師匠と、押しかけ弟子と、ふぎーーーっ
朝の食堂は、いつものように静かだった。
アルファスは、湯気で眼鏡を曇らせながら、スープをゆっくりと口へ運んでいた。その向かいでは、ニャリエナがパンを口いっぱいに頬張りながら、尻尾を揺らしている。穏やかな、いつもの朝だった。
その時だった。
ドタドタドタ、と荒々しい足音が近づいてきて、食堂の扉が勢いよく開け放たれた。
「師匠ーっ!!」
「ぶっ」
アルファスは、危うくスープを吹き出しかけた。
ニャリエナの耳が、ぺたんと寝る。
「……なんか来たニャン」
心底嫌そうな声だった。
扉のところに立っていたのは、アッチムだった。大きな荷物を肩に担ぎ、もう片方の手には旅装の鞄を提げている。まるで引っ越しでもしてきたかのようだ。
「師匠、今日からよろしくっす!」
アッチムはアルファスに向かって、元気いっぱいに言った。
「え?」
アルファスはきょろきょろと辺りを見渡した。ここにアッチムの師匠がいるのだろうか?
「アルファスさん、今日から師匠と呼ばせていただきます。弟子のアッチムをよろしくっす」
アルファスは、口を半開きにしたまま固まった。
厨房から顔を出した宿のおばちゃんが、目を丸くする。
「弟子?」
近くの席で朝食をとっていた客たちも、いっせいに顔を上げた。
「弟子だってよ」
「あの兄ちゃんの?」
アルファスは慌てて立ち上がった。
「ち、違います!」
急いで否定するが、もう遅い。食堂中の視線がこちらを向いていた。
「だ、第一、僕は弟子なんて取れるような人間じゃ……」
アルファスは汗びっしょりで眼鏡を押し上げた。
「でも、新人教育の講師だったっすよね?」
アッチムが、ずいと一歩踏み込んだ。
「あ、あれは、冒険者ギルドに無理やり頼まれて……」
「でも、引き受けたっすよね?」
アッチムがさらに一歩せまった。
「それは、まあ……」
「生徒に責任を持つのも、講師の務めじゃないっすか?」
アッチムは眉を上げて目の前までせまった。
「あう……」
アルファスは言葉に詰まった。
厨房のおばちゃんが、うんうんと頷く。
「なるほどねえ。それは責任をとるしかないねえ」
外野が、どんどん増えていく。客の何人かは、面白がって耳を傾けていた。アルファスの顔が、じわじわと赤くなっていく。
その騒ぎのなか、アッチムの視線が、ふとニャリエナへと向いた。アルファスの隣にぴったりと座り、当然のように身を寄せている猫獣人の少女へ。
「……ところで、ずっと気になってたんすけど、お二人はどんな関係なんすか?」
アッチムは、不思議そうに首を傾げた。
「ただの主人と奴隷です」
アルファスが、考えるよりも先に、事実をそのまま答えた。
「大好きなご主人ニャン♡」
ニャリエナが、ぎゅうっとアルファスの腕に抱きついた。
アッチムの動きが、ぴたりと止まった。
「奴隷ってことは……」
すうっと、その目が細くなる。
「買ったんすか?」
「え」
「最低っす」
吐き捨てるような一言に、アルファスは飛び上がった。
「あ、あわわ、違います! 違うんです!」
ぶんぶんと首を振りながら、必死に弁解しようとする。
「こ、これには事情が……ニャリエナさんが、自分から……っ」
しかし、アッチムの視線は、すでに完全に軽蔑の色を帯びていた。
「うわぁ。陰キャが、奴隷を自分から買ったとか言い訳してるっす」
「言ってません!」
「しかも女の子っすよ。うわぁ」
「うわぁじゃないです!」
アッチムは、心底軽蔑したような目で、アルファスを上から下まで眺めた。そして、しみじみと言った。
「……つくづく、師匠はキモイ人っすね」
「あうう……」
悪びれる様子は、まるでなかった。
アルファスは、がっくりと肩を落とした。どう考えても、弟子入りしに来た者からの言葉ではなかった。
すると、アルファスは何かに気づいた様子で、ぽんっと手を打った。
「そ、それなら……そんなキモイ人の弟子には、ならない方が……」
わずかな希望を込めて、アルファスは言った。これで諦めてくれるかもしれない。
「いや、師匠の実力は本物っす」
アッチムは、即答した。きっぱりとした、迷いのない声だった。
「腕は尊敬してるっす。人としてはキモいっすけど」
「僕に師匠なんて絶対無理ですから……」
話は、まったく進まなかった。
アッチムは帰らなかった。
朝食が終わっても、食堂にいた。アルファスがロビーへ移動すると、当然のようについてきた。昼を過ぎても、夕方になっても、アッチムはそこにいた。
たまりかねて、アルファスが尋ねた。
「あ、あの……宿は、どうするんですか?」
「ここっす」
「え?」
「空き部屋、取ったっす」
アッチムは、こともなげに言ってのけた。
「えぇ……」
アルファスは、めまいがした。逃げ場が、ひとつ消えた。
夜になった。
何もしていないのに、アルファスはくたくたに疲れ果てていた。ようやく自室へと戻った。
今日はとんでもない一日だった。せめて部屋でくらい、静かに休みたい。そう思いながら、扉を開けた。
アッチムがいた。
「な、何してるんですか!?」
アルファスは、悲鳴のような声をあげた。
「弟子っすから」
アッチムは、床に座り込んだまま、平然と答えた。
「どうやって入ったんですか!?」
「受付で聞いたっす」
いつの間にか顔を出していた宿のおばちゃんが、にこにこと口を挟んだ。
「師匠と弟子なんだろ?」
「ち、違います!」
慌てて否定するアルファスの背後で、ニャリエナの尻尾が、ぶわりと膨らんだ。金色の瞳が、まっすぐにアッチムを睨んでいる。
「おまえ、朝から何ニャン!! 出ていくニャン!!」
ニャリエナはそう言って爪を見せるが、アッチムは、まるで動じなかった。それどころか、にやりと笑って、ニャリエナを見下ろした。
「まあまあ、そう怒るなって、ニャーちゃん」
「……っ」
ニャリエナの耳が、ぴんと逆立った。
「ニャーちゃんじゃないニャン! わたしの名前はニャリエナ! ニャン!」
「はいはい、ニャーちゃん」
「ニャーちゃんって呼んじゃだめニャン!!」
アルファスは、扉の前で頭を抱えた。自分の部屋に、押しかけ弟子が居座り、その弟子と奴隷が言い争っている。どうしていいか、まるでわからなかった。
「帰れニャン!」
「お世話になるっす」
「帰れニャン!!!」
「ありがとうっす」
まったく噛み合わない応酬が、しばらく続いた。アッチムは、何を言われても居座るつもりのようで、びくともしない。
ニャリエナの全身が、ぷるぷると震えだした。耳が伏せ、尻尾が最大まで膨らむ。そして。
「ふぎーーーっ!!」
猫獣人の咆哮が、宿中に響き渡った。
※ニャリエナの独り言
あいつ何ニャン! 新人のくせに邪魔ニャン!
次回、『初依頼には付き添いが必要ニャン!』
期待してニャン!




