座学と、眠気と、何か変っす
新人冒険者たちは再び訓練場へ集まっていた。
昨日よりも少しだけ静かだった。誰もアルファスを認めてはいない。だが、昨日の四十二本という結果が頭から離れない。少なくとも雑談をしている者はいなかった。
「あ、あの……」
アルファスがおずおずと前へ出る。
「お、おはようございます……」
小さな声だった。聞こえているはずだが、返事はない。
「あぅ……」
アルファスの肩が少し落ちた。
ナタリアさんがぱんぱんと手を叩く。
「はいはい。今日は座学だよ」
新人たちの顔が一斉に曇った。
「うわぁ」
「剣振らせろよ」
ナタリアさんは笑った。
「ほらほら。理論と知識があればより早く成長できるんだから」
誰も反論できなかった。
「じゃあ、あとはお願いね」
ナタリアさんはそう言って自分の業務に戻っていった。残されたアルファスは眼鏡を押し上げた。
「えっと……じゃあ始めますね」
教壇の前に立つ。
その瞬間だった。背筋がぴんと伸びた。空気が少しだけ変わった。しかし新人たちは気づいていない。
「薬草学を……始めます」
アルファスは黒板へ文字を書き始めた。
回復草。解毒草。止血草。
地味すぎる内容に、新人たちの顔がさらに曇った。
「あんなの、回復魔法があればいらない知識だよな」
誰かがアルファスにも聞こえるような声で言った。
「回復魔法だけに頼る……のは危険です」
アルファスが話し始める。声は小さいのに、不思議とよく聞き取れる声だった。語る言葉にも迷いがない。
「魔力は有限です……可能な限り温存した方が……生存率は高くなります」
さらさらと文字が増える。
「回復魔法は便利です……時には致命傷をも癒す効果があります……でも、いざという時に魔力切れを起こしていたら……大変です」
アルファスは眼鏡を押し上げて、新人たちを見渡した。
「それと……例えばですが……回復魔法は毒にも効きますが……」
アルファスは再び眼鏡を押し上げた。
「毒の解析にも魔力を消費しますし……解毒する時も同様ですし……戦闘の後では魔力が足りなくなるかもしれません」
止まらない。
「ですので……薬草学を修めた方が帰還率は高くなります……特に毒消しに関しては――」
アッチムが欠伸をした。
「ふあぁ……」
眠い。長い。周囲の新人たちも似たような顔をしていた。
すでにいびきをかいている者もいた。
「月影草は毒消しとして非常に優秀です」
アルファスがそう話し始めた時、グーダスの眉がぴくりと動いた。
父から聞いたことがある。騎士団でも滅多に手に入らない薬草の名前だった。
「銀葉草との判別方法ですが――」
当たり前のように説明は続いた。まるで何度も扱ったことがあるかのようだった。
グーダスは黙っていた。
(薬草学の重要性か。あいつは父上と同じことを言っている……)
その考えを慌てて振り払う。偶然だ。きっとそうだ。そう思うことにした。
「次は魔法理論です」
アッチムが露骨に嫌そうな顔をした。
「うげ。まだあるんすか……」
アルファスが黒板へ複雑な図を書き始める。
円。線。矢印。
新人たちは開始一分で理解を諦めた。
「魔法は出力だけ……ではなく……流路の安定性が重要です……」
さらさらと黒板に書き込んでいく。
「出力を上げても……流路が乱れていると……術式は崩壊します……」
「例えば氷結術式の場合――」
アッチムの眉がぴくりと動いた。氷結術式は、アッチムの得意分野だ。
「魔力を直線で流そうとすると……失敗しやすくなるので……術式内部で循環させた方が安定します」
アッチムの顔から眠気が消えた。
心当たりがあった。ずっとだ。何度練習しても術式が不安定で、成功するときと失敗するときがある。その理由がずっと分からなかった。
「流路が細い場合は……特に顕著で……出力を上げるほど……失敗率は上昇します」
アッチムは思わず身を乗り出した。全部に心あたりがあった。全部だ。
アッチムの様子にアルファスは気づいていない。黒板へ図を書き続けている。
「ですので術式を構築する際は――」
