ひと芝居と、模擬戦と、冷たい背筋
冒険者ギルドの朝は騒がしかった。
依頼掲示板の前には冒険者達が集まり、受付では朝から職員達が忙しそうに動き回っている。
アルファスはいつものように壁際の目立たない場所を歩いていた。その隣をニャリエナが尻尾を揺らしながら歩く。
冒険者たちの視線が集まる。みんな、縮こまった陰キャではなく、健康的で愛らしい猫獣人に視線を向けていた。
「おはよー、ご両人」
二人を見つけたナタリアさんが、受付の向こうから手を振った。
「お、おはようございます……」
おずおずと挨拶するアルファスの脇で、ニャリエナは大きく身体を伸ばした
「ふああ……」
ニャリエナが大きな欠伸をする。
「勇者様、今日はいつもより早いニャン」
「そ、そうですか……」
「昨日の夜は遅かったニャン」
アルファスの肩がぴくりと跳ねた。ナタリアさんが首を傾げる。
「何かしてたのかい?」
「一緒にお風呂で洗いっこしたニャン」
「ぶほっ!?」
アルファスが盛大にむせた。
「し、してませんから!」
「したニャン」
「してませんってば!」
「したニャン♡」
「嘘はやめてください!」
「嘘ニャン」
「うっ……まったくもう……」
アルファスはがくっと肩を落とした。そんな二人のやり取りを見ながら、ナタリアさんが面白そうに目を細めた。
「今日も仲いいね。二人はいつも一緒にお風呂に入るのかい?」
「い、いつもではありません! たまにです!」
言った瞬間、アルファスの顔が真っ赤に染まった。
「あ、違っ! いや……間違い……でもなく、入ったことはなくはなくて……」
アルファスは汗びっしょりになった。その脇でニャリエナはしっぽを揺らしながらニコニコしている。
「あ、あの、そんなことより!」
アルファスは逃げるように話題を変えた。
「新人さん達について……ご相談が……あります!」
「ふふ。なかなか苦労してそうだね。みんな反抗的だろ?」
「はい……でも年上に反抗するのは若い人の特権ですから……」
アルファスは眼鏡を押し上げた。
ナタリアさんはカウンターに頬杖をついた。
「おかしな事いうね。君だって同年代か、むしろ彼らより若く見えるんだけど」
アルファスの動きが止まった。
「君はそもそもいくつなんだ?」
「……三十四歳です」
アルファスはそう言って顔をそらした。
「はあ?」
ナタリアさんは変な声を出した。見た目と年齢が完全に釣り合っていない。
アルファスはいたたまれなくなったのか、再び話題を変えた。
「あ、あの、そんな事よりも……お願いがあります!」
「お願い?」
アルファスは少しだけ表情を引き締めた。
「新人さん達のことで……ひと芝居うってもらえないでしょうか?」
「ほほう?」
ナタリアさんは興味深そうに身を乗り出した。アルファスがそっとナタリアさんに耳打ちする。
ニャリエナは尻尾を膨らませて、その様子を見ながらつぶやいた。
「近いニャン……離れるニャン」
ナタリアさんはそれに気づくと、ひとつウインクした。
ニャリエナは、ベッと舌を出して応えた。
訓練場に、新人冒険者たちが集まっていた。
相変わらずやる気のない顔が並んでいる。グーダスは退屈そうに剣の柄を指で弾き、アッチムは欠伸を噛み殺していた。パーダロは我関せずといった様子で、爪の手入れをしている。
「はいはい、注目」
ナタリアさんが手を叩きながら入ってきた。その後ろから、アルファスがおずおずと付いてくる。
「どうだい、講習は。楽しんでるかい?」
新人たちは顔を見合わせた。そして、ほぼ全員が同時に口を開いた。
「つまんねぇっす」
「退屈だ」
「眠いだけですねぇ」
ナタリアさんは満足そうに頷いた。
「うんうん。正直でよろしい」
そして、人差し指を一本立てた。
「じゃあ今日は、新しい課題をやろう。君たちが喜びそうな課題だ」
新人たちの顔が、わずかに明るくなる。ナタリアさんが訓練場を見渡した。
「一人、持ち時間十分。アルファス君と一対一で模擬戦をしてもらう」
ざわめきが起きた。
「攻撃方法は問わない。武器も、魔法も、道具も、何を使ってもいい」
ナタリアさんは言葉を切った。それから、にやりと笑う。
「十分の間に、アルファス君に一度でも膝をつかせることができたら――その時点で、Cランクのライセンスをあげる」
一瞬、訓練場が静まり返った。そして。
「えっ!?」
「マジか!?」
「Cランク! 普通は何年もかかるんだぞ!」
新人たちが一斉に色めき立ち、 全員の視線が、アルファスへと集まった。
小柄で、猫背で、頼りない陰キャ講師。どう見ても、十分間も持ちこたえられるようには見えなかった。
「怪我させてもいいんですか?」
グーダスが尋ねると、ナタリアさんは大きくうなずいた。
「もちろんだ。何なら殺してしまっても、ギルド側はいっさい文句を言わないよ」
ニコニコしながら言うナタリアさんの後ろで、アルファスはびっしょりと汗をかいていた。
「でも、そいつ……アルファス……先生は一人で戦い続けるんだろ? 後に戦う奴の方が有利だな」
グーダスが腕を組みながら言った。
新人たちが一斉にざわめく。確かにこの方式なら、後になればなるほど有利だ。誰が一番に行くかで揉め始めた。
「じゃあ、うちが一番にいくっす」
アッチムが進み出た。
周囲が少しざわつく。武術大会女子の部、優勝者。新人の中でも頭一つ抜けた実力者だ。アルファスは瞬殺されるだろうと誰もが思った。
「あんまり早く終わらせるなよ。できる限りあいつを消耗させてくれ」
グーダスが笑いながらそう言うと、周りからも笑いが起きた。
アッチムは、内心で別のことを考えていた。
(昨日のあれが、本物か偶然か……確かめさせてもらうっす)
氷結術式の、長年の悩み。あっさり解決したあの出来事。違和感の正体が今わかるかもしれいないと、そう考えていた。
「では、アッチムちゃん。前へ」
ナタリアさんに促され、アッチムは訓練場の中央へ進んだ。短剣を二本、抜く。
「えっと……その……怪我だけはしないようにお願いします……」
小さくつぶやきながら、正面にアルファスが立った。
その瞬間、アルファスの背筋が、すっと伸びた。猫背が消え、おどおどした空気が、嘘のように引いていく。
アッチムの肌が、ぴりっと粟立った。
(……なんすか、これ)
アルファスから、さっきまでの頼りなさが消えていた。けれど、何が変わったのかは分からない。立っているだけだ。ただ立っているだけ。それなのに、背中に冷たいものが走った。
「勇者様! 生意気な新人をぼこぼこにするニャン!」
「そこの猫、うるせーぞ!」
ニャリエナが叫び、誰かのヤジが飛んだ。
アッチムにはそのやりとりは聞こえていなかった。
※ニャリエナの独り言
ナタリアさんからは好きのにおいがしないから、ちょっと安心してるニャン!
次回、『勇者様と模擬戦するニャン!』
期待してニャン!




