第19話 熱と、魔法陣と、僕の大事なひ……
市場は騒がしかった。
人混みをかき分けながら、アルファスはふらつく足で歩いた。
「……ごほっ……ごほっ……」
熱で視界が滲む。それでも止まれなかった。
「……獣人の少女を……見ませんでしたか……茶色い耳で……その……」
何人目かわからない問いかけだった。
「ああ? 知らねえよ」
ぶっきらぼうに追い返される。すぐに次の店へ向かう。
「……獣人の少女を……」
「ああ、獣人の嬢ちゃんなら見たぞ」
アルファスの顔が上がった。
「ど、どこに行きましたか……!」
「薬屋の方だ。男について行ってたな」
薬屋は市場の中心からすこし外れた場所にあった。だが、扉には『本日休業』の札が掛かり、店内にも人の気配はない。
アルファスは裏口へ回った。半開きの扉の向こう、石畳には荷車の跡が続いていた。
その瞬間、空気が変わった。
「……薬屋……薬品を使われたか……」
熱があるはずなのに、頭だけが妙に冷えていく。アルファスはゆっくりと眼鏡を押し上げた。
「目立つが仕方ない……探知術式……発動……」
次の瞬間、空気が震えた。石畳、建物、屋根、路地裏、街中へ淡い光の線が走る。複雑な術式が幾重にも重なり、巨大な魔法陣が街を覆っていった。
「なっ……!?」
通行人たちが空を見上げた。
「なんだこれ!?」
「都市防衛術式か!?」
「誰が発動した!?」
冒険者たちがざわめく。
「いや待て、この規模……」
「宮廷魔導師級だぞ……!」
だが誰も、道の端でふらついている小柄な男へは目を向けなかった。
アルファスは荒い呼吸を繰り返しながら、術式へ集中した。
「……ニャリエナさん……」
探す。街の中を。気配を。匂いを。だが。
「……いない……?」
アルファスの顔から血の気が引いた。街の中に、ニャリエナの気配がない。呼吸が止まりそうになる。
「……すでに街の、外……?」
術式が揺らいだ。次の瞬間、さらに巨大な光が空へ広がった。
「……集中しろ……探知術式……広域展開……」
術式が街の外壁を越えた。森を走り、街道を這い、山肌へ広がっていく。空そのものが巨大な魔法陣へ変わっていった。
人々が息を呑んだ。
「お、おい……」
「なんなんだよ、これ……」
ナタリアさんがギルドの窓から空を見上げていた。
「……嘘でしょ。この街にこんなレベルの人がいたなんて……もしかして……」
遠い空の下、カイルも空を見上げたまま、顔を強張らせた。
「……あの術を一人でやっているのか……?」
その時、カイルの脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。
「まさか……彼が?」
アルファスは目を閉じ、ニャリエナの気配を探るためにすべての神経を集中していた。そして、目を開けた。
「……いた」
小さくつぶやいたその瞬間、アルファスの姿が消えた。
荷車が揺れていた。ニャリエナは檻の中で膝を抱えたまま、小さく丸くなっている。
「……勇者様……」
ぼんやりと空中を見つめながら、そうつぶやいた。
その時だった。空気が、震えた。
「……ニャ?」
耳がぴくりと動く。次の瞬間、空の向こうで淡い光が広がった。巨大な魔法陣。あまりにも大きすぎて、空そのものへ紋様が刻まれているみたいだった。
獣人攫いたちがざわつく。
「な、なんだありゃ!?」
「魔物か!?」
「違う、術式だ!」
ニャリエナは目を見開いた。胸の奥が、大きく脈打つ。知っている。この気配を。
「……勇者様……?」
ありえない。でも、匂いがした。遠く離れているのに、はっきりわかる。勇者様の匂い。
次の瞬間、荷車の前方で爆音が響いた。地面が揺れ、馬が悲鳴を上げ、獣人攫いたちが転げ落ちた。
「ぐあっ!?」
「な、なんだ!?」
煙の向こうに、ひとつの影が立っていた。小さい。ローブ姿。長い前髪。丸眼鏡。肩で荒く息をしている。
「……ゆう、しゃ……さま……?」
ニャリエナの声が震えた。
アルファスはゆっくりと顔を上げた。熱で頬が赤く、呼吸も苦しそうだった。でも、眼鏡の奥の目だけが、静かに冷えていた。
「……返して、もらう……」
「な、なんだテメェ!!」
獣人攫いの一人が怒鳴りながら斧を振り上げた。
アルファスの身体が半歩だけ動いた。
斧がローブの端を掠める。空振った勢いで男の体勢が前へ流れた。
アルファスはその懐へ踏み込む。
「……脇が……甘い……」
剣の腹が男の膝裏を打った。
「ぎゃっ!?」
足が崩れる。
そのまま柄頭が顎へ叩き込まれ、男は地面へ転がった。
残る二人が顔色を変える。
「囲め!!」
一人が横へ回り込み、もう一人が短剣を抜いて突っ込んできた。
アルファスは荒い呼吸を繰り返しながら、剣を構え直した。
「……足音が……うるさい……」
短剣が突き出される。
アルファスは剣をわずかに傾けた。刃が流れる。
そのまま身体を半回転させ、男の懐へ潜り込む。
「がっ――!?」
肘が肩へ食い込む。
男の体勢が浮いた。
さらに足払い。
倒れかけた男の手首を踏みつけ、短剣を落とさせる。
「死ねぇ!!」
横から剣が振り下ろされた。
アルファスは一歩だけ下がった。
剣が鼻先を掠める。
「……力任せ……重心が浮いている……だから……」
振り抜いた瞬間、男の身体が前へ流れる。
そこへ、アルファスの剣が下から跳ね上がった。
「なっ――」
男の手から剣が弾き飛ばされる。
「……遅い……」
次の瞬間、柄頭が鳩尾へめり込んだ。男が息を詰まらせ、そのまま吹き飛ぶ。
短剣の男が立ち上がろうとした。
アルファスはふらつきながら踏み込む。
「……ごほっ……!」
熱で呼吸が乱れている。
それでも剣筋だけはぶれない。
剣の柄が短剣男のこめかみを打った。
男の身体が崩れ落ちる。
「……ごほっごほっ……!」
アルファスが大きく咳き込む。
剣を杖みたいに地面へ突き立て、呼吸を整えた。
それから、ゆっくりと檻へ近づく。震える指で鉄格子へ触れた。
「……解錠……」
ぱきり、と鉄格子が砕けた。
「……ニャリエナさん……怪我は……ないですか……」
ニャリエナの目から、ぽろぽろ涙が落ちた。
「……勇者様……来てくれたニャン……?」
アルファスは、ほっとしたように小さく息を吐いた。
「……当然です……ごほっ、ごほっ……!」
言い切るとすぐに咳き込んだ。
「勇者様!?」
「……ふうっ……だ、大丈夫です……」
アルファスが手を伸ばす。
その手を支えに、ニャリエナは檻から抜け出した。
「絶対、来てくれないと思ったニャン……」
ニャリエナは涙を零しながら、ぎゅっと服を掴んだ。
「もう会えないと思ったニャン……どうして、来てくれたニャン……?」
静かな声だった。アルファスは答えようとして、息を詰まらせた。熱い。視界が揺れる。でも、ニャリエナの顔だけは、はっきり見えた。
思考がまとまらない。自分には価値がない。そう思っていた。
なのに――
「……それは……ニャリエナさんが……僕の……大事なひ……と……」
アルファスの意識を飛び越えて、そんな言葉が口からこぼれおちた。
そのまま、アルファスの身体が崩れ落ちた。
「勇者様! しっかりするニャン!」
ニャリエナは急いでアルファスに駆け寄った。
※ニャリエナの独り言
勇者様、助けにきてくれたニャン! そして、聞いちゃったニャン!
次回、『第一部完! 勇者様とずっと一緒にいるニャン!』
期待してニャン!




