逆襲のハズレ地味子
1
底の抜けた沼のような暗闇の中で、私は静かに目を覚ました。
場末のラブホテルの、色褪せた遮光カーテンの隙間から、濁った灰色の朝光が差し込んでいる。湿ったシーツの上には、昨日名前も知らない男に手荒く扱われたせいで、私の身体のあちこちに青紫色の痣や、生々しい擦り傷が赤く浮かび上がっていた。衣服からは、男の安っぽいタバコのヤニ臭さと、私の体液が混ざり合った、胸がムカムカするような頽廃的な匂いが立ち上っている。
私はベッドの上に上体を起こし、枕元に転がっていたスマートフォンの電源を入れた。
画面が起動した瞬間、光の束と共に、視界を埋め尽くしたのは狂気的なまでの通知の嵐だった。
学校の裏掲示板の書き込み数はとうに数千を超え、SNSの鍵アカウントのタイムラインには、私の「中学時代のデブ眼鏡の写真」と「今のミルクティーベージュの美少女の写真」を並べた比較画像が、まるで面白いフリー素材のように拡散され続けている。
『吉岡繭、マジで化け物じゃんwww』
『15キロ痩せてこれとか執念が怖すぎる。てか二股どころかパパ活もやってるだろこれ』
『神崎も小林も、こんな地味子のハリボテに騙されてハメまくってたの最高にダサいな』
クラスの女子グループのラインからは完全に退会させられ、沙耶からの「繭ちゃん、これ本当なの……? 信じたくないよ……」という短いメッセージを最後に、私の一軍カーストとしての繋がりは完全に断絶していた。
普通の一般的な女の子なら、ここで精神が完全に崩壊して、不登校になるか、あるいはもっと取り返しのつかない選択をするのかもしれない。昨日までの私なら、メッキが剥がれる恐怖に怯え、世界の終わりだと泣き喚いていただろう。
けれど、不思議なほどに、私の心の中は静まり返っていた。
冷え切ったコンクリートの床を踏みしめるように、私の脳髄は驚くほど冴え渡っていた。
(あぁ……そう。みんな、私の過去がそんなに面白いんだ)
浴室へ歩を進め、大きな鏡の前に立つ。
髪はボサボサに乱れ、目の周りは流れ落ちたマスカラで黒く汚れ、カラコンのズレた瞳は、まるで死んだ魚のように光を失っている。でも、その鏡に映る自分の姿を見つめているうちに、私の唇の端が、自然と歪な形に吊り上がっていった。
「あはは……。あははははは!」
笑い声が、狭い浴室のタイルに反響して響く。
何が悲しいのだろう。何が絶望なのだろう。何も失うものなんてない。
私は血を吐く思いで「美少女のハリボテ」を作り上げ、世界の頂点に立った。そして今、そのハリボテが引き剥がされた。
だったら、これからは――この『暴かれた化物』のままで、私をコケにしたあの狭い学校の世界を、男たちを、カーストを、すべてめちゃくちゃに蹂キタしてやればいい。
「見てなよ、蓮くん。小林くん。私を『ハズレ』って呼んで笑ったみんな。……本当の地獄は、ここからだよ」
私はシャワーの冷水を頭から浴び、ドロドロになった過去のメイクをすべて綺麗に洗い流した。そして、ホテルのアメニティの安っぽいブラシで髪を整え、壊れた仮面を捨て去った「新しい吉岡繭」として、再びあの戦場へと戻る準備を始めた。
2
雨が完全に上がった、眩しいほどに不快な青空が広がる正午。
私は遅刻して、堂々と学校の校門をくぐった。
すれ違う生徒たちが、一瞬にして凍りついたように私を二度見する。彼らの目は、「昨日のデブ眼鏡の流出JK」が、どんなに惨めな顔をして登校してくるのかを期待していたに違いない。
けれど、私は彼らの期待を完璧に裏切って見せた。
