第四十五話、青空と勇者 回想その13
3時間後――クライスは言ったとおり部屋に戻ってきた。
ドンゴロと光は大体の話を終えて、静かに座っていた。
「光君、調子はどうかな?」
「おかげさまで、大分疲れは取れました」
光の瞳は澄んだ輝きに満たされていた。
ドンゴロの話を聞いてある程度得心が行き、当面の落ち着き先もみつかり生活面では目処が立った。とはいえ、騎士見習い――どんな事をするのか見当がつかない。不安がないと言えば嘘になる。
「そうか、じゃあ私の部屋へいきましょう。そこで君に詳しい話をするよ」
「はい」
しかし、考えたところで知る由もなく、クライスに導かれるまま付いていく他なかった。
「お別れじゃ、光頑張ってな!」
ドンゴロは満面の笑みで光に手を振る。
「有難う、ドンゴロさん……」
光は名残惜しい様子でドンゴロに振り返ったまましばし眺める。
この世界に来て最初に出会い、短期間ではあったが色々世話になったドンゴロと今こうして、袂を分かつ事に後ろ髪惹かれる思いがしていた。光を連れてきたドンゴロの目的は決して褒められたものではない。だが、化け物のうろつく創世の森から光を連れ出し、先を立って歩き光を導くその背中は、未知の世界に来たばかりの光にとってどれだけ頼もしいものであったか。お腹のすいた光に饗応の際、振舞ったご馳走、朝食、山で手渡されたおにぎり……これまでを振り返ると、胸に熱い思いが去来する。すぐにこの場を去る気にはなれなかった。
「…………光……達者でな! またいつか会おう!」
ドンゴロも感じるものがあったのか、光に一瞬何か言おうとしたが、俯いて言葉を飲み込んだ風で、最後には元の明るさを取り戻し、力強い口調で光を送り出す。
光はそれをみて勇気づけられたのか、踏ん切りがついたようで、手を二三度振ると、
「またどこかで! 」
と快活に言って、クライムと顔を見合わせ頷き部屋を後にした。
先に立って、石材を敷き詰めた廊下をクライスが歩いていく。
突き当たりの階段に来ると、そこを昇り、長い廊下にでると三つ目の扉の前で足を止めた。
「さぁ入って! 」
「はい」
部屋にはいると、高級そうな木材を使った机が部屋の真ん中に鎮座していた。
その奥にクライスが座り、その向かいに置かれる丸い椅子に光は腰を降ろす。
青い壁に書架が一つ、大きな窓らしきものがあるが、臙脂色のカーテンで閉ざされている。他にはあまり物が置かれていない。今までの部屋に比べると殺風景だった。面接室のようなものかと光は思う。
「まぁ、気楽にしてくれ」
クライスの後ろの壁には大きな地図が張られていた。
――これが……ここの地図か……
瓢箪型の大きな大陸が示されている。そのまわりに小さな島らしきものや、太陽を司ったと思われる不思議な絵が認められていた。
「君はドンゴロさん達にここで騎士見習いを募っていると説明を受け、そして騎士見習いの任を受ける意志を彼らに示しここにやってきた……相違はないかな?」
「は、はい」
クライスは念を押すように光に聞いた。
首を縦に振り、光はそれを肯定した。
クライスは目を閉じて机の上で手を組んで間をあける。
そして、細い目を見開き、光の内奥まで見通すかのような青い瞳で光を見据える。
喉をごくりと言わせて、クライスを真直ぐ見つめる。そのうち無言のまま、クライスは口元を綻ばせた。
「本気のようだね……さてと……話をしましょうか、といっても……」
テーブルの上で手を擦り合わせ、クライスは言葉を捜しているようだった。
額にかかる銀色の髪を一度上側に撫でつけたかと思うと、口を切り始める。
「――――詳しい話をすると言いましたが……特に話すことはないんです。あなたには……この世界にまずなれてもらい、世界を知ってもらうことが先決です」
「はい」
光はクライスの言い様に安堵を覚える。
――……やりやすい……
クライスは光が異界の住人だという事を前提に話している。
その事は光にとって何よりも有難かった。
「取りあえず、これから行動を共にする仲間と顔合わせしてもらい、彼等と親睦を深める事に尽力してもらいたい。そして、色々彼等からこの世界の知識を吸収して欲しいと思います」
「はい」
「私から今話せるのはこれだけなんです……何か質問あれば何でも聞いてください」
クライスは淡々と話を進めた。
考えればいくらでも質問は浮ぶが、敢てそれを口にはしなかった。
これから目で見て肌で感じるうちにそれは分かってくるだろうと光は考えた。
「じゃ皆に合わせましょうか、一階の控え室で入隊式をします」
そう言った矢先、扉を誰かがノックした。
「どうぞ」
「失礼致します」
入って来た者を見て光は思わず息を呑む。
「光、彼は……」
「はじめまして、ここの執事をやっておりますフォルカスと申します」
クライスが紹介しようとする前に、さらりと自ら名乗った。
その容貌を目にした光は、異相とも言えるフォルカスの風采にしばし呆然と口を閉ざす。
濃紺の長衣を身に纏った老人――それだけなら驚きはしなかった。
しかし、丸みを帯びた皺だらけの顔には大きな目が一つしかついていない。
つむじの辺りから聳える白い角、根元に皺が寄った長い鼻、どこをとっても……
――化け物……
光は身を竦めてその姿に怯えた視線を置きっぱなしにした。
