修繕依頼と、嫌なにおいと、君たちは弱くない
今日の依頼は、近くの村の修繕だった。
先日の嵐で、村の柵や物見櫓が傷んだという。危険はなく、そこそこ報酬も貰えるありがたい仕事だ。
「のどかな村っすね」
アッチムが、伸びをしながら言った。
石畳のない、土の道。畑が広がり、鶏が歩いている。村人たちは、よそ者の三人を、人懐っこい笑顔で迎えてくれた。
「いいにおいの村ニャン。畑と、土と、お日様のにおいニャン」
ニャリエナが、鼻をひくひくさせて、尻尾を揺らした。
「じゃ、じゃあ……始めましょうか」
アルファスが、眼鏡を押し上げた。
作業は、順調に進んだ。アルファスが櫓の構造を見て、傷んだ箇所を的確に指示する。アッチムが、身軽に高い場所を直していく。ニャリエナは、村の子供たちに囲まれて、尻尾を触られていた。
穏やかな昼下がり、そのはずだった。
ニャリエナの耳が、ぴくりと跳ねた。
「……変なにおいニャン」
鼻が、ひくひくと、せわしなく動く。
「いっぱいあるニャン……空と、地面と……それと」
ニャリエナの顔色が、変わった。
「……すごく、嫌なにおいが、ひとつあるニャン!」
その直後、空が、陰った。見上げると、巨大な翼が、太陽を覆っていた。鋭い鉤爪と長い首、岩のような鱗を持つ巨体だった。
「ワ、ワイバーンだ……!」
村人の誰かが、悲鳴をあげた。一匹でも、Bランク級の脅威とされる、空の暴君だ。
それと同時に、村の外れの茂みが、大きく揺れた。次の瞬間、魔狼の群れが、一斉に飛び出してきた。
「に、逃げろ……!」
村が、パニックに陥った。
空からの脅威と、地からの脅威。村人たちは、為す術もなく、逃げ惑う。
その喧騒の中、アルファスの背筋が、すっと伸びた。
眼鏡の奥の目が、細くなる。空を見て、地を見て、それから――何もない、村の外の方向へ、視線を止めた。
「……ワイバーンと、魔狼だけ、じゃないです」
その声に、おどおどとした色は、なかった。
「こ、この気配は……まさか……魔族……?」
奥歯が、ぎりっと、鳴った。
「む、村の人たちを、守らなければ」
その一言が、先に出た。迷いのない言葉だった。
アッチムが、その横顔を見て、息を呑んだ。そこには、いつものおどおどした師匠の姿はなかった。
アッチムが、短剣の柄を、握り直した。
「……師匠。やるっすよね?」
アッチムは、まっすぐに師匠を見つめた。
「勇者様、やるニャン!」
ニャリエナも、尻尾を逆立てて、低く身構えた。
アルファスは、二人を、振り返った。
二人の顔を順に見て、それからまっすぐに、問いかけた。
「二人とも……力を、貸してくれますか?」
「もちろんっす!」
「任せるニャン!」
即答だった。二人とも、笑っていた。
アルファスの目が、すっと、動いた。空のワイバーン。地の魔狼。そして、村の外れの、嫌な気配。一瞬で、戦力を、配分する。
「アッチム。ワイバーンは、任せます。君なら、やれる」
「任せるっす!」
アッチムは力強くうなずいた。
「ニャリエナ」
「わかってるニャン! 魔狼は、わたしが引き受けるニャン!」
アルファスは、最後に、もう一度、二人を見た。
「君たちは、決して、弱くないです」
眼鏡の奥の目が、まっすぐに、二人を捉える。
「でも、無理はしないでください。危なくなったら――自分の命を、優先してください」
二人は、小さくうなずいた。
ニャリエナが、村の外れの方角を、見つめた。
「勇者様は、あの嫌なにおいの奴と、戦うニャン?」
「はい」
アルファスは、静かに、頷いた。
「あいつは、君たちでは止められません。僕が、止めます。――さあ、行きましょう!」
その声を合図に、アッチムとニャリエナはそれぞれの脅威へ向かって、駆け出した。アルファスは、二人の背中を見送ると、村の外へと歩き出した。
ワイバーンが、急降下してきた。
アッチムは、横へ跳んだ。鉤爪が、地面を抉り、土煙が舞い上がった。
「でかいっす!」
一匹でも、Bランク級の脅威。それが、誇張でないことを、アッチムは即座に理解した。速度、重量、そのどれもが、今まで相手にしてきた魔物とは、桁が違う。
まともにやり合えば、一瞬で終わる。
「……だったら」
アッチムは、呼吸を、整えた。
師匠の言葉を、思い出す。力で劣る相手とは、真っ向から戦うな。読め。先回りしろ。最小で、外せ。
ワイバーンが、翼をはためかせ、再び舞い上がる。狙いを定め、急降下の構えに入った。
(来る――右から)
アッチムは、踏み込んだ。読み通り、ワイバーンが右から襲いかかる。その軌道の、わずか外側へ、身体を滑り込ませる。鉤爪が、髪を掠めた。
「氷結!」
呼吸に、合わせる。
術式が、一切のぶれもなく発動した。ワイバーンの翼の付け根が、氷に覆われる。飛行の自由を、奪う。
「ギシャアアア!」
ワイバーンが、体勢を崩した。地に、墜ちる。
「今っす!」
アッチムは、駆けた。
魔狼の群れが、ニャリエナへ殺到した。
「正面から戦えば、魔狼なんて敵じゃないニャン」
一匹の魔狼が、鋭い牙を剥いて飛びかかってきた。牙が届くより早く、ニャリエナの身体は、その軌道から消えていた。
すれ違いざまに爪を振るい、魔狼の柔らかな腹を深く切り裂く。
「遅いニャン!」
魔狼が悲鳴を上げて転がる。その間にも、二匹目と三匹目が左右から迫っていた。
ニャリエナは地を蹴ると、しなやかな身体をひねりながら二匹の間へ滑り込んだ。
右から迫る魔狼の牙を紙一重でかわし、その勢いのまま左の魔狼の喉元へ爪を走らせる。ひねった身体を戻す勢いで、今度は右の魔狼の首筋を切り裂いた。
ほとんど一瞬だった。
二匹の身体が地面へ崩れ落ちる頃には、ニャリエナはもう次の魔狼を見据えていた。
「もっと来るニャン!」
魔狼たちは数で押し潰そうと次々と飛びかかる。だが、その牙がニャリエナを捉えることは、一度としてなかった。
しなやかな身体が群れの間を縫うように駆け抜ける。そのたびに鋭い爪が閃き、鮮血が舞い、魔狼が一匹、また一匹と地面へ崩れ落ちた。
「勇者様の役に立つニャン!」
金色の瞳は、すでに次の獲物を捉えていた。
アッチムは横目で、ニャリエナの戦いぶりを見た。ニャリエナは、魔狼の群れを危なげなく捌いている。
発情期のときのことを思い出した。あの身体能力なら、魔狼程度では話にならないだろう。
「……ニャーちゃんも、やるっすね」
感心している暇は、なかった。墜ちたワイバーンが、まだ、起き上がろうとしている。アッチムは、再び、そちらへ向き直った。
村人たちは、家の中や、物陰に隠れて、震えていた。
外で戦っているのは、よそ者の、若い娘と、獣人の少女。たった、二人だった。そして、もう一人――あの頼りなさそうな眼鏡の男は、村の外れの方へ、一人で、向かっていった。
「あの兄ちゃん、一人であっちに行ったぞ……」
「まさか……逃げたのか?」
誰かが、つぶやいた。
だが、村の、誰一人として、知る由もなかった。
村の外れの畑の、さらに向こう。誰も近づかない、枯れ木の立つ一角に惨劇の元凶が、待ち受けていることを。
※ニャリエナの独り言
ちょっとは勇者様のお役に立てたと思うニャン。
次回、『勇者様の知らない顔ニャン』
期待してニャン!




