第四十九話 追憶に沈む夢の跡。
投稿してから修正多めになっています。すみません。
「勇者様~! 勇者様~! 」
肩を揺さぶられ、はっとして体を起こした光。
目に映るは夕暮れの空と膝の上に置かれた拙い絵が書かれたスケッチブック、そして、横から覗き込む丸顔の少女の顔だった。
「寝てたの? 勇者様」
「うん、夢を見てた……」
柔らかい日差しのわだかまる日向で、回想に耽っていた光はいつの間にか寝入ってしまっていた。
――そうか……夢か……いや……
回想がまどろみに溶け、夢となって光に見せた過去の出来事。
それは紛れもなく、光が実際に異界のゼームス大陸において肌で感じ体験してきたものだ。
――俺が勇者か……
勇者はスケッチブックを脇に置き、隣に座るルージュの顔をじっと見つめた。
いつになく優しさが滲む黒い瞳は、ルージュの顔に置かれたまま穏かに揺れていた。
ルージュの鼓動は否応がなしに高まり始める。
ふっくらとした頬は赤みを帯び、見つめ返す円らな瞳は小刻みにたゆとう。
そのうち、目を静かに閉じた。
音もなく唾を嚥下した後、薄桃色の唇を軽く尖らせ勇者の口元へ運ぶ。
ルージュの鼓動は臨界点に達していた。
「う……? 」
しかし、近づけた唇にはいつまでも何も伝わってこない。
片目を開けると、勇者の姿は既にそこにはなかった。
ルージュが勘違いしている間に立ち上がり移動していたのだ。
その場を取り繕うように咳払いし、勇者の姿を探す。
勇者は欄干に両手を置いて寄りかかり夕暮れの空を眺めていた。
「はっきょしょい! 」
ルージュの足元には熟睡し、鼻を啜るドンゴロが横たわっていた。
「あの後さ……俺はクライス様に軽い魔法の説明を受けて、自分の部屋をもらったんだ」
「うん、一人一人個室をもらえるから」
勇者は夢でみたゼームス大陸での出来事の続きを、ルージュと共に語り合っていた。
「俺は最初魔法の存在なんて……半信半疑で、説明うけても自分が使える気がしなかったよ」
「ふ~ん、でも、いつの間にか、大地の魔法使えるようになってたよね」
「うん、使えるようにはなってはいた……発動の仕方も知っている、けど……」
勇者の表情に突然暗雲が垂れ込める。
ルージュは勇者の変化をいち早く察知したのか目を伏せる。
会話の流れから勇者の言わんとすることを把握していた。
「まだ記憶が抜け落ちたままなんだ……?」
遥か下にあるマンションの駐車場を眺めながら言った。
「うん……俺がクライス様のところで、これからやっと色んな事を学ぼうって時から……見知らぬ洞窟の内部で……一人蹲ってた頃までの記憶が……すっぽり抜け落ちたままなんだよな……」
勇者は欄干に置いた手に力なく頭を乗せて、独り言のように呟いた
大きく溜息をつき、虚ろな眼差しを暮れなずむ空にしばし向けていた。
「冷蔵庫か、すごいな~……何でも入ってやがる」
もう外はすっかり日が落ちて、時刻は6時を回っていた。
ドンゴロは冷蔵庫の中を物色している。
今晩の夕飯はドンゴロが作ることになっていた。
料理の腕前は三人の中では頭一つも二つも抜けている。
紅一点のルージュだが、料理の心得はまるでなかった。
一階のキッチンでドンゴロが食事を作ってる間、勇者とルージュは二階へ上がってテレビを見ていた。
「あはは! 」
「…………」
広さ10畳の洋室には長い白いソファーがあり、ルージュは寝そべりながら前に置かれたプラズマテレビに夢中になっていた。見ている番組は子供向けのアニメだった。ゼームス大陸にはテレビは存在しない。ルージュにとってそれは今まで目にしたことのないもので、リモコンで移ろう映像にいつまでも興味が絶えることはなかった。
光はソファーの上部に首をだらしなく反らせている。真白な天井には青白い光の丸い電灯が点いていた。光はその電灯の真ん中辺りをぼんやり眺めながら、まだ夢の続きに思いを捉われ続けていた。
――あの時――、気がつくと……見知らぬ場所で一人……俺は這いつくばっていた……
冷たい空気を頬で感じた時、俺は暗い洞窟の中で一人蹲っていた。
どうやって、そこに入ったのか……なぜそこにいたのか……まるで覚えていない。
体を起こそうと湿っぽい岩肌に手を掛けた瞬間、激痛が体中を駆け巡った。
声も出せないような痛みに、また元の場所に前のめりに倒れこんだ。
全身に走る酷い痛みから、理由は分からないが相当の深手を追っている事にその時気づいた。
暗い闇に包まれ遠のく意識の中、このまま……野垂れ死にするのかもしれないと漠然と思った。
どのくらいの時間、そこにうつ伏せに倒れていただろうか……
次に覚醒した時、俺は自らの体の異変にきづいた。
体全体を覆う暖かみ……不自然だった。
最初の覚醒の際は凍てつく寒さに体は冷え切っていたのを覚えている。
手や足の感覚がないほどに、体中の感覚は麻痺していて筋肉は萎縮し動かしづらかった。
だが、その時は違った。
体中を駆け巡る血液の流れを感じる事ができた。
肌に感じる火照りは内部から湧き起こるものだと確信していた。
恐る恐る拳を握り足を揺り動かすと、不思議なことに全身に広がる痛みは消えていた。
試しに立ち上がろうとその意志を体に伝えると、頭で描いた通りに体はしなやかな動きで従った。
俺は立ったまま一息つくと、確かめるように足を一歩ずつ前へ前へと踏み出した。
そのうち、洞窟の出口らしき場所から入る眩い白光を受けて思わず目を閉じた。
俺は洞窟を抜け出すと、赤黒い岩地がどこまでも続く大地に立っていた。
見知らぬ場所……といっても、この世界全て俺にとって未知。
しばらく立ち尽くしたまま、呆然と上に広がる桃色がかった青空を眺めていた。
大きく深呼吸をし、その場の空気に身を馴染ませた。
体に目を配ると、諸所に生々しい傷跡があるのに気づいた。
しかし、どの傷跡の表面も粘液質の液体でコーティングされたように塞がっていた。
体のいたるところに、赤い金属製の断片らしきものが付着していた。
金属片はどれも、激しい高熱で溶けたような痕跡があった。
ただ、可笑しな事に体のどこにも焼けどの跡はなかった。
股間の辺りは歪だが溶けた金属片がきっちり覆っていて、陰部が露出する事態にはなっていなかった。
それには少し安心した。
冷たい風が火照った体に当たると心地よく、ぼんやりした頭が次第にはっきりしていった。
空洞と化した頭の中に、ふと、セギトにいた頃の記憶が浮んでは消えていく。
その去来する記憶の断片をかろうじて掴んだ時、曖昧なイメージが明瞭な輪郭を伴ってくっきり浮かび上がっていった。その瞬間、焦燥に駆られセギトに帰らなければと思いたち、せかされる様に走り出した。
走り出してそれほど経たないうちに、俺は違和感を感じた。
いや、違和感を感じないことを不審に思って足を止めた。
移動中に景色が後ろへ吹き飛んでいく異常さに、なんとか気づくことができたのだ。
まるで高速道を200キロのスピードで走行する車の窓に中から張り付いて見ているようだった。
俺はいつから、これほどの速さで走る事ができるようになったのか……
無意識に飛び移っていた岩の群を振り返って眺めた。
岩と岩の間は優に10メートルを超えていた。
それを知って更に俺は愕然とした。
さっきまで当たり前のように走り飛び跳ねていたが、その動きは人間のものではなかった。
しかし、頭の奥ではそれが当たり前のように認識されている。
不思議な感覚だった。
まるで、アメリカ漫画のマーブルスー〇ーヒーローズに出てくる超人にでもなった錯覚を覚えた。
その事実を何度も検証し、疑いようのないことを悟った後は――俺は驚喜して辺りを闇雲に駆け回った。
途中何度も堅く大きな岩にぶつかったが、怪我をするどころか岩の方が砕け散っていた。
俺はそれを見て歓喜に打ち震えた。言いようのないほどの興奮が体を満たしていた。
それからは――水を得た魚のように猛進し各地を経巡った。
セギトに帰るのはあちこち回ってからでも良いと思った。
その心変わりは力を得た慢心が大きく影響していたかもしれない。
何度か見知らぬ村や町を見つけては滞在した。
もちろん金など持ち合わせていなかったが、言葉は通じる。
最初訪れた村では、俺のみすぼらしい姿を見た村の老女が、哀れに思ったのか家にこないかと誘ってきた。
言われるがままついていくと、青っぽい布地の清潔な衣服をくれた。
俺のために美味しい食事まで作ってくれた。
作り笑いを浮べ、その老婆に笑顔で接し感謝の意を伝えた。
その日はそこで一晩寝ることになった。
そこを出てからは、また放浪の旅を重ねていった。
徐々にこの大陸の地理にも詳しくなり、この世界の知識も深まっていった。
日々の路銀を稼ぐために、旅芸人の一座の下でしばらく色んな芸を学んだこともあった。
元々身体能力はずば抜けていたため、すぐにその芸の技を自分のものとしていった。
他にも何でも屋みたいな仕事もやってみた。
行方不明の猫を探したり、遠くの届け先へ荷物運びを依頼されたこともあった。
山間にたむろする山賊どもを素手で蹴散らしたこともある。
山賊といえど人間、それを傷つける事は以前なら考えられなかった。
身に宿る得体のしれない力が、以前持っていた良心の呵責や人の生死の道徳的概念を飲み込み、俺の人格を変えてしまったのだろうか。その真偽は定かではないが、命を奪うことに躊躇うことをあまりしなくなっていた。
それからも自らの力を思う存分振るって、衣食を確保しあちこち旅をした。
俺は90Gの間、日本で言う所の一年に当たる月日、そんな暮らしを続けていた。
ある日、手の平に乗せた緑の石を眺めながら考えていた。
街の雑貨店で売られていたものをお金をだして買ったものだ。
この石は念交玉と言われている。
この世界で唯一の通信手段だ。
石に額を当てて、連絡を取りたい相手を思い浮かべる。
その相手が念交玉を持っていれば、頭の中で会話ができる代物だ。
クライス様と騎士見習いの仲間達とあまり連絡をとるきになれなかった。
一年も結局合わずにいて今更という気分が強かった。
それに加えて、俺の記憶の中では自己紹介を終えたばかりの仲で止まっている。
だが、それだけではなかった。
なぜかクライス様の事を思い浮かべると、体が竦み積極的に連絡を取ろうと思わなかった。
理由は分からないが、俺の心の中に深く沈む潜在意識が会うことを拒んでるように感じた。
一年の間、結局、セギトに帰らずにいたのもそれが本当の原因だったのかもしれない。
自分の直感を信じ、彼らと連絡をとることは断念した。
そうなると、念交玉を持っていて、俺が交信したいと思う相手は一人しか浮ばなかった。
数日の付き合いだったが、別れる間際に感じた気持ちに嘘偽りはない。
いつかまたどこかで再開することを誓った相手、ドンゴロだった。
ドンゴロに連絡を取ると、普通に返事が返って来た。
最初は驚きしばらく感動していた。
ドンゴロはその時、俺と同じようにぶらりとあちこちを回っていたらしい。
俺と別れた後も、ミリガンの元で生活を共にしていたが、マイルでは盗品を売り捌く闇市への締め付けが厳しくなり、マイルを拠点として活動するミリガンファミリーにいては実入りが期待できなくなったらしい。
ドンゴロはミリガンファミリーを抜ける事を決意し、抜けた後リアーザ王国へ向かった。
そこは魔族にいち早く降伏したために、魔族の王が統治するのを未然に防いだ国だった。
そのため、そこに住まう種族はほぼ人間が占めている。
リアーザでは魔族に直接支配されていない利をいかして、日ごろから人々に害をなす魔族達に賞金をかけ、それを討伐する闇ハンターギルドが存在していた。
もちろん魔族に平伏したリアーザで表立って魔族に抗うことはできない。
飽くまでならず者が集る非合法組織である。
ドンゴロはそこに登録して、その時生計を立てているらしかった。
連絡をとり、現在の状況を話すと、即座にそちらへ来るよう誘われた。
そんなこんなで、成行きに身を投じてギルドに登録。ドンゴロとタッグを組んで魔族達を蹴散らす日々が続いた。
そんな殺戮に満ちた日々のなかで急に虚しさが俺の中を走りぬけた。
魔族を蹴散らすのはいいが、どうも現場は近辺ばかりが主で見知った場所の往復に嫌気がさしてきていた。
それをドンゴロに話すとギルド長に話しをつけて遠方の仕事を拾ってきてくれた。
久しぶりの遠方の旅に俺は柄にもなく心躍る思いで旅に臨んだ。
ドンゴロと辺境の地に向かう途中で、鄙びた村を通りすがった。
長旅で疲れたドンゴロはここで休憩する事を訴えるので、俺も疲れていたのでそこで一時の憩いを取ることにした。アーチ状の古びた門らしきものをくぐる。
すると、入って間もなく、俺にいきなり体当たりをしてきた不埒な少女がいた。
俺は闇ギルドに入ってからは、思春期を迎えた少年のように暴慢に振舞っていた。
郷に入れば郷に従え、朱に染まれば赤くなるを自ら実践している最中だった。
無論、少女にはドスの効いた声で怒鳴り散らした。
少女は怯むかと思いきや、俺が放った言葉の100倍返しで罵倒を浴びせかけてきた。
だが、顔を見た瞬間、二人の時間が止まった。
相手はクライスの元にいたルージュだった。




