を大胆に晒して見せた。相手の欲望を自分の手で増幅させ、コントロールしているという圧倒的な万能感。

かつて初体験の夜に感じていた「私は消費されているだけだ」という孤独な内情は、今や「私がこの男を支配し、消費しているのだ」という傲慢な確信へと完全に上書きされていた。

ベッドの上で繰り広げられる、生々しい肉体のぶつかり合いの音。

シーツを強く引き絞り、蓮の動きに合わせて自ら身体をのけぞらせる。

快感の波が押し寄せる。でも、私の頭の芯は、どこまでも冷酷に笑っていた。

(ほら、見てよ。学校の王様が、私の身体の上で、こんなに無様に腰を振って、私を求めて泣きそうになってる)

これは、世界に対する復讐だ。

私を虐げた男たちに対する、私だけの、最も濃厚で積極的な復讐劇。

蓮が私の身体をきつく抱きしめ、何度も、何度も突き上げてくるたびに、私は自分がこの世界の女王になったかのような、強烈な錯覚に囚われていた。

「あ、んっ……は、あぁぁ……っ、蓮くん、そこ、すごい……っ!」

私の口から漏れる艶やかな悲鳴すら、彼をさらに興奮させるための計算された演出の一部だった。

蓮は完全に我を忘れ、獣のような咆哮を上げて、私の中にすべてを注ぎ込んだ。

激しいピストンが止まり、私の身体の上に重く崩れ落ちてくる蓮。

私は彼の背中に優しく腕を回し、その濡れた髪を撫でながら、満足感に浸っていた。

けれど、彼が私の身体から離れ、部屋に静寂が戻った瞬間。

ピピピッ、と、私のスマートフォンのバイブレーションが、虚しくベッドサイドで鳴り響いた。

4

蓮がシャワーを浴びている隙に、私はベッドの上でスマートフォンを拾い上げた。

画面に表示されたのは、三人目の男――大学生の直人さんからのラインだった。

『直人:繭ちゃん、今週の土曜の夜、空いてる? 友達の高級タワマンでパーティーあるんだけど、連れていきたいな。みんなに自慢したいし(笑)』

メッセージを見つめながら、私の心の中に、一瞬だけ、冷たい風が吹き抜けた。

高級タワマン。パーティー。自慢したい。

また、それだ。

私は蓮を支配していると思っていた。男たちをコントロールしていると思っていた。

でも、私は結局、彼らの「おもちゃ」として、彼らの都合の良いステージで消費されているだけじゃないのだろうか。

「……ううん、違う。私が、彼らを利用してるんだ」

自分に強く言い聞かせるように、頭を振る。

スマートフォンの画面に反射する私の顔は、驚くほど濃いメイクで塗り固められていた。

ミルクティーベージュの髪、不自然に大きく見せるためのカラコン、男を焦らすためのグロス。

その奥にある、本当の「吉岡繭」の顔が、どんなものだったか、私はもう思い出すことができなくなっていた。

『吉岡繭:直人さん、嬉しい! タワマンパーティー、行ってみたいなぁ。私、どんなお洋服着ていけばいい? 直人さんの好みに合わせちゃうね。』

送信ボタンをタップする。

私の指先は、慣れた手つきで次の男への『擬態』を始めていた。

学校では完璧な美少女。

裏では男をハシゴする女。

そして、そのどちらでもない、からっぽの私。

私は自分の肢体を能動的に動かし、男たちを誘惑し続けることでしか、自分の輪郭を維持できなくなっていた。この暴走の先に、どんな破滅が待っているかも知らずに、私はさらに深い泥沼へと、自ら進んで両足を沈めていく。

(第9話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