黙ったまま縮こまる光に苦笑いを浮かべて、どうしたのかな~? っとクライスは背を屈めて覗き込む。間近にクライスの顔が迫ると、光は呪縛を解かれたように我に返った。
「は、はじめまして……人間の光言います……」
一瞬沈黙が降りるが、
「ははは……光君は倭人なんだ、あっちでは……魔族は珍しいみたいなんだよ……」
クライスは光が倭人である事を強調しフォルカスを見て言った。
「――なるほど……」
フォルカスは一つ目の下に赤い亀裂を横に引き低く笑った。
「じゃあ、フォルカス、私も後で行くから、彼を控え室に連れて行ってくれ」
「分かりました……」
軽く手を振り、白衣を翻してクライスが足早に去っていく。
扉が閉められ、石床を叩く足音が遠ざかっていく。
全くその気配が消えると――――フォルカスの態度が一変した。
長い鼻の付け根にある鼻腔から息をふんと吐き出し、一つ目に瞼を伏せてじっと光を見下ろした。
「弱そうだな……」
独り言のように呟き、値踏みするかのように光の姿を丹念に睨め回す。
息を呑んで、光はじっと立ち竦む。
クライスとはまるで違う険悪な雰囲気に光は当惑していた。
異相の姿も合わさり、恐怖すら感じて慄いていた。
フォルカスは萎縮した光を見て嘲笑するかのように口端を吊り上る。
そして、くるっと身を反転させたかと思うと、
「さてと……今からお前を控え室へ連れて行く……遅れるなよ…」
面倒くさそうに言い放ち、長い裾を床に引きながら部屋を出て行く。
気後れして、その後姿を最初は見送っていたが、
「ま、待ってください……」
はっとして声を上げ、急いで後を追う。
フォルカスは光と背の高さはあまり変わらない。
しかし、光は付いていくのに早足で追っていた。
――なんて早いんだ……
石畳の床を滑るように進んでいく。
それだけの速度を維持しながら、裾の内からは足音すら聞こえてこない。
薄暗い回廊を抜けると、急に明るさを増し赤い床が敷き詰められた廊下に出る。
右側には金色の枠で縁取られた開閉式の窓が等間隔に並んでいて、青い空がその向こうに広がっている。左側には赤い扉が同じように間隔をあけて白亜の壁を区切っていた。突き当たりまでやってくると、茶褐色の木の階段が下へと繋がっている。
フォルカスは階段においても、足音すら立てる事無く同じ速度で降りていく。
――が、光はそうはいかない。その背を追って、バタバタ足音を響かせ階段を走り降りなければいけなかった。階下に下りると、白亜の壁が続く廊下がまた現れ、赤い扉が並んでいる。
2つ、3つと進むうちに、フォルカスは突然足を止めた。
「お前何してるんだ? 」
「――え?」
反射的に光は身を竦め声を漏らした。
しかし、フォルカスは光とは逆の方向を向いたままだ。
――俺のことじゃないのか……?
光はフォルカスの頭の角度から、視線の先の大体の見当をつける。
そちらを見やると、真白な石像が置かれていた。
半裸の女性が右手を掲げ、少し上向き加減で虚空を見つめている。
その石像以外は何も見当たらかった。
「3階の警備を言い渡したはずだぞ」
だが、フォルカスは石像に向かって続けた。
光はじっと石像を見るが動き出しそうな気配もない。
だが、足元に視線を落した矢先、何かが動いたような気がした。
石像の前で陽炎のように揺らめく得体の知れない輪郭――
――何かいる……
光がそれを見咎めた瞬間、
「フォルカスにはかなわねぇな…………」
突如、どこからか声が響く。
次にペタペタと足音が聞こえ、しばらくして途絶えた。
光は音のした方に目を凝らすと、何もない空間に色が滲みはじめていた。
見る間に透明のキャンパスが染め上がっていく。
全体が濃緑に染め上がり、頭と思われる場所に赤い目玉が浮かび上がる。
まるで爬虫類のトカゲを思わせる風体――そんな化け物がフォルカスの前に姿を現した。
「よく見つけたなぁ…… 」
「ばればれだガイル……」
ガイルと呼ばれた化け物はフォルカスと親しい口振りで話す。
「お、そいつ新人かい? 」
「そうだ……」
ガイルは光を見つけると、ぺたぺた足音を鳴らしながら歩み寄る。
「よう、俺はガイルってんだ、セギトの警備を任されている者だ、よろしくな!」
溌剌とした声で自己紹介をし手を差し出す。光はまた気後れを覚え間を空けてしまう。エンヤ婆、フォルカスと出会い、多少は異形に慣れてきたはずだった。しかし、このグロテスクな姿を目にしてたじろいでいた。ガイルが差し出した右手に目を凝らす。細長い6本の指の間には白い水かきのようなものがついている。
――気持ち悪い……
生理的嫌悪が先に立つが、内から勇気のようなものを振り絞り、
「光です、人間です、よろしく……」
仕方なくそのべたついた手を握る。ひんやりと冷たく、ぬめりがあり、不快な感触に顔が歪みそうになるのをぐっと堪えなんとか笑顔を作る。
「ほら、もういいだろ」
「じゃまたなー!」
フォルカスに怪訝な顔で睨まれると、ガイルは光に手を振りながら走り去っていく。
その後ろ姿は光の目に、どことなく陽気に映った。
――……悪い化け物ではないかもな……
フォルカスはまた歩みを再開し、少し行ったところで足を止めた。
「ここだ……」
赤い扉の前で光に言った。
その扉に手を押し当て開け放ち、先に中へ入る。
「フォルカスだ……」
「お前等、仲間連れてきたぞ……」
中から数人のざわめきが光の耳に届く。