ミルクティーベージュの髪を堂々と風になびかせ、制服のブラウスのボタンをあえて上から二つ外し、首元に残る蓮や知らない男たちのキスマークを隠すこともせず、むしろ誇示するようにして廊下を歩いた。メイクは昨日までの清楚なものではなく、キャバクラの女のように濃く、妖艶で、攻撃的なキャットアイを跳ね上げている。
1年B組の教室のドアを、私は思い切り大きな音を立てて開け放った。
静寂。
一瞬にして、教室内が水を打ったように静まり返る。
教卓の周りで私を嘲笑うような話をしていた女子たちも、サッカー部の男子たちも、全員が言葉を失って私を凝視した。
私は誰とも目を合わせることなく、自分の席へと歩を進め、カバンをドサリと机の上に置いた。
「な、何よあいつ……。あんな写真流されて、よく平気な顔して学校来れるね……」
遠くの席で、一軍女子の一人がヒソヒソと声を漏らす。
私はその女子を真っ直ぐに見つめ、信じられないほど深く、妖しい笑みを浮かべて見せた。
「何か文句ある? 宮下さん。私の過去がそんなに気になるなら、いくらでも教えてあげるよ? ――君の彼氏が、先週私に『一回だけでいいからヤらせて』って必死にラインしてきた画面と一緒にね」
「――っ!?」
宮下という女子の顔が、一瞬にして土気色に変わった。周囲の男子たちがザワつき始める。
そう、私は学校の男たちの弱みを、連絡先を、いくらでも握っているのだ。私を「高校デビューの化け物」と呼ぼうが、彼らが私のこの身体を求めて無様に群がってきたという事実は、何一つ消えはしない。
「吉岡……お前、マジでいい加減にしろよ」
低く、地を這うような声で私を睨みつけてきたのは、神崎蓮だった。
彼の美しい顔は、怒りと屈辱で限界まで引きつっていた。同じサッカー部のメンバーたちの前で、私という「ハズレ地味子」に狂わされていたことが露呈し、彼のプライドは完全に粉々に砕け散っていたのだ。
「学校の裏掲示板に、俺との動画のシルエットまで載ってんだぞ……っ! お前のせいで、俺がどれだけ笑われてるか分かってんのかよ!?」
蓮が私の机を強く叩く。
クラス全員の視線が、元・教室の神様と、暴かれた美少女の修羅場に集中する。
私はゆっくりと立ち上がり、蓮の目の前に一歩、距離を詰めた。彼の体から、激しい怒りの熱気が伝わってくる。でも、私はその怒りすらも、愛おしい玩具のように愛撫する術を知っていた。
「私のせいで笑われてる? 違うよ、蓮くん」
私は周囲に聞こえるような声で、冷酷に、そして甘く囁いた。
「君が、私のこの身体が欲しくて、部屋の床で泣きながら『お前がいないと死にそうなんだ』って縋り付いてきたからでしょ? 私の中身がデブ眼鏡だろうが何だろうが、君は私のここが、狂うほど大好きだったじゃない」
「お、前……っ!!」
蓮が拳を握りしめ、私を殴り飛ばさんばかりに振り上げた。
教室中に悲鳴が上がる。けれど、私は微塵も身動ぎせず、むしろ彼の拳を迎え入れるように、挑発的に顎を突き出して見せた。
「殴れば? 蓮くん。殴って、私を怪我させて、もっと有名にしてよ。そしたら私、君が私の中に何度もぜんぶ吐き出した時のあの無様な声の録音データ、学校の全員に一斉送信しちゃうから」
「――っ、ひ、あ……」
蓮の拳が、空中でガタガタと震え、やがて力なく落ちていった。
学校の王様だった神崎蓮が、クラス全員の目の前で、高校デビューの地味子に完全に言い負かされ、敗北した瞬間だった。
3
放課後。日の沈みかけた薄暗い放課後の旧校舎、使われていない美術室の片隅。
埃っぽい空気の中に、激しい擦れ合う音と、肉体がぶつかり合う生々しい衝撃音が響いていた。
「あ、は、っ……ん、んぅぅ……っ!!」