話は続く。大半の新人は既に聞いていない。グーダスも理解できていなかった。パーダロに至っては関係のない本を読んでいた。
だが、アッチムだけは違った。
(言ってること、全部わかるっす……)
初めて。少しだけ。講師の話を真面目に聞いていた。
「最後に……戦闘理論です」
新人たちから小さな悲鳴が上がった。
「まだあるのかよ……」
「長ぇ……」
アルファスは気にした様子もなく黒板へ向かった。
「戦闘は……剣だけではありません」
さらさらと文字を書く。
風向き。地形。補給。撤退経路。水源。
新人たちは顔を見合わせた。
「そこまで考えるか?」
誰かが呟く。
「……考えます」
アルファスは黒板を見たまま続けた。
「森で迷った場合……帰れなくなる可能性があり……水源の位置を把握していないと……生存率が下がります」
淡々と話続ける。
「補給が不足すると……判断力が低下します……撤退経路を決めずに戦うのは……危険です」
止まらない。
「風向きによって……匂いで察知される場合があり……地形によって逃走経路も変化します」
新人たちはもう聞いていなかった。グーダスは腕を組んだまま天井を見上げている。アッチムは机に突っ伏しかけていた。パーダロは窓の外を眺めている。
部屋の隅では、ニャリエナが椅子の上で小さく丸くなって眠っていた。しっぽがゆっくりと揺れている。
「ですので……生き残ることを最優先にしてください」
そこでようやく口を閉じた。教室に沈黙が落ちる。
誰も拍手しない。誰も感想を言わない。ただ疲れた顔をしていた。
「えっと……」
アルファスが周囲を見回した。その瞬間、身体が縮こまった。黒板を見て、新人たちを見て、ようやく我に返ったようだった。
「あ……あわわ……」
黒板はびっしりと文字で埋め尽くされていた。
「す、すみません……ぼ、僕また……長く話してしまいました……ご、ごめんなさい……」
おろおろしながら眼鏡を押し上げる。さっきまでの講師はどこかへ消えていた。いつものアルファスだった。
新人たちは顔を見合わせた。
「戻ったっす」とアッチムがぼそりと呟く。
「戻ったな」とグーダスも頷いた。
「戻りましたねぇ」とパーダロも苦笑する。
「あぅ……」
アルファスはさらに小さくなった。
「ニャ……勇者様……すごいニャン……」
ニャリエナの寝言だけが、静かな教室に響いた。
「きょ、今日はここまでです……」
新人たちは席を立った。グーダスが大きく伸びをする。
「体がなまっちまうぜ」
「同感っす」
アッチムも肩を回した。
「薬草だの魔法だの、頭が痛くなったっす」
「知識だけはあったんじゃないですか? まあ、私は興味ありませんけどね」
パーダロはそう言って肩をすくめ、手を振りながら去っていった。
グーダスも歩き出す。だが途中で足を止めた。
「なあ、アッチム」
「なんすか?」
グーダスは少しだけ迷った表情をした。そして首を振った。
「……いや、何でもない」
そう言って、そのまま歩き去った。アッチムはその背中を見送った。
「まあ、言いたいことは分かるっす」
アッチムは小さく呟いた。
「あの先生……何か変っす」
「ニャーン♡」
「ひゃっ!?」
目を覚ましたニャリエナがアルファスへ抱きついていた。
「先生の勇者様、かっこよかったニャン♡」
「寝てたじゃ……ないですか!」
「勇者様の声は落ち着くニャン。あんな人たちより勇者様の方がすごいニャン♡」
「そ、そういう問題では――」
ニャリエナが顔を近づける。
「ご褒美ニャン♡ ちゅーしちゃうニャン♡」
「そ、それは駄目です!!」
アルファスは真っ赤になって飛び退いた。ニャリエナは不思議そうに首を傾げる。
「なんでニャン?」
「な、なんでって……!」
答えられなかった。ニャリエナがじりじりと近づく。
「勇者様、大好きニャン♡」
「あわわわわ……!」
威厳も何もなかった。
※ニャリエナの独り言
勇者様の声は落ち着くニャン。ぐっすりニャン。
次回、『魔術のお勉強しちゃうニャン!』
期待してニャン!




