見切りと、紙一重と、逃げてるだけ
「始め」
ナタリアさんの手が振り下ろされると同時に、アッチムは地を蹴った。
武術大会を制した踏み込み。一瞬で間合いを詰めると、短剣をアルファスの脇腹へめがけて突き出した。
刃は、空を切った。
アルファスは半歩、退いていた。たった半歩。アッチムの刃が届く、ぎりぎり外側へ。
(速い――いや、違う)
体勢を立て直し、二撃目。今度は両手の短剣で、左右から挟み込む。逃げ場はないはずだった。しかし、アルファスの身体がふっと沈み、二本の刃は、頭上で交差して空を斬った。
「足止めの術式、氷結!」
アッチムは間髪入れず、術を放った。地面が凍りつく。
だが、アルファスはその氷の縁の外にいた。狙った位置で術は発動した。しかし、術はかすりもしなかった。
「なんだよ、逃げてるだけじゃねぇかw」
「逃げ足だけは一流だなw」
見物する新人たちから、笑い声が上がった。
「みっともない戦い方ですねぇ。まるで覇気が感じられません」
パーダロも肩をすくめて言った。
誰もが、同じものを見ていた。ひょいひょいと身をかわすだけの、情けない陰キャ。攻めあぐねる優勝者。あと一歩で当たりそうで、当たらない。それだけのこと。
だが、アッチムだけは違った。
息が、上がっていた。まだ五分も経っていない。なのに、汗が止まらない。心臓が嫌な音を立てている。
(おかしいっす)
全力で攻めている。手を抜いてなどいない。なのに、一撃も掠らない。
いや――掠らないんじゃない。
アッチムは、ようやく気づき始めていた。 自分が踏み込む。その前に、もう避ける位置に入られている。フェイントを混ぜようが、術を発動しようが、すべて読まれている。先回りされている。
「とりゃあっ……!」
アッチムは渾身の一撃を放った。今までで一番速く、一番鋭い踏み込みだった。短剣の切っ先が、アルファスの喉元へ伸びる。
だが、届かなかった。
アルファスは、首をわずかに傾けただけだった。刃は、頬の横を通り過ぎていく。髪一筋分の隙間を残して。
アッチムの足が、止まった。膝が、笑っている。息が続かない。短剣を握る手が、震えていた。
「……はぁ……はぁ……」
アルファスは、そこに立っていた。汗ひとつかいていない。息も乱れていない。
「アッチムちゃん、時間だよ」
ナタリアさんの声が、遠くで聞こえた。
たった十分。それが、永遠のように長かった。アッチムは、ぺたんとその場に座り込んだ。立っていられなかった。
「強いニャン! 勇者様、かっこいいニャン♡」
ニャリエナが尻尾を振って、ぴょこぴょこ跳ねている。
新人たちは、まだ笑っていた。
「結局、逃げ回ってただけかw」
「優勝者も大したことねぇな」
誰も、何が起きていたか気づいていない。
アッチムは、座り込んだまま、目の前の男、アルファスを見上げていた。
アルファスはいつの間にか、いつものように縮こまっていた。
「あ……あの、大丈夫ですか……?」
猫背が戻っていた。おどおどした、陰キャ講師。眼鏡を押し上げる手が、申し訳なさそうに揺れている。
先ほどまでと同一の人物には見えない。しかし、アッチムの背中に冷たい物が走った。
(丸裸にされた気分っす……)
心臓が、まだ早鐘を打っていた。けれどそれは、もう疲労のせいだけではなかった。
「……次、行くぞ」
グーダスが名乗りを上げた。剣を抜き、訓練場の中央へ歩み出る。その目には、若干の侮りが見えた。
「アッチムから逃げ切ったからと言って、俺まで同じだと思うなよ」
グーダスはそう言って剣を構えた。無駄のない構えだった。
騎士団長ガルドの息子であり、幼い頃から本物の剣術を叩き込まれた。その構えには一分の隙もなかった。
「いくぞ」
グーダスは鋭く踏み込んだ。アッチムのような手数はない。代わりに、一撃一撃が重く、正確で、逃げ道を計算し尽くしている。
袈裟。
逆袈裟。
突き。
退路を読んで、追い込むように剣が振るわれる。
だが、アルファスはそのことごとくを、紙一重で外していった。
(……なんだこれは)
グーダスは攻めながら、奇妙な感覚に襲われていた。
相手の動きは、最小限だ。大きく跳ばない。慌てない。ただ、こちらの剣先が届く寸前で、すうっと身体がずれる。
(この見切り……父上と、同じだ)
騎士団長ガルド。グーダスが世界で最も強いと信じる男。その父が、稽古のときに見せる「見切り」と、目の前の陰キャ講師の動きが、重なった。
寸前で外す。最小で外す。相手に「あと一歩で届く」と錯覚させ続ける。それは、達人だけが到達する領域のはずだった。
(いや、まさか。偶然だ)
グーダスは打ち消した。
(こんな、おどおどした男が、父上と同じわけがない)
だが、剣を振るうほどに、その確信が揺らいでいく。何度打ち込んでも、かすりもしない。
「……時間だよ」
ナタリアさんの声が響いた。
グーダスは、剣を下ろした。結局、一度も刃を届かせられなかった。
胸の奥に、理由の分からない苛立ちが残ったまま、グーダスは黙って下がった。
その後も新人たちは次々とアルファスへ挑んだ。
剣士。
槍使い。
格闘家。
魔術使い。
誰一人として、アルファスに膝をつかせることはできなかった。だが、同時に誰一人としてアルファスから攻撃を受ける事もなかった。
「なんなんだよ、あいつ……」
「逃げるのだけは本当にうまいな」
「いや、あそこまでいくと才能だろ」
新人たちの評価は、いつの間にかひとつにまとまっていた。
――アルファスは、逃げるのがうまい。
「どうニャン! 勇者様は凄いニャン! お前たちじゃ敵わないニャン!!」
ニャリエナがドヤ顔で胸を張った。
「うるせっ! クソ猫!」
「陰キャが逃げてるだけじゃねーか」
新人たちは苛つきながら口々に叫んだ。
しかし、アッチムは黙り込み、グーダスは眉をひそめていた。
※ニャリエナの独り言
勇者様の実力を思い知ったかニャン!
次回、『勇者様との模擬戦、その二!』
期待してニャン!




