修行と、師匠の秘密と、別にドキドキしてない
朝の空気は、ひんやりと澄んでいた。
街外れの空き地で、アッチムは短剣を構えていた。額に汗を滲ませ、息を整える。
少し離れた場所で、アルファスが、ぶつぶつと独り言をつぶやきながら、その様子を眺めていた。
「氷結の術式!」
短剣の切っ先から、氷柱が立った。ぶれも、崩れもない。
「……いい感じです。呼吸が、術式と噛み合ってます」
「やったっす!」
アッチムが、ぱっと顔を輝かせた。
「ただ……踏み込みのとき、左肩が、ほんの少しだけ早いです。そこを直すと、もっと安定します」
「左肩……っすか」
アッチムは、言われた通りに意識して、もう一度構えた。深く息を吸う。踏み込む。左肩を、置いていくように。
「氷結!」
さっきより、滑らかだった。魔力の流れに、引っかかりがまるでない。
「……すごいっす。全然違うっす」
「アッチムさんが、ちゃんと身体で覚えてるからです。僕は、ちょっと言っただけで……」
「その『ちょっと』が、できる人いないんすってば」
アッチムは、半眼で言った。何度言っても、この師匠は自分の手柄にしない。
もはや慣れたやり取りだった。
休憩を取っていると、軽い足音が近づいてきた。
「勇者様ー! 差し入れニャン!」
ニャリエナが、布包みを抱えてやってきた。中身は、握り飯と、干し肉だった。
「あ、ありがとうございます、ニャリエナさん」
「勇者様、さっきの修行、見てたニャン」
ニャリエナは、尻尾をぴんと立てて言った。
「すっごくかっこよかったニャン!」
「……そうですか?」
アルファスは、握り飯を受け取りながら、ほんの少しだけ、口元を緩めた。
「ニャリエナさんがそう言ってくれるなら……まあ、悪くなかったかもしれませんね」
「ニャン♡」
アッチムの手が、止まった。
アルファスの言葉に違和感があった。
「……師匠」
「はい?」
「今、なんて言ったっすか?」
「え? ぼ、僕、何か変なこと言いましたか……?」
アルファスは、戸惑いながら眼鏡をスッと持ち上げた。
アッチムは、試しに口を開いた。
「師匠。さっきの指導、すごかったっす。師匠は、教えるの上手いっす」
「い、いえ……僕はちょっと気づいたことを口にしてるだけで……おこがましいです……すみません……」
おどおどとした声だった。背中が、いつも以上に縮こまった。
「……」
アッチムは、首を傾げた。
同じように褒めたはずだった。なのに、ニャリエナのときと、自分の時は反応がまるで違う。
ニャリエナの言葉だけ、すんなり受け取って、照れている。自分の言葉は、いつも通り、はね返される。
(なんすか、その差……)
もやもやした。それが何なのか、自分でもよく分からなかった。
「どうしたニャン?」
ニャリエナが、にやにやしながら、アッチムを覗き込んだ。
「別に、なんでもないっす」
アッチムは、握り飯を口に押し込んだ。
午後は、三人で市場へ出た。修行で使う消耗品と、夕食の食材を買うためだ。
「師匠、これも要るんじゃないっすか?」
「あ、それは……まだ宿にありますね」
アルファスは、慣れた様子で品物を見繕っていく。値段を比べ、鮮度を確かめ、無駄なく籠へ入れていく。
「兄ちゃん、しっかりしてるねえ」
八百屋の店主が、笑いかけてきた。それから、アルファスの両脇を見る。右にニャリエナ、左にアッチム。
「なんだい、彼女さん二人かい? モテモテだな」
「ふぁっ!? ち、違います!」
アルファスが、盛大にむせた。
「わたしは奴隷ニャン♡」
ニャリエナが、当然のように胸を張る。
「うちは弟子っす!」
アッチムも、負けじと言い返す。
店主は、しばらく二人を見比べてから、首を傾げた。
「……なんだい、その組み合わせ」
「ぼ、僕にも、よく分かりません……」
