第31話:新生活の罠。――隣の部屋は完璧な彼女
大学の入学式を終え、私は新しい生活の拠点となるアパートの前に立っていた。
悠真が選んだ(という名目で、私とあおばが裏で不動産屋を操作して誘導した)物件。
築浅、オートロック完備、そして何より――。
「……あら、悠真。奇遇ね」
隣の302号室から荷物を運び出そうとしていた悠真が、幽霊でも見たかのような顔で固まった。
「……ほ、ほむら!? なんでお前がそこに……」
「なんでって、ここが私の新しい家だからよ。偶然って恐ろしいわね。まさか隣同士になるなんて」
私は完璧な微笑みを崩さず、鍵を回して301号室のドアを開けた。
(偶然なわけがないでしょう。大家さんに『隣の部屋も借りたい、もし無理ならこの物件ごと買い取る』と交渉したのは私なんだから)
「……ということで、お兄ちゃんの一人暮らしは開始0秒で終了しました」
藤原家のリビング。あおばがスマホの画面を見ながら、みもりとビデオ通話を繋いでいる。
「……さすがね、ほむら。壁をぶち抜くのは法律的に止められたみたいだけど、ベランダ越しに侵入するルートは確保済みらしいわよ」
みもりは『デリデリ』の新作バーガーを頬張りながら、手元の資料(アパートの間取り図)に赤いペンで『聖域』と書き込んだ。
「作戦名:『アジャセント・ルーム・パノプティコン』。……あおば、合鍵の複製はもう終わった?」
「バッチリ。お兄ちゃんが寝てる間に、ほむら姉さまが掃除と洗濯、冷蔵庫の補充まで完璧にこなす手はずだよ。……もはや一人暮らしじゃなくて、通い妻だね」
その夜。引越し作業で疲れ果てた悠真が、私の部屋に招かれた。
「……なぁ、ほむら。これじゃ高校の時より距離が近くないか?」
手料理が並んだテーブルを前に、悠真が苦笑いする。
「あら、嫌かしら? 食費も光熱費も、私が半分持ってあげるのに。……その代わり、あなたの部屋のスペアキーは、私が預かっておくわね。防犯のためよ」
私は、彼の首筋にそっと指を這わせた。
「大学という場所は、誘惑が多いわ。……サークル、合コン、見知らぬ女子大生。……あなたが道を踏み外さないように、一番近くで見守ってあげるのが、彼女としての責務でしょう?」
「……お前の『見守る』は、監視カメラより精度が高いんだよなぁ」
悠真は溜息をつきながらも、私の作った肉じゃがを口に運び、幸せそうに目を細めた。
胃袋を掴み、住環境を支配し、退路を断つ。
完璧な彼女。
それは、自由を謳歌しようとする恋人の翼を、一本ずつ丁寧に摘み取り、自分という名の巣から出られなくする飼育員。
「……逃がさないわよ、悠真。ここは、あなたと私だけの、終わらない箱庭なんだから」
隣り合う二つの部屋。その境界線は、今夜、私の執念によって完全に消失した。
(次回予告)
次は第32話、「キャンパスの洗礼。サークル勧誘という名の害虫駆除」




