修理代と、くじ引きと、聞こえているわよ
翌朝。
宿のおばちゃんが、腕を組んで仁王立ちしていた。
その背後に広がるのは、惨憺たる光景だった。壁にはひびが入り、廊下の床は氷結の跡で水浸し。家具は倒れ、扉はひとつ外れかけている。
「……で?」
おばちゃんが、にこりともせずに口を開いた。
「これ、どうしてくれるんだい?」
三人は、並んで正座していた。
「す、すみません……」
アルファスが、額を床にこすりつけんばかりに頭を下げる。その隣で、アッチムがそっぽを向いた。
「師匠のせいっす」
「ええっ!?」
濡れ衣を着せられて、アルファスが目を白黒させる。すかさず、ニャリエナが噛みついた。
「おまえのせいでもあるニャン!」
「ニャーちゃんが発情したのが悪いんっすよ!」
アッチムも負けじと言い返す。二人の睨み合いが、また始まった。
「発情は自然現象ニャン!」
「自然現象で宿を壊すなっす! 猫パンチで壊したっす!」
「おまえの氷も壊したニャン!」
「あ、あの、二人とも、喧嘩はやめて……」
おろおろと割って入るアルファスを、おばちゃんはしばらく無言で眺めていた。それから、にっこりと笑う。その笑顔が、一番怖かった。
「修理代、銀貨三十枚ね」
「さ、三十枚!?」
アルファスの顔から、血の気が引いた。
その横で、ニャリエナが、耳を伏せてしょんぼりと肩を落とす。アッチムは天井を見上げてため息をついた。
とりあえず宿のおばちゃんに猶予をもらい、三人は冒険者ギルドへ駆け込んだ。
三人で掲示板を血眼になって漁る。とにかく、割のいい依頼を探さなければならない。
「ニャリエナさん、採取はどうですか……」
「ダメニャン。安すぎニャン」
ニャリエナが、ふんと鼻を鳴らして却下する。アルファスは、慌てて別の一枚を指さした。
「じゃ、じゃあ、この討伐は……?」
「報酬しょぼいっす」
アッチムにも、あっさり切り捨てられた。
まともな依頼は、どれも報酬が足りない。銀貨三十枚など、Dランクの日銭では、何日かかるか分からなかった。
「……あ」
そのとき、アルファスの目が、一枚の依頼書で止まった。
『貴族護衛依頼 期間:三日間 報酬:銀貨五十枚』
「ご、五十枚……!」
覗き込んだアッチムが、ぱっと顔を輝かせた。
「これっすよ師匠! これなら弁償してもお釣りがくるっす!」
「で、でも、護衛って……僕なんかが……」
「ああもう! 今はそういうのいいっすから!」
アッチムは、半眼でため息をついた。
「勇者様なら余裕ニャン!」
「が、がんばります……」
アルファスは、おずおずと依頼書を受付へ持っていった。
受付へ行くと、ナタリアさんが書類をぱらぱらとめくった。
「ああ、この依頼ね。人気なんだよ、これ」
「人気……ですか?」
「報酬がいいからね。応募者多数で、依頼人様による選考があるよ」
その言葉に、アルファスの声が、すっと小さくなった。
「選考……ですか……」
選考という響きだけで、もう逃げ出したそうな顔をしている。だが、報酬五十枚は譲れない。アッチムが、その背中をぐいと押した。
「行くだけ行ってみるっす」
「は、はい……」
案内された待合室に入って、アルファスは、さらに縮こまった。
強そうな冒険者たちが、ずらりと並んでいた。鍛え上げられた体躯に、磨き上げた武具。Aランクの腕章を付けた者もいれば、護衛専門の古参もいる。その中に、Dランクのアルファスが混じっていた。場違いにも、ほどがある。
「師匠、もっと堂々とするっす」
アッチムが、小声で促した。
「む、無理です……」
「胸張るっす」
「む、胸を張ったら……目立ちます……」
アルファスが、本気で怯えた声を出す。アッチムが、呆れて言い返そうとした、その時だった。
「おまえは胸を張っても目立たなくていいニャン」
ニャリエナが、アッチムに対してしれっと口を挟んだ。
「このアホ猫、喧嘩売ってるんすか?」
アッチムが鬼の形相を浮かべる。今にも掴みかからんばかりに、ニャリエナへ詰め寄った。
「ふ、二人とも、やめてください……!」
アルファスが、慌てて二人の間に割って入る。
その騒ぎでも、周囲の冒険者は誰一人、こちらを見ていなかった。
その時、ニャリエナの耳が、ぴくりと動いた。
「いい匂いの人が来るニャン」
扉が開いて、一人の女性が入ってきた。
上品な身なりだった。仕立てのいい衣服に、控えめだが質の高い装飾品。立ち居振る舞いにも、育ちの良さが滲んでいる。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
柔らかな声だった。丁寧で、穏やかで、それでいて、どこか有無を言わせない響きがある。
「私の護衛を務めていただける方を、この中から、選ばせていただきます」
冒険者たちが、いっせいに居ずまいを正した。ここからが本番だ。腕前を見せる機会が来る。誰もが、そう思った。
女性は、冒険者たちを一人ずつ、ゆっくりと見渡した。Aランクの大男。護衛専門のベテラン。腕に自信のある剣士たち。
しばらく考え込んでから、女性は、困ったように微笑んだ。
「皆さん、どの方も素晴らしいのだけれど……決められないわ」
冒険者たちが、顔を見合わせた。
女性は、にっこりと笑って、こう続けた。
「ですので――くじ引きにしましょう」
静寂が、落ちた。
「……は?」
誰かが、間の抜けた声を漏らした。続いて、別の誰かも。
「くじ引き……?」
待合室にいた全員が、同じ顔をしていた。Aランクの大男も、護衛専門のベテランも、そしてアルファスも。
「ええ、くじ引きです。公平でしょう?」
女性は、何の疑いもない笑顔で言い切った。
周囲から不満の声が漏れかけたが、依頼人の決定は絶対だ。文句を言えば、依頼そのものが消える。冒険者たちは、渋々ながら従うほかなかった。
用意されたくじを、全員が順番に引いていく。
Aランクの大男が引いた。外れ。護衛専門のベテランも、腕利きの剣士たちも、次々と紙を開いては、肩を落としていく。強者たちが、ことごとく脱落していった。
アルファスは、最後の方で、おずおずとくじに手を伸ばした。小さな紙を、そっと開く。
当たり、と書いてあった。
「…………」
待合室が、しん、と静まり返った。
「ぼ、僕……ですか?」
アルファスが、信じられないという顔で、女性を見た。
「あなたよ」
女性は、穏やかに微笑む。その横で、アッチムが思わず声をあげた。
「師匠、さすがっす」
「勇者様だから当たるニャン」
ニャリエナとアッチムは、手をたたいて喜んだ。
「あいつか……」
「くそっ、やっぱり運だけはいいな」
周りの冒険者たちは、あからさまに不服そうな顔をしていた。だが、くじ引きは公平だ。文句のつけようがない。
「では明日からお願いね。集合は八時。わたくしは待つのが嫌いなので、遅れないように。あと、おいしものが食べたいわ。探しておいてね。それから……」
次々と要求が飛んできた。
女性は、一通り言い終わると「それでは」と踵を返した。
女性が去っていくのを見送りながら、ニャリエナが、ぼそりと耳を伏せた。
「……我儘そうニャン」
「我儘そうっすね」
アッチムも深く同感していた。
「聞こえているわよ?」
振り返った女性の、にこやかな微笑み。その奥にちらりと覗いた何かに、二人は同時に、びくっと身を竦めた。
※ニャリエナの独り言
なんだか我儘そうなお嬢様ニャン!
次回、『お嬢様に振り回されるニャン!』
期待してニャン!




