第七話、潜入! 姫の部屋。
二枚目に変身した魔王と姫は終始笑顔で、街中を堂々と並んで歩いていた。
姫は解けかけたアイスクリームのように緩みっぱなしの顔で、魔王にこれでもか! っってくらいベタベタして愛想を振りまく。
姿変われば――というとこだろうか。
普通に街中を歩いて最短距離を進むおかげで、姫の目的地はもう目の前だった。
目的地が近づくにつれて心なしか、姫の笑顔にかかる雲行きが怪しくなっていく。
「姫よ、ところでどこ行くんだ〜?」
まだまだ笑顔一杯の魔王が、姫の表情の変化に気づく事無く、ぶっきらぼうに言った。
「自宅よ……」
「あぁ、そうだな、この世界にもう一年も住んでるんだもんな、自宅は当然あるよな」
「うん」
姫はどんどん声のトーンが低くなってきていて、鈍感な魔王も雰囲気が変わった事に気づき始めていた。
コンクリートの地面に冴えない視線を降ろして、両手の平をへその辺りで組んだまま、黙り始めた姫の姿を見てると、さっきまでのハイテンションが幻にさえ思える。
「どうしたんだ?」
「別に」
姫はそのままの姿勢で力なくため息をつくと、細い路地を右に曲がった。
左に薄汚れた石作りの家の壁、右には雑草が生え放題の空き地。
一見とても寂しいその場所を、更に真直ぐ姫は歩いていく。
――やがて、薄汚れた白い外壁の2階建ての建物が二人の視界に入った。
姫はそこを一時は通り過ぎたかのように見えたが……、5歩ほど歩くとピタリと動きをとめて、そのまま振り返らずに急に、後ろ歩きで戻ろうした。
しかし、付いてきていた魔王の体にぶつかり、また動きが止まる。
「姫? 何がしたいんだ?」
魔王の口から尤もな意見が姫に投げかけられると、
「アハハ……、ごめん、そこだったわたしんち」
姫はそのボロい建物に向き直って、引きつった笑顔で自白した。
プライドと見栄っぱりの固まりのような姫。
このアパートが自分の住む場所だと告げるのに、ありったけの勇気をこめたのは間違いない。
魔王はそのアパートが姫の住む場所だと、聞かされて初めは驚いた。
ボロいし、汚いし、とても姫が住むような所ではないとさえ思ったが、敢てそれを口に出さなかった。
姫の性格をそれなりに知っている魔王の気遣いだ。
「い、良いとこに住んでるじゃないか」
「え、ここが?」
魔王は返答に困った、ここは更に肯定した方がいいのだろうか? それとも……
選択を誤れば、姫の弾幕のような言葉が飛んでくるに違いない。
額に汗を一滴垂らし、次の一手に悩む魔王。一見、大雑把に見える彼だが、その性格は極めて繊細な部分を持ち合わせていた。
悩んで、悩んで、出た言葉が――
「うむ、犬小屋よりましじゃん」
これだった。
繊細だが……口下手な魔王。
魔王は言った後に、とんでもない事を口走った事に気づき、姫のコークスクリューパンチが顔面に飛んでくる事を見越して、左頬を体を少し屈ませ、姫に突き出す。
目を瞑ってその衝撃をずっと待っているが、中々飛んでくる様子がない。
――あれ? どうしたんだ?
片目だけ開けてみる事にした。
見ると、姫は背を向けて、しゃがみこんでいた。
その後姿はとても寂しげに映り、自分がさっき放った言葉を後悔する魔王。
姫に謝ろうと、ゆっくり近付き自分も屈んで、姫の横顔をそーっと覗き込むと――
……猫とじゃれていた。
思わず首が前にかくんと折れる。
――心配しすぎか……
前足を揃えて姫に愛らしい顔を向けて、愛想を振りまく白猫。
首には赤い輪っかが付いている。
「そいつは?」
「白猫のジジよ」
――そうだった、姫は無類の猫好きだった、そして俺は犬好き…………
魔王は額に出た汗を手で拭い、姫の横に屈む。
とても愛想の良いジジ。
お腹を出して服従のポーズを姫に向けている。
姫は口元を綻ばせ、お腹を摩る。
その様子を見て、結構付き合い長いな? っと魔王は思った。
姫は気が済んだのか、立ち上がって猫に優しい目を向けて手を振った。
「じゃ〜〜、犬小屋よりましな場所へいこっか」
どこか陽気な目をした姫が魔王に快活にそう言うと、多少魔王は苦い笑みを浮かべるものの、姫が歩む後をゆっくりと付いていった。
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錆びた鉄の階段を上っていく姫。
そこを上り終えると、細い通路がある。
色んな染みと傷がついた石の地面、左側に落下防止用と思われる錆びた青い鉄の柵、右側には薄汚い白い壁を寸断するかのように、これまた薄汚い木の扉が、三つほど等間隔に並んでいた。
近くによると、更にその汚さが浮き彫りになり、益々魔王はここに姫が住んでいることに、違和感以外のものが感じられなかった。
――あぁ、しかし、姫のことだから、中は豪華にしてるんじゃないかな?