私は美術室の古い木製の作業台に両手を突き、上半身を深く折り曲げられた状態で、後ろから激しく突き上げられていた。
私の制服のスカートは完全に捲り上げられ、下着は床に転がっている。背後から私を乱暴に貪っているのは、神崎蓮でも、小林でもない。
――クラスの大人しい男子グループのリーダーであり、今日私に脅された一軍女子の彼氏でもある、あのサッカー部の別の男子だった。
彼は学校の裏掲示板で私の正体を知り、軽蔑しながらも、私の圧倒的なエロティシズムと「もう誰とでもやる修羅場の女」という噂に抗えず、放課後に私に呼び出されて、犬のように吸い寄せられてきたのだ。
「吉岡……お前、マジで、化け物だよ……っ! 中身あんなデブのくせに、なんでこんな、エロい身体してんだよ……っ!」
男は私のウエストを、骨が軋むほどの強さで掴み、怒りと欲情が混ざり合った狂暴なピストンを繰り返した。
「ふふ、っ……ん、あぁ! いいよ、もっと言って……っ! 私は化け物だよ……君たちの、理性をぜんぶ壊す、最低の化け物……っ!」
私は古い作業台を爪で引っ掻きながら、自らお尻を高く突き出し、男の質量をより深く、自分の奥底へと迎え入れた。
慣れて、完全に能動的になった私の肉体。それは、もう誰の所有物でもなかった。私は自分のこの身体を、自分を裏切った世界への「最凶の武器」として、能動的に、そして徹底的に使いこなしていた。
(ほら、見てよ。私の過去を笑いながら、結局はみんな、私のこのハリボテの肉体に跪いて、無様に腰を振るの)
中身が吉岡繭だろうが、デブ眼鏡だろうが、関係ない。
男なんて、この肉体の快楽さえ与えれば、いくらでもプライドを捨てて汚い犬になる。私は彼らの欲望を捕食し、そのエネルギーで自分の新しい命を燃やし尽くしていた。
交わされる肉体のぶつかり合いの音が、誰もいない旧校舎に淫らに響き渡る。
男は私の締め付けに耐えかねて、すぐに限界を迎え、私の背中に覆いかぶさりながら、激しい喘ぎ声と共に私の中にすべてをぶちちまけた。
「――っ、あぁぁぁ……っ!!」
強烈な絶頂の波が、私の脳髄を真っ白に染め上げる。
涙も、恐怖も、もうそこにはなかった。あるのは、すべてを破壊し尽くした後の、圧倒的な全能感と、暗い悦びだけだった。
4
夜。一人で帰りの電車に揺られながら、私はスマートフォンの画面を眺めていた。
首筋や太ももには、また新しい男の痕跡が、はっきりと刻まれている。
カレンダーアプリを開くと、秘密のスケジュール帳は、昨日までとは全く違う意味で、さらにメチャクチャに埋め尽くされようとしていた。
明日も、明後日も、私に弱みを握られた男たちや、私の肉体を求めて狂ったように連絡してくる男たちとの約束が、びっしりと並んでいる。
学校での「清楚な美少女」というメッキは、完全に剥がれ落ちた。
今の私は、学校中の人間から『裏で何人もの男を破滅させている、高校デビューの淫らな悪魔』として、恐れられ、同時に異常なまでの好奇の目で見つめられている。
カースト一軍の頂点にいた時よりも、今の方が、ずっと世界の中心にいるような気がした。
誰も私を無視できない。誰も私を「電子肉」なんて呼んで笑えない。
私は過剰に適応しすぎた結果、カーストという枠組みそのものを、内側から完全に破壊してしまったのだ。
電車の窓ガラスに映る私の顔は、濃いメイクの奥で、ゾクゾクとするほど邪悪で、美しい、本物の化け物の笑顔を浮かべていた。
「ねえ、次は誰を壊してあげようか?」
暴かれた素顔のままで、私はさらなる破滅の深淵へと、自ら進んで堕ちていく。
(第13話へ続く)




