初依頼と、すごい師匠と、やっぱり変な師匠
翌朝。
アルファスが食堂に下りると、アッチムがいた。すっかり馴染んだ顔で、テーブルに頬杖をついている。
「おはようっす、師匠!」
「……まだいたんですか」
アルファスの声に、力はなかった。昨日のやり取りを思い出して、がくっと肩が落ちた。
「そろそろ帰ったらどうニャン?」
ニャリエナが、不機嫌そうに耳を伏せる。一縷の望みを込めた問いだった。
「帰るも何も、ここがわたしの居場所っすから」
アッチムは、その望みをあっさりと打ち砕いた。
それから、一枚の依頼書をテーブルに広げてみせた。それは薬草採取の依頼書だった。森に自生する治癒草を、一定量集めてくるという、初級者向けの内容である。
「これ、一緒に行ってください、師匠」
「……アッチムさん一人で……大丈夫じゃないですか?」
アルファスは、おずおずと首を振った。
「弟子の初依頼っす。師匠が必要っす」
「ぼ、僕は師匠じゃありません! それに、僕なんかいなくても、できますから……」
「師匠が来ないなら、一日中つきまとってお願いし続けるっす」
それは、脅しだった。昨日の食堂の悪夢が、アルファスの頭をよぎる。
「……一緒に行くだけですよ?」
逃げ場は、最初から無かった。
森は、朝の光に満ちていた。
アッチムは、意気込んで薬草を探し始めた。地面に顔を近づけ、草をかき分け、あちこちを歩き回る。だが、治癒草はなかなか見つからない。
予習してきたつもりだったが、似たような草ばかりで、どれが本物なのか判別がつかなかった。
「うーん……どれっすかね、これ」
アッチムは唸りながら首をひねった。
「おまえ、頑張るニャン」
近くの切り株に腰かけたニャリエナが、足をぶらぶらさせながら言った。
「ニャーちゃんは何してるんすか?」
「応援してるニャン」
「……役に立たない猫っすね」
アッチムが、半眼で言い放つ。ニャリエナの耳が、ぴくっと跳ねた。
「弟子のくせに、その言い草は何ニャン!」
「ニャーちゃんの弟子じゃないっすよ」
ぴしゃりと返されて、ニャリエナは口をへの字に曲げた。
「……ニャーちゃんじゃないニャン」
文句の矛先が、いつものところへ戻っていった。
二人のやりとりの横で、アルファスは少し離れた茂みへ歩いていった。そして、屈み込んで草を摘んだ。その繰り返しだけで、採取籠の中身はどんどん増えていく。
アッチムは慌てて後を追いかけた。同じ森を歩いているはずなのに、自分には違いがまるで分からない。
「なんで分かるんすか?」
思わず聞くと、アルファスは足元の治癒草を摘みながら答えた。
「葉の向きと、土ですね」
「は?」
意味が分からなかった。葉は葉だし、土は土だ。少なくともアッチムにはそう見える。
「治癒草は生える場所に特徴があるので……」
アルファスは何か説明を続けていた。だが、アッチムには半分も理解できなかった。説明が難しいのではなく、前提知識が違いすぎるのだ。
アッチムは口を開けて固まっていた。
「あ、す、すみません。そのうち慣れますよ……」
アルファスは、申し訳なさそうに眼鏡を押し上げた。
その時、近くの茂みが、がさりと揺れた。
「変なにおいニャン! 何か来るニャン!」
ニャリエナが叫ぶと同時に飛び出してきたのは、灰色の毛をした魔狼だった。
「来たっす!」
アッチムが短剣を抜くと同時に、魔狼が襲い掛かってきた。鋭い動きで攻撃をかわし、そのまま懐へ踏み込む。だが、刃は空を切った。
「っ!」
読みは間違っていなかったはずだ。それでも、わずかに届かない。じりじりと間合いを測りながら、アッチムは魔狼を睨みつけた。
「く……っ、すばしっこいっす」
「……アッチムさん」
後方から、アルファスの声がした。
「左です」
「え?」
考えるより先に、アッチムは左へ跳んだ。直後、魔狼の牙が、さっきまでいた場所をかすめる。
「次は、右です」
言われるまま、右へ。爪が空を切った。
「下、です」
身を低くする。魔狼が、頭上を飛び越えていった。体勢を崩した魔狼の、無防備な脇腹。そこに、アッチムの短剣が吸い込まれ、魔狼はどさりと倒れた。
「……はぁ、はぁ」
息を整えながら、アッチムは、ゆっくりと振り返った。
「師匠……今の、見えてたんすか?」
「見えてました」
「魔狼の動き、全部っすか?」
「全部です」
アルファスは、当たり前のことのように頷いた。何も特別なことではないらしい。
(……やっぱりこの人、凄いっす)
胸の奥が熱くなった。
帰り道。
採取した薬草を抱えながら、アッチムは隣を歩くアルファスを、ちらちらと見ていた。
「やっぱ師匠、すごいっすね」
「そんなことありません」
アルファスは、即座に否定した。
「いや、あるっす。あの魔狼、わたし一人じゃ手こずってたっす」
「アッチムさんの実力です。僕は、ちょっと声をかけただけで……」
アルファスは、本当に困ったように眉を下げた。
「その『ちょっと』ができる人、そういないっす」
アッチムは、心の底からそう思っていた。これまで色々な冒険者を見てきたが、あんな芸当ができる者は、記憶になかった。
「師匠より凄い人、わたし、見たことないっす」
「……たくさん、いますよ」
アルファスは、即座に答えた。迷いのない声だった。
「誰っすか?」
アッチムが問い返すと、アルファスは、ぴたりと言葉を止めた。
「ええと……」
アルファスは、言葉に詰まった。
具体的な名前を、と問われると、出てこない。 それでも、自分より凄い人は大勢いる。アルファスは、本気でそう思っていた。
「……います。たくさん」
「いや、名前出てこなかったじゃないっすか」
「い、いるんです……」
しどろもどろのアルファスを見て、アッチムは、首を傾げた。
(この人……本気で言ってるっぽいっす)
謙遜ではない。卑下でもない。アルファスは、本当に、心の底から、自分を凄いと思っていないようだ。あれだけの実力を持っていながら。
なぜなのか、アッチムには、まるで分からなかった。
ギルドに戻り、依頼を達成報告すると、受付が目を丸くした。
「新人さんで、この量を半日ですか?」
治癒草は、規定の倍近く集まっていた。しかも、どれも質がいい。採取の時期も、株の選び方も、的確だった。
「師匠のおかげっす!」
アッチムが、胸を張って言う。
「ち、違います」
アルファスが、慌てて手を振った。
「いや、師匠のおかげっす」
「アッチムさんが、頑張ったからです」
「師匠が場所教えてくれたっす」
「あれは、誰でも分かることで……」
「わたしには分からなかったっす」
「あう……」
受付嬢が、二人を交互に見ながら、困惑顔で固まっている。譲り合いというより、押し付け合いだった。
「……また始まったニャン」
ニャリエナはあきれた顔をして尻尾を揺らした。
その夜、アッチムは宿の天井を見上げながら、昼間のことを考えていた。
葉の向きで群生地を見抜く目。魔狼の動きを完全に読み切る指示。そして、それだけの力を持ちながら、本気で自分を「凄くない」と思っている、あの横顔。
(実力は、本物っす。間違いなく)
そこは、もう疑っていなかった。
(でも、なんすかね……あの人。自己肯定感が低すぎるっす)
キモい。陰キャ。それは、相変わらずだった。
本来なら、アッチムが苦手なタイプのはず……なのに、妙に気になった。
※ニャリエナの独り言
あいつ生意気ニャン! わからせないとだめニャン!
次回、『単独依頼に行くニャン!』
期待してニャン!




