三つの決着と、僕のせいでと、ありがとう
村の外れのさらに向こう、枯れ木の立つ一角に、それは、立っていた。
人のような輪郭をしているが、人ではない。肌は土気色で、額からは、捻じれた角が伸びている。淀んだ瞳が、ゆっくりと、近づいてくるアルファスを捉えた。
アルファスは、足を止めた。
猫背は伸び、おどおどとした気配は、もう、どこにもなかった。眼鏡の奥の目が、静かに、相手を見据えている。
「ぬう」
魔族が低く唸った。驚きの色が、その淀んだ瞳に、走る。
「その気配……姿形は、変わっているが……間違いない。貴様――アルファスだな」
そう言いながら、魔族が一歩退いた。
アルファスは、その問いには答えず、魔族を見据えて口を開いた。
「……お前は、魔王の手下か」
声は、低く、静かだった。
「なぜ、村を襲う」
魔族は、口元を、歪めた。
「恐怖を、集めるためだ。人の恐怖は、よい糧になる。集めて、捧げる。そのための、狩りよ」
魔族の声に、愉悦が滲んだ。
魔族の言葉に、アルファスの表情が、変わった。
「……まさか」
「そうだ」
魔族が、ゆっくりと、頷く。
「魔王様の、復活は、近い」
アルファスは、しばらく、無言だった。
魔族の淀んだ瞳の奥にある、確信。それが、嘘でないことを、肌で感じていた。
近頃の、魔物の異常個体。そして、こんな小さな村にまで現れた、魔族。ばらばらだった点が、最悪の形で、線を結ぶ。
「……そうですか」
アルファスは、静かに、剣を抜いた。
刃が、鈍く光る。
魔族が、身構えた。土気色の肌の下で、筋肉が、膨れ上がる。淀んだ瞳が、殺意に染まった。
風が、枯れ木を、揺らした。
ワイバーンが、咆哮を上げた。
翼の付け根を氷で封じられ、地に墜ちてもなお、その巨体は、暴れ続けていた。鉤爪が、地面を、抉る。
「まだ、動くっすか……っ」
アッチムは、肩で息をしながら、その様子を見据えた。
まともにやり合えば、勝てない相手だ。それは、最初から、分かっていた。だから――読む。
ワイバーンが、最後の力を振り絞り、首をもたげた。大きく口を開け、アッチムめがけて、噛みつこうとする。
(来る)
その軌道は、もう、見えていた。
アッチムは、地を蹴った。ワイバーンの牙を、紙一重で、かわす。そのまま、首の付け根の、鱗の薄い一点へ――短剣を、突き立てた。
「氷結!」
呼吸に、合わせる。
刃を通して、氷結の魔力が、内側へ流れ込んだ。ワイバーンの巨体が、内から凍りつき、断末魔の声もなく、動きを止める。
どう、と、地響きを立てて、巨体が、倒れた。
「……やった……っす……」
アッチムは、その場に、膝をついた。全身、汗だくだった。それでも、倒した。一匹でもBランク級の脅威を、Dランクの自分が、一人で。
物陰から、村人たちが、顔を出す。
「た、倒したぞ……!」
「あの娘さん、ワイバーンを……!」
歓声が、上がった。
最後の魔狼が、地に伏した。
「勇者様の、役に立てたニャン!」
ニャリエナは、尻尾を、ぴんと立てて、胸を張った。
その周りには、倒れた魔狼が、いくつも転がっている。獣人の身体能力の前に、群れは、為す術もなかった。
「もう、いないニャン」
鼻を、ひくひくと、動かして、確かめる。地の脅威は、去った。
「すごい……あの獣人の子……!」
「群れを、一人で……!」
村人たちの声が、ニャリエナにも、届いた。
ニャリエナは、得意げに、尻尾を、揺らした。
村に、静けさが、戻った。
逃げ惑っていた村人たちが、おずおずと、表へ出てくる。空には、もう、ワイバーンの影はない。地を駆ける、魔狼の姿も、ない。
助かったのだ。誰もが、そう理解した瞬間、安堵が、歓声に変わった。
「ありがとう……! ありがとう、本当に……!」
村人たちが、アッチムとニャリエナを、取り囲んだ。
老人が、手を握る。女たちが、涙ぐむ。子供たちが、二人の周りを、はしゃぎ回る。
「お姉ちゃん、すごい!」
「かっこよかった!」
「みんな……無事でよかったっす」
アッチムは、揉みくちゃにされながら、照れくさそうに、頬をかいた。
「もっと褒めるニャン♡」
ニャリエナは、満更でもない顔で、尻尾を振っていた。
その、賑わいの中へ。
村の外れの方から、一つの人影が、歩いてきた。
小柄で、猫背の、頼りない眼鏡の男。ローブの裾と頬が、わずかに汚れている。けれど、その足取りは、しっかりしていた。
「勇者様!」
ニャリエナが、真っ先に気づいて、駆け寄った。
「あの、嫌なにおいの奴は、なんとかなったニャン?」
「……なんとか、なりました」
アルファスは、目を逸らして、もごもごと答えた。
「さすが勇者様ニャン!」
ニャリエナが、ぴょんと跳ねる。アルファスは、何も言わず、照れくさそうに、頭をかいた。
村人たちは、まだ、アッチムとニャリエナを、称えていた。
英雄を見るような、まなざし。感謝の、言葉。二人は、その中心で、笑っている。
その光景を、アルファスは、少し離れた場所から、見ていた。
そして、小さく、俯いた。
「……僕のせいで」
ぽつりと、こぼれる。
「二人を、危ない目に……遭わせてしまいました……」
その声に気づいて、アッチムとニャリエナが、振り返った。
アルファスは、二人と目を合わせず、地面を見ていた。眼鏡を、押し上げる。その手が、わずかに、震えていた。
「何言ってるニャン」
ニャリエナが、つかつかと、歩み寄った。
「奴隷は、勇者様のお役に立つのが、仕事ニャン!」
まっすぐな声だった。
「そうっすよ、師匠」
アッチムも、隣に並ぶ。
「弟子が、師匠を助けちゃ、だめなんすか?」
アルファスは、黙った。
二人の顔を、交互に、見る。
そこには、無理をさせられた、という陰りも、恨みの色も、なかった。ただ、まっすぐに、自分を見つめる、二対の瞳が、あるだけだった。
長い、沈黙が、あった。
やがて、アルファスの、強張っていた表情が、ほんの少しだけ、緩んだ。
「…………二人とも」
眼鏡を、押し上げる。
「……ありがとう」
その言葉は、二人に等しく向けられていた。
そして、ほんの少しだけ、優しく、笑った。
その瞬間。
アッチムの、心臓が、跳ねた。
いつもの、おどおどとした師匠でも、戦うときの、研ぎ澄まされた師匠でもない。
初めて見る、柔らかな、笑顔だった。前髪の隙間から覗く目元が、優しく、細められている。
「…………」
アッチムは、思わず、見惚れていた。
顔が、じわじわと、熱くなる。けれど、目を、逸らせなかった。
「えへへ。どういたしましてニャン♡」
ニャリエナは、満面の笑みで、アルファスの腕に、抱きついた。
その隣で、アッチムだけが、真っ赤な顔のまま、立ち尽くしていた。
※ニャリエナの独り言
勇者様の笑った顔、すっごく素敵だったニャン♡ あいつも顔が真っ赤だったニャン!
次回、『一気にBランクニャン!』
期待してニャン!