アルファスは、げっそりした顔で、眼鏡を押し上げた。
空き地に戻り、午後の修行を再開しようとしたときだった。
「あっ」
アッチムが、声をあげた。短剣を抜こうとした拍子に、肩口の布が、留め具に引っかかって、ぴりっと裂けた。
「破れちゃったっす……」
「あ、裁縫道具、ありますよ」
アルファスが、荷物から針と糸を取り出した。
「師匠、裁縫もできるんすか?」
「一人旅が、長かったので……自分のことは、一通り……」
「へえ……」
アルファスが、アッチムの肩口に手を伸ばした。
「あ、あの、動かないでくださいね……」
「は、はいっす」
針が、布を通る。アルファスの指先が、アッチムの肩のすぐそばにあった。真剣な横顔。前髪の奥の、伏せられた目。集中しているせいか、いつものおどおどした気配が、薄れている。
指先が、肌に、かすかに触れた。
(…………っ)
アッチムの心臓が、跳ねた。
(ち、近いっす。やばいっす)
息を、どうしていいか分からなくなる。視線の置き場も、分からない。アルファスの手が、丁寧な動きで肩口に優しく触れる。肩口の、布越しの体温が、やけに意識された。
「……はい、できました」
アルファスが、糸を切って、顔を上げた。
「綺麗に直りましたよ」
「……あ、ありがとうっす」
アッチムの声が、少しだけ、上ずっていた。
その時、少し離れた場所にいたニャリエナの鼻が、ひくひくと動いた。
「……幸せのにおいがするニャン」
「し、してないっす!!」
アッチムは、反射的に叫んだ。耳が、真っ赤になっていた。
夕食は、宿の食堂でとった。
アルファスが買ってきた食材で、宿のおばちゃんが料理を作ってくれた。三人で、テーブルを囲む。
「勇者様、あーんニャン♡」
ニャリエナが、肉を一切れ箸でつまんで、アルファスの口元へ差し出した。
「ふぁっ!? じ、自分で食べられますから……!」
「あーんニャン♡」
「……っ、わ、わかりましたから……」
アルファスは、観念したように、おずおずと口を開けた。ニャリエナが、嬉しそうに肉を運ぶ。尻尾が、ぱたぱたと揺れていた。
その光景を、アッチムは、じっと見ていた。
(……なんで、ニャーちゃんの言うことだけ聞くんすか)
もやもやが、また込み上げてくる。
ニャリエナが、その視線に気づいた。にやり、と笑う。
「おまえにも、あーんしてあげるニャン?」
「は? 何いってんすかこのアホ猫」
アッチムは、即座に否定した。
「あーんされるなら、師匠の方がいいっす!」
ぽろりと、口から、こぼれ落ちた。
「ふーん。勇者様から、あーんされたいニャン?」
ニャリエナは薄目で、じーっとアッチムを見た。
「……このにおい。間違いないニャン」
「ち、違うっす! 今のは、ただ、言ってみただけっす! 他意はないっす!」
アッチムは、真っ赤になって、ぶんぶんと首を振った。
「あ、あの……あーん、しましょうか?」
空気を読まないアルファスが、おずおずと箸を持ち上げた。善意百パーセントの顔だった。
「し、しなくていいっすー!!」
アッチムの悲鳴が、食堂に響いた。
その夜。自室のベッドで、アッチムは、天井を見上げていた。
今日一日のことが、頭の中をぐるぐると回っていた。
ニャリエナにだけ、柔らかく笑う師匠。裁縫のときの、真剣な横顔。肩口に触れた指先の、かすかな熱。
「……別に、ドキドキなんか、してないっす」
誰に言うでもなく、つぶやく。返事は、当然ない。
アッチムは、ごろりと寝返りを打って、枕に顔を埋めた。
「……してないっすってば」
枕に顔を押しつけたまま、しばらく動けなかった。
※ニャリエナの独り言
あいつ、幸せのにおいがどんどん強くなってるニャン!
次回、『大事件が起きるニャン!』
期待してニャン!




