昇格と、異形と、もうだめっす
ギルドは、朝から、賑やかだった。
「アッチムちゃん、正式にBランクだね!」
受付のナタリアさんが、書類を手渡しながら、笑顔を見せた。
「あ、ありがとうございまっす!」
周りにいた冒険者たちも、口々に、祝いの言葉をかけてくる。
「やるじゃねえか、嬢ちゃん」
「ワイバーンをひとりで倒したらしいな」
「飛び級でBランクとか、末恐ろしいな」
アッチムは、照れくさそうに、頭を掻いた。
「いやあ、それほどでも……」
悪い気は、しなかった。むしろ、誇らしかった。
「でもよぉ」
誰かが、アルファスを見て、言った。
「弟子はBランクなのに、師匠はまだDランクなんだろ?」
「あっという間に追い越されてるじゃねえか!」
ギルドの中にどっと笑いが広がった。その瞬間、アッチムの胸が、ずきりと痛んだ。
「ちょっと待つっす! 師匠は――」
言い返そうとした、その時だった。
誰かが、そっとアッチムの服の裾をひっぱった。振り向くと、アルファスが困ったように微笑んでいた。そして、小さく首を横に振った。
「……大丈夫ですよ」
アルファスは、静かな声でそう言うと、いつものように眼鏡を押し上げた。
アッチムは、唇を強く噛みしめた。
その日の夜。
いつものように、三人で、宿の食堂にいた。
アッチムは、湯気の立つスープを、かき混ぜながら、ぽつりと言った。
「うちも、勇者エルクードみたいな、立派な冒険者になれるっすかね」
箸を止めて、少しだけ、遠くを見るような目をする。
「あの人みたいに、みんなに認められて、称えられて……いつか、そんな風になれたら、いいっすね」
「アッチムさんなら」
アルファスは、静かに、答えた。
「努力を続ければ、きっと、なれますよ」
その声には、いつもと変わらない、穏やかさがあった。
「勇者エルクードって、誰ニャン?」
ニャリエナが、首を、傾げた。パンをかじりながら、きょとんとした顔をしている。
「え、知らないんすか!?」
アッチムが、驚いた声を上げた。
「……およそ十年ほど前、魔王にとどめを刺した勇者ですよ」
アルファスが、静かに、補足した。
「ふーん。すごい人ニャン」
ニャリエナは、それだけ言うと、興味を失ったように、また、食事に戻った。
アルファスは、静かに眼鏡を押し上げると、そのまま食事を続けた。
しばらくして、合同討伐依頼の集合場所に、アッチムは立っていた。
Bランクにもなると、ギルドから合同討伐への参加を要請されることも増える。危険な魔物を前にした、人手不足を補うためだ。
「例のワイバーン倒した新人か」
「頼りにしてるぜ」
周囲から、期待の声が、飛んでくる。アッチムは、しっかりと、頷いた。
討伐は、順調だった。
魔獣の数は予定通り。連携にも乱れはない。
あと少しで終わる――そのはずだった。
「……なんだ、あれ」
誰かが、呟いた。
木々の向こうから、一体の魔物が姿を現した。土気色の肌。歪んだ角。淀んだ瞳。その異様な姿に、冒険者たちの間へ緊張が走る。
「討伐対象には、こんな奴はいなかったぞ……!」
誰かが、剣を構え直した。
アッチムも、その魔物を見据えた。
――強い。
一目で、そう分かった。
アッチムの背筋を、冷たいものが走った。師匠なら、迷わずこう言っただろう。
『撤退しましょう』
だが――
「アッチム! お前ならいけるだろ!」
「ワイバーン倒したんだろ!」
周囲の、期待の声が、飛んでくる。
(ここで、逃げたら……)
喉が、詰まった。
(師匠の弟子は、逃げたって……また、師匠が笑われるっす……)
撤退の言葉が、出なかった。
「……行くっす」
短剣を、構えた。
結果は、無残だった。
剣は、届かない。氷結術式は、まるで、通じない。まとう空気だけで、こちらの動きが、鈍る。
「くっ……!」
弾かれる。何度、斬りつけても、傷ひとつ、つかない。
「撤退だ! 撤退しろ!」
誰かが、叫んだ。仲間たちが、次々と、後退していく。
アッチムも、遅れて、身を、翻した。だが、遅かった。
異形の腕が、短剣ごと払いのけた。
「あう……っ」
次の瞬間、アッチムの身体は、まるで荷物のように、脇へ抱え上げられていた。
短剣が手を離れ、地面へ転がる。暴れても、その腕はびくともしない。
仲間たちの背中が、遠ざかっていく。
「アッチムーーー!」
誰かが、叫んでいる。だが、届かない。木々の隙間から見える空が、ゆっくりと流れていく。
その景色を最後に、アッチムの意識は闇へ沈んだ。
アッチムが目を覚ますと、そこは洞窟の中だった。
手足が、縛られている。ぼんやりとした、明かりの向こうに、あの異形の姿が、あった。
「……生きのいい器が、手に入った」
異形は、アッチムを品定めするように眺めた。
「う、うちを、どうする気っすか」
「立派な、魔族に、してやろう」
その言葉に、アッチムの全身が粟立った。
「……お前たちの、目的は、何なんすか」
「魔王様を復活させること。そのために我ら魔族を増やし、人間どもには恐怖を生み続けてもらう。家畜としてな。」
魔族はくっくっと笑った。
アッチムの頭に、先日の何気ない会話が蘇った。
「魔王は勇者エルクードが討ち滅ぼしたはずっす!」
思わず、口にした。
「勇者エルクード?」
魔族の、淀んだ目が、アッチムを、見た。
「何を言っている」
鼻で、笑うような、声だった。
「魔王様を、追い詰めたのは……勇者アルファスだ」
「え……っ?」
アッチムの、思考が、止まった。
「だが、勇者アルファスは、魔王様にとどめを刺さず、姿を消した。理由は、知らん」
同じ名前だった。頭に、師匠の姿が、浮かぶ。
いつも、おどおどしている姿。
困ったように笑いながら、眼鏡を押し上げる仕草。
そして――。
時折見せる、別人のような姿。
勇者アルファスと、師匠のアルファス。
二人は、いったい――。
その時、異形が、ゆっくりと、手をかざした。掌から、どす黒い霧が、溢れ出す。
「これで、お前も魔族よ」
黒い霧は、生き物のようにアッチムの身体へ絡みつき、肌から染み込むように、心の奥深くまで侵食していく。
「ぐっ……ぁ……!」
憎しみ。怒り。嫉妬。これまで胸の奥へ押し込めてきた、どす黒い感情が、一気に膨れ上がる。同時に、思考が、少しずつ、少しずつ、遠のいていく。
「師匠……」
震える声が、漏れた。
「うち……もう、だめっす……」
※ニャリエナの独り言
遠くから怖いにおいがしたニャン。
次回、『師匠、ごめんなさい、ニャン』
期待してニャン!