姫が真ん中の扉に鍵を差込み扉を開けると、そんな見解が音も無く崩れ去る。
「どうぞー汚い所だけど、中入って〜」
「げ、マジ汚ねぇ……」
魔王は心で言うはずの言葉を、思わず外へと出してしまった。
姫が顔を小刻みに震わせながら、眉をひそめて鋭い視線で魔王を睨みつける。
「ごめん、つい、ハハ……」
頭に右手を当て、ぽんぽんと二回叩き、苦笑を浮かべてごまかす。
だが、自分の感じたものまでは、ごまかしきれない。
それほど壮絶なこの部屋の様相。
とにかく酷いって言葉じゃ言い表せないほど、まずゴミが散乱していた。
白い袋に細い木が二本、いや4本、その中には食べ物のカスみたいなものが付いた箱。
薄汚れた布類、衣服、花柄の――下着?
魔王はそれを見て多少ときめくものの、すぐにその気持ちが沈む。
茶色く汚れていたからだ。
茶色の箱が幾重に積み重なっている先に、辛うじて見える金属の何かに、衣服が無造作にいくつか掛けられていた。
真ん中には……ここで魔王は部屋に漂う悪臭に気をとられ、思考を閉じる。
そして、なぜかイクゾーの住まいが頭をよぎった。
「どうぞ、座って」
「おう、すまぬな」
姫が手を差し伸べた場所を見ると、周りの白い袋や茶色い箱を姫が押しのけて作った空間に、四角い薄桃色の座布団が置かれていた。
その座布団の表面を覆う布も擦り切れているし、何かの染みがついていた。
こめかみに汗を掻きながら、大きな体を屈ませ、尻を落とし込み胡坐を掻く。
「なぁ、変身もう解いていいか?」
魔王は今の姿がどうもむず痒くて仕方がない。
本来の体より筋肉の付き方が甘く、気に入っていなかった。
「うーん、残念だけど、いいよ」
姫は惜しむように目を眇め、舌打ちをした。
魔王はその場で何かを口ずさむと、眩い白い光が体を包み、元の姿へと変わっていく。
「あー肩こったー、腹へったー、疲れたー」
魔王は自分の姿に戻り、一時の安息場所を得た事により、押し込めていた鬱憤が波濤のように口を突いて出てくる。
黒いローブを頭の先を掴んで剥ぎ取ると、それを自分の後方に敷いた。
中に着ていた灰色の武道着が顕になる。
両手を上に伸ばし大きく伸びをして、敷かれたローブに、そのまま背中を落として寝転んだ。
まるで自分の家にでもいるかのような、完全に安心しきった顔で横になっていた。
姫はそのどこか無邪気な魔王の姿を見ていると、心が和んで自然と口元が綻ぶ。
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「ご飯できたよ〜」
「おぉ、待ってました!」
姫は約束どおり、魔王にご飯を作ってやった。
片隅に置いていた丸テーブルを持ってくると、折りたたまれていた足を伸ばして魔王の前に置いた。
そして、その上にあり合せの物で作った料理を並べていく。
内容は……玉子焼き5つ、ポークウィンナー3つ、キャベツの炒め物、前の夜の残り物のほうれん草のおひたし、そして味噌汁。
口に合うか心配だったが、
「おぉ、姫〜料理上手だな〜、しかも食べた事ないものばかりだけど、みんな美味しいぞ」
とても幸せそうに飯を口の中へかきこんでいく。
ゼームス大陸とは違う文化のこの国。
食べ物もやはり魔王にとって珍しいものばかりだった。
元々雑食な魔王に『まずい』という言葉は浮んでこない。
なので、その料理が本当に美味しいかは――謎だが、魔王の食べる姿は、料理を作る相手には評判が良かった。
もちろん、姫は上機嫌でその姿を見つめていた。
しばらく姫は満面の笑顔で魔王の姿を見ていたが、ふと、ある事を思い出し表情が途端に固くなる。
――魔王ちゃんにあの事を話しておかないと……
姫は魔王がご飯を食べ終わった後に、とても重要な事を話す決意をした。
それはコンビニ前で思い付いたミッションの一つ、『この世界での過ごし方』、『気まぐれは悪』、『激怒した時のリラックス呼吸法』も含まれるが、それ以上に深刻で絶対話しておかないといけない話があった。
姫は陽気に飯を頬張る魔王の横顔を、多少緊張した面持で眺めていた。




