発情期と、認めるニャンと、なんで二人で!?
アッチムは、自室のベッドで、布団にくるまってゴロゴロしていた。
「師匠……最低っす……」
先ほどのやり取りを思い出して、ぎゅっと枕を抱える。
「エロ陰キャっす……不潔っす……」
寝室での、あの光景が頭から離れない。ニャリエナに腕を抱え込まれて、だらしなく眠りこけていた師匠。思い出すと、ムカムカする。
それなのに。
気づけば、まったく別の横顔を思い浮かべていた。眼鏡を外し、真剣な目で考え込んでいた、あのときの師匠を。
「……だからっ、思い出さなくていいっす!」
アッチムは、枕に顔を埋めて、足をばたつかせた。その時だった。
ばあん!!
部屋の扉が、勢いよく開け放たれた。
「し、師匠!?」
飛び込んできたのは、当のアルファスだった。顔は真っ青で、息も切れている。そのまま後ろ手に扉を閉め、震える手で鍵をかけた。さらに、近くにあった机を、ずるずると引きずって扉に押し付ける。
「ちょっと! 師匠なにしてるん……うぐ」
アルファスは、とっさにアッチムの口を、手で塞いだ。
「し、静かにしてください……!」
「ん……っ!?」
アッチムは目を見開いた。
口を塞ぐ師匠の手が、やけに熱い。顔も、息がかかるほどすぐ近くにある。
鍵をかけた部屋で、男と二人きり。その状況を意識した瞬間、アッチムの心臓が、痛いくらいに跳ねはじめた。
(し、師匠!?)
アッチムの顔が、みるみる赤くなっていく。
(な、なにする気っすか!?)
塞がれた口の下で、息が荒くなる。
(こ、心の準備が、できてないっす……!)
ぐるぐると、よからぬ想像が頭を駆けめぐる。
(ていうか、アホ猫だけじゃなくて、うちまで!?)
だが、アルファスは扉の方をうかがったまま外の気配に集中していた。アッチムの様子など、まるで目に入っていない。
やがて、外の気配が遠ざかったのを確かめて、アルファスは、ようやく手を離した。
「……あ、あの」
アッチムが、赤い顔のまま、声を絞り出した。
「わっ! アッチムさん、すみません……」
アルファスはとっさに身体を離した。
「ど、どうしたんすか? なんか、様子がおかしいっす」
アルファスは返事をする代わりに、扉へ視線を向けたままごくりと唾を飲み込んだ。
「は、発情期です」
「……は?」
アッチムは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「ニャリエナさんの、獣人の発情期です……」
「はあ!?」
アルファスは、半泣きで振り返った。
「に、女医さんに、周期が安定しないと言われてたんですけど……まさか、こんなに早く来るなんて……っ」
「な、何の話してるんすか!?」
「と、とにかく、助けてください……! ぼ、僕じゃ、抑えきれなくて……!」
その、必死の懇願の直後だった。ガタガタガタ、と窓が鳴った。
二人同時に振り返る。
「……見つけたニャン」
窓の外に、ニャリエナがいた。
「ぎゃああああ!」
アッチムが、悲鳴をあげる。
「ひいいいい!」
アルファスも、同じだった。
窓を乗り越えて、ニャリエナが部屋へと侵入してくる。その目は、完全に据わっていた。耳がぴくぴくと震え、尻尾は限界まで膨らんでいる。とろんとした瞳が、まっすぐにアルファスを捉えていた。
「勇者様ー! 交尾するニャン!」
ニャリエナが、両手を広げて突進した。
「氷結ッ!」
アッチムが、咄嗟に術式を放った。ニャリエナの足元に、氷が走る。
「師匠を守るっす!」
「邪魔しちゃ、だめニャン!」
ニャリエナは地面を蹴った。軽々と氷の上を飛び越える。
「そこをどくニャン!」
「だめなものは、だめっす!」
こうして、弟子と発情期の猫による、師匠を賭けた攻防が始まった。
宿の一室は、たちまち戦場と化した。
アルファスが逃げる。ニャリエナが追う。アッチムが、その間に割って入って妨害する。氷柱が立ち、猫が跳ね、家具が倒れる。
「待つニャン、勇者様ー!」
「く……っ、すばしっこいっすね、この猫!」
アッチムが、ニャリエナの進路を氷で塞ぐ。だが、発情期のニャリエナは、いつも以上に身軽だった。壁を蹴り、天井近くを駆け、的確にアルファスへと迫っていく。
その、追いかけっこの最中。
「……どうも、最近おかしいと思ってたニャン」
ニャリエナが、ふいに言った。
「おまえ、勇者様といる時……幸せのにおいが、するニャン」
「は?」
アッチムの動きが、ぴたりと止まった。
「おまえ、勇者様のことが好きニャン!」
ニャリエナはアッチムをビシッと指さした。
「……っ、ち、違うっす!」
「好きニャン」
「違うっす!」
「好きニャン」
「だ、だから違うって言ってるっす!」
アッチムの顔が、また赤くなる。ニャリエナの嗅覚の鋭さを思い出していた。
「認めるニャン! おまえも、勇者様が好きニャン!」
「そ、そりゃ……師匠としては、尊敬してるっす!」
「そうじゃないニャン」
ニャリエナの目が、すうっと細くなった。
「雄として、好きニャン!」
「はあああああ!?」
アッチムの声が、裏返った。
「ちょ、何言ってんすか、このアホ猫! うちは、陰キャが大っ嫌いっす! 師匠は、まぎれもない陰キャっす!」
まくしたてる。否定の言葉を、必死に積み上げる。
「そりゃ、バトルの時とか……考える顔とか……ちょっと、かわいいし――」
言ってしまってから、アッチムは、固まった。
自分の口が、何を言ったのか。たっぷり数秒かけて、理解する。
「……っ、い、今のなしっす! なし! 聞かなかったことにするっす!」
みるみる耳まで真っ赤になって、アッチムは、ぶんぶんと首を振った。
「ほら見ろニャン」
ニャリエナが、勝ち誇った顔をした。
「うるさいっす! アホ猫!」
「アホ猫じゃないニャン! 勇者様は、渡さないニャン!」
「望むところっす!」
もはや、アルファスなど眼中になかった。氷結術式と猫パンチが、激しくぶつかり合う。部屋の中が、めきめきと音を立てて、惨憺たる有様になっていく。
その隙に、アルファスは、そっと窓へ向かっていた。
「い、今のうちに……っ」
アルファスは音もなく窓枠を越え、外へと滑り出た。
二人が我に返ったのは、しばらく経ってからだった。
「……はぁ、はぁ、やるっすねこのアホ猫!」
「……はぁ、はぁ、弟子の癖になかなかやるニャン!」
肩で息をしながら、アッチムとニャリエナが、同時に動きを止める。
「……あれ? 師匠?」
「……勇者様? どこニャン?」
二人は、きょろきょろと部屋を見回した。
アルファスの姿が見当たらない。窓が、全開になっている。
「……逃げたっす」
「……逃げたニャン」
月明かりの下、街外れをアルファスが全力で疾走していた。
「ひいい! た、助けてっ!!」
その後ろから。
「待つニャン!」
「待つっす!」
ニャリエナとアッチムが、二人そろって追いかけてくる。
「何で二人とも追ってくるんですかー!!」
アルファスの悲鳴が、夜空に響き渡った。
※ニャリエナの独り言
また追いかけっこして楽しかったニャン!
次回、『またお金を稼ぐお話ニャン』
期待してニャン!




