第四十話、青空と勇者 回想その8
あくる日の朝――
「光、起きなさい!」
光は自分を呼ぶ声に目を覚ました。
朧な視界に最初に映りこんだのは――光の母節子の顔……
一瞬、母さんか……と話しかけようとして口を噤む。
――ん? 髪が…………
夢現の中、ハゲ頭の母を目にして困惑する光。だが、次の瞬間、母の輪郭は忽然ときえ、ドンゴロの厳つい顔が取って代わる。
「オラ、起きろ!」
耳元で怒鳴られ、飛び上がるようにして半身を起こした。
しばらく周りをきょろきょろ見回し、最後にドンゴロの顔を見上げる。
「お、おはようございます」
「ふん……」
光が目を覚ましたのを確認すると、鼻を鳴らしてドンゴロは立ち上がる。
そして、光に背を向けると、あばら屋内の奥へ消えていった。
光は最初ぼんやりして宙を眺めていたが、屋内に漂う香ばしい匂いに気づく。
――いい匂いだ……そうか……ここは……
嗅覚で受けた心地よい刺激が、光の頭脳を揺さぶり、ぼやけた記憶が鮮明になっていく。
――この良い匂いは……たぶん、ドンゴロさんが朝食を作ってるんだな……
なぜか、さんづけの光。
両手を宙に放り出し伸びをしながら大きな欠伸をした。
掛け布団代わりの獣の皮を横に払い、目を擦りながら立ち上がる。
そして、あばら屋内を一通り眺めた。
奥の土間らしき場所で、立ち働くドンゴロの姿が目に映る。
壁板の彼方此方にある隙間から差し込んだ日の光が、薄暗い屋内の床に落ちて散乱していた。
その中でも一際眩しい入り口を目に入れると、光は入り口へ向かって歩きそのまま外に出た。
桃色がかった青空が目に飛び込んでくる。
――ま、眩しい……今日はいい天気だ……
光は顔に右手を翳しながら、目を細めて外の様子を眺め見る。
――あれ……?
それほど遠くない場所に、何軒か木造の建物が見える――――が、不思議なことに、朝だというのに外に人の姿が見当たらない。早朝の時間帯に、生活の営みのために外に出てくる人間を一人も見つけることができなかった。
――どうなってんだ……?
光は不審に思い、小走りに辺りを巡り、一軒一軒外から中を覗いていく。
だが、薄暗い屋内に目を凝らしても、人の姿は確認できなかった。
耳を澄まして音を探るが、生活音どころか、足音すら聞こえてこない。
ミリガンは……黒装束の男ジャニスは……そして他の奴等は……
光はこの異様な村の様子を目にして、不可解に思い首を傾げる。
そして、訝しげに思いながら、元のあばら屋に戻ろうとすると、
「こら、もう飯できたぞ! 外の水桶で顔洗ったら中に来い!」
「は、はい! 」
ドンゴロが突然、中から顔を出し声を張り上げた。
思わず肩を竦めて、ドンゴロが指差した方へ走る。
あばら屋の裏手には水の溜まった桶が二つ置いてあった。
光はその一つの前に蹲り、冷たい水を顔にニ三度浴びせかけた。
「つめて……」
その余りの水の冷たさについ声が漏れる。
新鮮な刺激を受け目は澄んだ輝きを取り戻し、光の思考も少しずつ研ぎ澄まされていく。
――何で、ドンゴロ以外人いないんだ……?
とはいえ、まだ起きたばかりで、その思考の動きは緩慢なようで。
――まぁいいか……それより飯だ、とにかく飯~!
一旦考える事を取りやめ立ち上がると、香ばしい匂いに吸い寄せられるように元いたあばら屋へ戻っていく。
「ドンゴロさん、料理うまいね」
「まぁな! だてにミリガン様や他の物達の食事毎日つくってねーよ!」
食べ物を口にかきこみながら、ドンゴロは威勢よく言い放つ。
――飯炊き係か……
冷たい憐れむような目でドンゴロを一瞥した。
――あ、そうだ……
光はミリガンと聞いて、ふとさっきの事を思い起こした。
「そういや、村にミリガンさんや、他の人たちいないようなんだけど……」
聞いていいものか迷いはしたが、あからさまに人気がないのは真実。
それとなく聞いてみる。
「あぁ、ミリガン様と……他の者は……朝早く行商にでたぞ……」
「そうですか……」
ドンゴロの声のトーンが明らかに落ちる。
口調はさっきまでの滑らかさを失い、目は心なしか泳いで見える。
――わけありか……
「ま、まぁ、と、とにかく、今日は……俺がお前を、きっちりお父上の屋敷へ連れて行くので安心しな!」
ドンゴロは話を逸らすかのように言って、光の右肩を一度ぽんと打つ。
食事終え身支度を整えた二人は、村の外にある木の前で立っていた。
ドンゴロは紐で縛った大きな布袋を肩に担いでいる。
光は特に何も擁していない。
「よし、行こうか!」
「――はい」
村を出た二人は、最初来た時通った橋を渡る。
水の流れの緩やかな川は、静かなせせらぎを二人の耳に届ける。
歩を進めるたびに軋む橋板は、とこどころ朽ちていて危なっかしい。
最初きたときは暗くて気づかなかった。
よく渡れたな……と光は身震いしながら慎重に足を運ぶ。
橋を渡りきると、ドンゴロは左に進度を取り、川筋に沿って歩く。
膝丈のほどの草木が道の右端に生い茂り、道沿いにどこまでも続いていた。
「ここを入ってくぞ!」
「はい……」
しばらく歩くいていると、ドンゴロは光に声をかけ脇道に入る。
膝丈ほどの草木を掻き分け、ドンゴロは先に立ってどんどん歩を進める。
その背を目で押さえながら、光も必死の思いでついていった。
そのうち、水の流れる音が聞こえなくなり、辺りに濃い影が落ち始める。
周りに繁る植物相が変わってきていた。
膝丈ほどの草木は消え、代わりに背の高い木々がいく手を遮るように立ち並ぶ。
光は喉が渇いてきていた。
足は既に重く額には大量に汗をかいていた。
背の高い木の幹に手を掛け、重い足をふらふらと前に突き出す。
――はぁはぁ……どこまではいっていくんだ……
顔を歪め前を歩くドンゴロの姿を追うが、ドンゴロは何歩も先を歩いていた。
――化け物か、あのオヤジは……
若い光を置き去りにしそうな勢いで、最初のペースとほぼ変わりなく進む。
そのうち、背の高い木々が傾斜を伴って土の道の両側に姿を表す。
「この山あがっていくぞ……」
「はい……」
日はもう既に高く上がっているのか、真上から柔らかい木漏れ日が降ってきていた。
光は山道を登りながら、昨日のミリガンの言葉を浮かべて思う。
――どこが近いんだよ……!
腹がすいて、少し苛立ち気味の光。
村を出た時の余裕は既になかった。
そんな時、山道の傾斜が緩やかになった。
少し開けた場所が視界に入る。
山の一角を人為的に切り開いたかのような広場。
広場の中央には苔の生えた古い倒木が横たわっている。
枝にも人為的に切り落とされた跡があり、高さも人間が座るには丁度良いものだった。
「よし、ここらで昼飯にしようか!」
「おぉ! そうしましょう!」
ドンゴロが額の汗を拭いながら声を張り上げる。
待ってましたとばかりに、光はドンゴロのもとへ駆け寄った。
古い倒木に二人並んで腰を降ろす。
ドンゴロは持ってきた大きな布袋を隣に下ろし、紐で縛った口を開けはなった。
「朝、昼食も作っておいたんだ」
言いながら中に手を突っ込んで、二つの包みと竹の水筒のようなものを取り出す。
包みは植物の葉らしきものを折りたたみ、紐で結わいたものだ。
「ほれ」
「有難う」
光に濃緑の葉の包みと竹筒を渡す。
満面の笑みでそれを受け取り、すぐさま丁寧に重なった葉先を開いた。
中には饗応の席で食べた肉や魚が入っていた――――が、別のものもあった。
光はそれを見た瞬間驚く。
――こ、これは……お・に・ぎ・り……?
現実世界で幾度も口に入れたことのある炊いた米を丸く固めたもの。
なぜこんなものが――光は困惑していた。
おにぎりに目を凝らしながら、手の平においてドンゴロの目の前に持って行く。
「これなんて食べ物ですか……?」
まさかと思い、光は聞いてみた。
「おにぎりだが、そんな事も覚えてねーのか……?」
「はい、まぁ……」
呆れたようにドンゴロは言った。
当たり前のように言われて、光は呆然としながら、おにぎりの端を少し齧る。
――不思議だ……この世界では……日本と共通するものが多い……
ドンゴロの顔を眺めて微笑む。
――大体、ドンゴロや、他の人々とも言葉通じるもんなぁ……
不思議に思ったが、光は特にそれについて深く考えることはしなかった。
梢の間から覗く空を見上げて、おにぎりを頬張り、しばらく安寧の時を過ごす。
「はぁ、食った食った!」
ドンゴロは食べ終えると、葉を元のように折りたたんで膝に置いた。
倒木の枝に吊るしていた竹筒を、手に取り蓋を開けて、喉を鳴らしながら中の水を嚥下する。
ゲップを一つ放ち、目を細めて青い空を眺めていた。
時折、程よく冷たい風が、木々の間をぬって飄々と二人の後ろから吹き付ける。
柔らかい日差しの下で、光は倒木の幹に後ろ手をついて青空をみたままぼんやりしていた。
空腹が満たされ暖かい陽気の中、夢現の境を光は彷徨っていた。
そんな時、
「なぁ、光……」
ふいにドンゴロが、囁くような声で言った。
「なんですか~」
光は間延びした口調で答える。
「おめー……実は記憶あんだろ?」




