実践演習と、黒い霧と、別人のような後ろ姿
新人教育、最終日。
冒険者ギルドの前に、新人冒険者たちが集まっていた。
今日は座学でも、訓練場でもない。初級ダンジョンでの、実践演習だ。これを終えれば、晴れて正式な冒険者となる。新人たちの足取りは、どこか軽かった。
「やっと実践っすね!」
アッチムが、待ちきれないように拳を握った。
「初級ダンジョンなんざ、楽勝だろ」
「さっさと終わらせて、打ち上げといきましょうか」
グーダスもパーダロも、余裕の表情を浮かべて言った。
何日も退屈な講習に付き合わされた反動か、誰の顔にも緊張はなく、むしろ浮かれているくらいだった。
その後ろを、アルファスがおずおずと付いてくる。背中には、新人たちが当然のように押しつけた予備の荷物が、山のように積まれていた。完全に、荷物持ち扱いである。
「あ、あの……周囲に目を配って……あと、足元気をつけてくださいね……」
誰も、聞いていなかった。
「ダンジョン、楽しみニャン♡」
その隣で、ニャリエナだけが、尻尾を振って機嫌よさそうにしていた。
見送りに出てきたナタリアさんが、ひらひらと手を振る。
「無事に帰っておいで。油断だけはしないようにね」
新人たちは、適当に返事をした。誰も、本気にしてはいなかった。
これから向かう初級ダンジョンは、新人の実践訓練に使われる練習用で、帰還率は九十八パーセント以上だった。少なくとも、今までは。
ナタリアさんは、にこにこしながら全員を見送った。
ダンジョンの中は、薄暗く、ひんやりとしていた。
松明の灯りが、湿った岩肌を照らす。じめじめとした空気の中、どこかで、水の滴る音が響いていた。
通路を進むと、さっそく魔物が現れる。
「来たぜ!」
グーダスが、真っ先に前へ出た。洞窟蝙蝠の群れへ、迷いなく斬りかかる。剣の一閃で、三匹をまとめて叩き落とした。
「ふっ。雑魚が」
軽く息を整えながら、グーダスは、ちらりと足元へ目を走らせた。岩場の起伏。退路。無意識のうちに、それを確認している自分に気づいて、ふと、眉をひそめる。
(……なんで、こんなこと)
戦闘理論。あの、退屈な講義。頭の隅に、こびりついていた。
「ちっ」
舌打ちひとつで、グーダスは、その思考を振り払った。
「うちも、負けてないっす!」
アッチムが、軽やかに駆けた。岩肌に擬態した蜥蜴へ、短剣を振るう。
「氷結!」
術式が、するりと発動した。
「……あれ?」
いつもより、ずっとスムーズだった。魔力の流れに、引っかかりがない。あの「循環」を意識した。たった、それだけで。
(やっぱ、あの理論……効いてるっす)
胸の奥が、ざわりとした。
パーダロは、例の魔道具を使うまでもないと言いたげに、最低限の術式だけで魔物を片付けていた。
「この程度で教育修了とは。ちょろいものですねぇ」
「なんか、今日やけに調子よくないっすか?」
「ああ。身体が軽いな」
新人たちは、上機嫌で奥へと進んでいく。誰も、その「調子の良さ」が、どこから来ているのかを、考えはしなかった。
最後尾で、アルファスは、ひとり、周囲に目を配っていた。
壁の苔の生え方。空気の流れ。魔物の数と、その様子。おどおどと縮こまった姿勢のまま、その視線だけが、絶え間なく動いている。
アッチムは、時折振り返っては、アルファスの様子を観察していた。
アルファスは何かを見つけるたびに、目立たないように術を発動している。
それが、崩れかけた足元や天井を修復する術だということに、アッチムは気づいた。
(……やっぱりこの人……)
模擬戦のときから、ずっと感じていた違和感。その答えをアッチムは知りつつあった。
異変に気づいたのは、どれくらい進んだ頃だったろうか。
まず、静かになった。あれほどいた魔物の気配が、ぴたりと、消えていた。
そして、転がっていた。
魔物の、死骸が。
それも、本来この階層にはいないはずの、上位の魔物のものだった。何かに、引き裂かれている。たった、一撃で。
アルファスの足が、止まった。
「あ、あの……」
おずおずと、声をあげる。
「この奥は……やめた方が、いいかもしれません……」
「あぁ?」
グーダスが、振り返る。
「なんだよ、急に」
「逃げるのだけは、得意ですもんねぇ」
誰かが言って、どっと笑いが起きた。
「あの……油断だけは……しないように……」
アルファスは、それ以上、何も言わず、眼鏡をスッと押し上げた。
新人たちは、笑いながら、奥へと進んでいく。その背を追いながらアッチムは、一度だけ振り返った。アルファスが、いつになく、険しい横顔を、している気がした。
開けた空間に出た、その時だった。空気が、ぞわりと、粟立った。
奥の闇が、蠢いている。
そして、黒い霧をまとった、見たこともない魔獣が、ゆらりと、姿を現した。
「な――」
誰かが声をあげた時には、もう、遅かった。
魔獣を包んでいた黒い霧が、一気に膨れ上がり、空間全体へと、広がっていく。
「っ、なんだ、これ……身体が……」
グーダスが、膝をついた。剣を支えに立とうとして、それすら、ままならない。
「だ、め……っす……」
アッチムの視界が、ぐらりと、揺れた。
霧が強烈な眠気を誘発する。意識を、根こそぎ、奪っていく。
新人たちが、ひとり、また、ひとりと、その場に崩れ落ちていった。あれほど威勢のよかった声が、次々と、途切れていく。
アッチムも、抗えなかった。膝が砕け、地面へと、倒れ込む。瞼が、鉛のように、重い。
遠のく意識の中で、アッチムは見た。
霧の中を、変わらぬ足取りで歩いていく、ひとつの背中を。
いつもの、おどおどとした背中では、なかった。
背筋の伸びた、別人のような後ろ姿が、魔獣へと、ためらいなく、向かっていく。
(あ……の……人……)
そこで、アッチムの意識は途切れた。
※ニャリエナの独り言
ダンジョンはひんやりして気持ちいいニャン!
次回、『新人教育終了ニャン!』
期待してニャン!




